「月光」

榎野英彦さんによりますお題もの書き2004年10月テーマ企画「月(衛星)」参加作品です。

「月光」


 冬の月は、どうしてこんなに青く見えるのだろう。
 所属事務所……今はもう俺とは無関係となった音楽事務所からの帰り道を、冬の月が照らしていた。
 太陽に比べれることもできぬ、遥かに弱く淡い光を浴びながら、俺は、背負っているギターケースの重さがいつもより重く肩に食い込むのを感じていた。
 ……この重さは、もう俺には必要ないのかもしれない。
「本当に……辞めてきちゃったの?」
 ぼんやりとそんなことを考えていた俺の後で佳奈美の声がした。
 俺は、振り返りもせずに答えた。
「ああ、あの事務所は俺の音楽が欲しいんじゃない、俺の親父の会社の仕事が欲しかっただけなんだ」
「そんなことないよ、プロデューサーの内藤さんとか……ケンジの曲、誉めていたじゃない」
 俺は鼻で笑った。
「俺を誉めておけば、親父に恩が売れる。それだけのことさ……」
 佳奈美は黙り込んだ。
 黙って歩き出した俺の後ろを、佳奈美も黙ったままついて来た。
 話しかけもせず、言葉を交わすこともなく、俺たちは冬の月に照らされた夜の街を歩き始めた。
 ……月か。
 俺は足を止めると、月を見上げたまま、後ろにいる佳奈美に向かってつぶやいた。
「月が光るのは……あれは、太陽の光をもらっているだけなんだ……いくら星より光って見えても、星のように自分で光ることができない……」
 佳奈美は、黙ったまま近づいてきて俺に並んだ。
「……太陽が、ケンジのお父さんで……月がケンジだってこと?」
「そうさ、太陽の光が無けりゃ何もできない、何の力も無いただの土の塊なんだ」
 佳奈美は何も言わなかった。
 黙ったまま俺を追い抜いて、俺の前に出て。
 そして、両手を広げてくるん、と回った。
 月の光に照らされた白いロングマフラーがふわっと舞い上がって、そして舞い降りた。
「私……好きだよ、月の光」
 佳奈美は月を見上げた。
「お日様も好きだけど、お日様って強すぎるときがあるんだ、でもさ、月って優しいじゃん、月の光って、静かに静かに語りかけてくるような気がするんだ……太陽にはわからない……強い太陽には絶対にわからない優しさを月は知ってる……」
 佳奈美は、もう一度繰り返した。
「私……好きだよ、月の光」
 俺は何も言わなかった、いや、言えなかった。
 俺は黙ったままギターケースを背負い直して、夜の街を歩き出した。
 月の光に照らし出された夜の街を。

お題もの書き2004年10月テーマ企画「月(衛星)」



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