やすらげる空間

gallowsさんによりますお題もの書き2004年12月テーマ企画「掃除」参加作品です。

やすらげる空間


「お忙しいところ時間を取らせてしまってすみません」
 そう言って男は名刺を差し出した。薄いプラスチック製のそれは和紙の様に光を透過し、洗練された印象を与える。私は朝から丁寧にマニキュアを塗り上げた指でそれを受け取り、見たまま読み上げた。
「宝船社第三事業部?」
「ええ、それが正式名称なんです。『あこがれマイルーム』はうちの主力ティーン誌の増刊として出す形になっておりまして。あ、玄関まわりの写真も撮らせていただいてよろしいでしょうか?」
 私は微笑み、勿論ご自由にと伝えた。同行していた若いカメラマンが埃一つ落ちてない玄関を慎重に構図をとりながらカメラに収めていった。その間に雑誌社の男は間取りをメモし、私はその様子を見守りながら満足した気分に浸った。
 30を前にして今のマンションを買ったのは一つの賭けだった。結婚をする気はとうに失せていたし、仕事から疲れて帰ってきた時に真に安らげる無駄のない空間が欲しかった。その後も内装や家具の選別、ちょっとした収納の工夫などに頭をひねらせて居心地のいい空間を作るのはとても楽しかったが、それが雑誌の取材の対象になるとは、世の中何が起こるかわからない。自分のためにやっていた事が一定の社会的評価を得たようで、素直に喜べた。
 玄関と台所の撮影が終わり、リビング兼寝室に移った。真っ白な壁と床に観葉植物の緑が差し色として映えて見える配置。
「なるほど。家具も白や薄い緑で揃えているんですね。」
「ええ。その方が緑も引きたつかと思いまして」
「シンプルなのに冷たさがない。女性的な柔らかさがあると思います。しかし、ものが少ないですね」
「流行りの見せる収納、ですか。ああいうのもいいと思うんですけどそう広い部屋じゃありませんから。とにかく必要な物以外は持たないようにしています。そうしていれば片付けや掃除の手間も省けますし」
「合理的ですね。収納はそこのクローゼット一つですか?」
「はい。これだけです。見ますか?」
「出来ればよろしくお願いします」
 私は衣服をしまっているクローゼットを開き、取り出しやすさと限られたスペースを有効活用するアイデアをいくつか披露してやった。雑誌社の男はしきりに感心し、カメラマンにまたいくつか写真を撮らせた。
「最後に、部屋作りをする上で気をつけたポイントなどがあれば」
「そうですね、部屋作りというのは自分が安らげる空間を作るということです。そのためにいる物いらない物を普段から見極める事、でしょうか」
 その時、ドン、ドンと鈍い音が薄壁の向こうから響いてきた。
「なんの音でしょうか」
「お隣さんかしら。この時間になると騒々しくて。困ってしまいます」
「ああ、なるほど。では、ありがとうございました」
 雑誌社の男と若いカメラマンは軽く頭を下げて出ていった。
 二人を見送った後、先ほど音のした方に目をやった。またドン、ドンと音が響いた。せっかくの清涼な気分が台無しだ。白い絨毯にコーヒーをこぼされたような気持ちになった。この部屋にはまだまだ無駄が多すぎる。さて、次はどこを片付けよう。
 私は台所に掛けてある輸入家具店で購入したタペストリを外し、その裏の引き戸を開けた。私はすっかりやすらぎを取り戻し、おおらかな気分でこのクローゼットを見渡せた。中は二畳程のスペースがあり、今まで捨てるか捨てないか決めかねていたものが段ボールに詰め込まれて並んでいた。何をしまったのかは判然としないが、私は四日使わなかった物はいらないものだというルールを自分に課していた。ここを開くのは丁度四日ぶりだ。音は鳴りやみ、息を潜めたように沈黙を保っていた。私は人差し指で額を何度か叩きながら次の部屋の改造計画を練った。


