エンドレス掃除戦争

EASTさんによりますお題もの書き2004年12月テーマ企画「掃除」参加作品です。

エンドレス掃除戦争


 唐突ではあるが、俺は物を片付けるのが大の苦手である。
 生まれ付いてのことなのか、どうも俺には一般的にいう「整理整頓」の能力が欠けているらしい。
 それは俺の部屋を見れば一目瞭然だろう。一言でいって「汚い」のだ。
 いや、ある意味では究極の整理術を身につけているといえるのかもしれない。
 レポートを書いたり、ゲームをしたりと大活躍してくれるパソコンの周囲は、まるで戦闘機のコクピットのような様相を呈している。
 手を伸ばせば、すぐ必要なモノを探り当てることが出来る。どこに何があるかも完璧に把握しているのだ。
 山と詰まれた本、CD-ROM、書類……。一見乱雑で散らかっているようで、その実見事なまでに整理されていると言ってもいいかもしれない。

「あー、またこんなに散らかして!少しは掃除しなさいよね!」
 こんなことを言うのは、幼稚園からの幼なじみで”一応”俺の彼女である陽子くらいだ。両親はすでに諦めの境地にたどり着いたようで、大学に入って一人暮らしをするようになってから時々様子を見に来るが、部屋の散らかり具合に関しては何も言わなくなった。
「散らかってるように見えるだけだよ。俺はどこに何があるかきちんと分かってるし、手に届くところに必要なものがないと気分が悪くなるんだ」
「単にだらしないだけでしょ。本棚が一杯なら、思い切って読まなくなった本は処分した方がいいよ」
 実にとんでもないことを言ってくれる。本は一度読んで、はいお仕舞い、というようなモノではない。忘れたころに読み返して、新たな発見をすることもある。そんな本を簡単に処分など出来るわけがない。必然的に俺の部屋には大量の書籍があふれることになる。
「男はなんでコレクターになるんだろうねー……。不思議でしょうがないよ」
 陽子はそう言って、あきれ果てたように首を横に振る。

 しかし、陽子は俺の城であるこのマンションの一室を、”彼女好み”に改造することを企んでいたのである。陽子には、いつ遊びに来てもいいように部屋の合鍵を渡してあった。 それが彼女との戦争状態を引き起こす、文字通りの”鍵”になろうとは。その時には思いもしなかった。


 ある日、俺は夜勤のアルバイトで部屋を一晩空けた。仕事の疲れを引きずりながら自分の部屋へたどり着いた俺は、信じられない光景を目にすることになった。
「部屋……間違えたか?」
 いや、しかし鍵を使ってドアを開けて入ったのだ。いくら同じ部屋の間取りのワンルームマンションとはいえ、鍵まで同じということはあり得ない。それに、入って右手の壁を占領している書棚は間違いなく俺のものだし、その他の家具も見覚えのあるものばかりである。しかし、決定的に普段の俺の部屋と違う所がある。

 パソコンデスクの周りに本の山がない、のである。

「やられた!」
 こんなことをする奴はあいつしかいない。陽子だ。ご丁寧に掃除機までかけてある。
 部屋の真ん中には数個の段ボール箱が置いてあり、その上に一枚の紙が貼り付けてあった。
『勝手に片付けさせてもらったよ。本は捨ててないから、本棚を増やすなり何なりして整理しなさい』
 おのれ陽子め。確かに部屋への出入りは自由にさせているが、勝手に人の部屋をいじくりまわしていいとは一言も言った覚えはない。万一見られたらまずい物でも出てきたら……いや、出てくるようなところには隠していないが、それはどうでもいい。
しかし、彼女の性格からいって本が捨てられていなかったのは奇跡といえるのかもしれない。本棚を増やせだと?この部屋のどこに本棚を増設する余地があるというのだ。

 俺は意を決し、段ポール箱の中身を取り出し、元の配置に戻した。
 それは終わりなき戦いの序曲であった。

 陽子は夜勤のアルバイトのある日を狙って、俺の部屋に侵入し、掃除という名の理不尽な暴力を押し付けてくる。俺はクタクタに疲れながらも、帰ってきてから原状回復に努める。大学で顔を合わせても、視線を絡み合わせるだけで言葉は交わさない。陽子はニヤリと笑い、俺は無表情にその笑いを受け流す。そんな日々が何週間か続いた。
 片付けられては元に戻し、また片付けられては元に戻し……。

 こうなったらお互い意地だ。俺は引く気はない。一切ない。これっぽっちもない。
 それは陽子も同じだろう。彼女の性分からして、俺の部屋の惨状(俺自身は決してそうは思っていないが)は見るに耐えないものなのだろう。これはお互いのポリシーとアイデンティティを賭けた戦いだ。
 もはや戦争といってもいい。
 何度目になるのか、すでに思い出せない原状回復作業をしながら、俺はつぶやいた。
「絶対、負けないからな……」