「あなたにとって片付ける、とはどういうことなのでしょうか?」
 二度目のインタビュー。白い壁に男の白い衣服は溶け込むようで、顔だけが浮いてみえた。私は男の抽象的な質問に少し首を傾げ考え、普段ものをしまう時、或いは捨てる時に何に気をつけているかを口にした。
「自分の生活にいる物といらない物をよく考えるという事かしら。毎日使う物であれば取り出しやすい場所にしまわないといけませんし、そうじゃないものは奥まったところにしまったり捨ててしまってもいいですよね。使う物でもいらない、ということもあります。部屋作りとは生活作りなんだと思います」
 私は自信をこめて微笑んだ。男は神妙な顔付きで何度かうなずく。私は次の質問や感想を待ちながら、男の手元のICレコーダーの録音中のランプが赤く光るのを見ていた。
「リビングとクローゼットの、いやあれは物置だったのでしょうか? その間の壁をぶち抜いたそうですね。アレはご自分で?」
「ええ、元々使いにくい場所にありましたし、いっそリビングと一繋ぎにしてしまって部屋を広く見せるようにしてみたんです」
「女性一人では大変だったでしょう」
「コレが意外となんとかなるもんなんですよ」
 男は感心したように口元に手をやり、また何度か頷いた。よく頷く男だが、感心したのなら賛辞の言葉の一つでも並べてくれたほうがこちらも話しやすいのに、と思った。実際テレビ番組の見よう見真似で壁をぶち抜くのには苦労したのだ。そのおかげで部屋の見通しはぐっとよくなったし、全て終わった時の達成感や軽くなった心をもっと誰かに語りたかった。
 実際、私の部屋は随分と広くなったと思う。必要なモノ以外は処分していった結果この部屋にはテーブル一つと椅子が二脚あるのみだ。ある段階で緑も鬱陶しくなり取り払った。色は窓から差し込む光が自然と織りなしてくれる。窓の外には空だけが広がり、それ以外の雑多なモノはなんだかやけに曖昧だ。私は限りなく安らげる場所に近付いたのだ。
「さて」男はやっと、厳かに口を開いた。
「それで、そちらのクローゼットには何がしまってあったんですか」
「さあ、多分引っ越してきた時しまったきりのものだったと思いますけど」
 ああ、なんてつまらない質問をするのだろう。私は今日のインタビュアーは三流以下なのだと思い、自分でもわかるほどに機嫌を損ねた。その後もいくつか質問をしてきたがどうにも要領を得ない。わたしはすっかり幻滅して窓の外を眺めていた。そうしていると男は困った顔をして、ちょっと失礼というと部屋を出ていった。


 薄暗い観察室。白衣の男が隣の取調室から出てくる。
「先生、どうですか」
 マジックミラー越しに状況を見守っていた若い刑事は慌てて立ち上がり、中腰のまま声をかけた。被疑者の身元確保までは順調に進んだがそれ以後がまずかった。まともに会話が成立したのも今回が初めてだったのだ。刑事は焦りを感じていた。
「こちらが合わせさえすれば意識は明瞭だし思考も論理だっているね。自分の置かれた状況が把握出来てないのが問題なんだが、刑事責任能力については今の段階では保留だ。あと彼女、取調室を自分の部屋だと思っているようだからなるべく綺麗にしておいてあげてください」
「はあ?」
 刑事は理解に苦しみ、仕方なく席に戻るととりあえず言われたことを手帳に書き留めた。白衣の男も刑事の隣に腰掛けると煙草を取り出して一服した。
「しかしなんだろうな。彼女は何を片付けたかったのだろうね」
 煙を吐き出しながら白衣の男は手元の報告書にもう一度目をやる。そこにはここ数年の彼女のあまり幸福とは言えない経歴が並んでいる。それはつまり、会社の同僚との関係のもつれとかそういうものだ。
「片付けるって……こういう言い方は好きじゃありませんが自分の子供じゃないんですか? これはそういう事件でしょう」
「うん、まあ結果的にはそうなんだけどね。そう言う意識はなかったんじゃないかな。彼女にとって片付けるというのはもっと概念的な、結局本人の言った通りなんだろう。ただ割り切り過ぎたのか」
 白衣の男は独り言の様に呟くと、鏡の向こうの児童殺害死体遺棄容疑者が今度は何を片付けようとするのか考えてみた。

お題もの書き2004年12月テーマ企画「掃除」



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