 その数日後、大学構内で陽子と出くわした。俺はいつもの様に無視を決め込もうとしたが、意外なことに陽子の方から話しかけてきた。まるで今までの戦争状態がなかったかのように。
「ねえ、今日ちょっと時間あるかな」
 ずいぶん長い間言葉を交わしていなかったのに、一体どうしたのかと訝る俺に、さらに言葉がかけられる。
「時間、作ってくれない?」
 俺は少しの間考えてから、こたえた。
「今日はバイトもないし、講義ももうない。サークルは出なくても大丈夫だから時間はあるぞ」
 本当は図書館に寄ってから帰るつもりだったが、それは黙っていた。戦争中とはいえ、陽子は俺にとってはやはり大切な相手なのだ。
「じゃあ、今日部屋に行ってもいいかな」
「お前、講義は?」
 俺が尋ねると
「自主休講」
 ……それはサボりというんだぞ、という言葉を飲み込んで、
「じゃあ、一緒に帰ろう」
「うん」
 二人で肩を並べて、俺たちは家路についた。


「休戦協定?」
 俺は、キッチンでお茶の用意をしながら、その言葉に、ああ陽子もこの事態を戦争と考えていたのか、と妙に納得してしまった。
 戦争と考えていたのは俺の方だけではなかったようだ。
「うん。もうこんな状態になってかなり経つでしょ?だから、一時休戦しない?」
 陽子は、自分が歩み寄らなければこの状況を打破できないと考えたのだろう。意外だった。まさか陽子から休戦を申し出るとは。
「それは構わないけど、一体どういう心境の変化だ?この部屋の、この状況を変えたかったんじゃなかったのか?」
 ガラステーブルの上に紅茶の湯気を立てるティーカップとクッキーの載った皿を置きながら俺は聞いた。
「うん。変えたい。もっと綺麗にしておいて欲しい。それは変わってないよ」
「俺はこの部屋の、この状況を変えるつもりはないぞ。」
「それも分かってる。あれだけやっても全然懲りないんだもん。」
 俺は思わずニヤリとしながら聞いた。
「それじゃあ諦めたのか?」
 ついに折れた。あの陽子が!心の中で勝利の歌を口ずさみながら、俺は彼女の答えを待った。しかし……
「だーかーらー、休戦だって言ってるでしょ!期限は大学卒業まで!そのあとは一緒に暮らすんだから、ガンガン片付けるわよ!」
 へ?一緒ニ暮ラス……?ダレトダレガ……??
 困惑のあまり思考が停止する。なんとか再起動に成功した俺の灰色の脳細胞は、フル回転で状況を分析しはじめた。何を言ってるんだコイツ。確かに多少エキセントリックな面はあるが、陽子はごく普通の常識人の範疇におさまる人格を持っていたはずだ。そうでなければ俺も冗談でも「卒業したら結婚しようか」などとは…………あ。
「もしかして、あの時の話……?」
「そうよ。プロポーズした事、忘れてないわよね?」
そうだ。前に陽子が泊まりに来たときに、酒の勢いも手伝って冗談めかして結婚話を持ちかけたのだ。俺としては冗談3割、本気7割くらいのつもりだったのだが。
「だってお前、あの時笑い転げてたじゃないか!冗談だと分かってて笑ってたんじゃないのかよ!」
「喜んでたに決まってるでしょ!恥ずかしいから笑って誤魔化してたのよ!……何よ……冗談……だったの……?」
 陽子がうっすらと目に涙をためて俺を上目遣いにみる。うっ……やめろ、その目は。俺は子猫とお前の上目遣いの視線には滅法弱いんだ……。
 負けた……。休戦どころの話ではない。連合国軍に無条件降伏をした大日本帝国のごとく、俺は陽子に完敗してしまったのか。
「……分かったよ。俺だって結婚するならお前しか相手は考えてないし、そうでもなけれは冗談でもそんな事は言わない」
「本当に?」
「本当だ」
 今泣いたカラスがなんとやら……。全身で喜びをあらわに、陽子が俺の胸に飛び込んできた。彼女の身体を抱きとめながら、俺は考えた。待てよ、まだ完全に敗北したわけじゃない。陽子とはおそらく結婚することになるだろう。彼女の気が変わらなければ、だが。
 しかし、そのあとはまた戦いの日々が始まる。俺のことだ。大学卒業までに世間一般で言う整理術など身につけられるわけがない。
 そうなると、この戦争は短い学生時代という休戦期間をはさんで終わることなく続くことになる。

 最後に勝利するのは俺だ!
 陽子の髪を撫でながら、俺はひそかに必勝の誓いを立てた。


 数十年後、戦いは結局俺の無条件降伏で幕を閉じるのだが、この時の俺はそれを知る由もなかった。

お題もの書き2004年12月テーマ企画「掃除」



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