終戦

しつさんによりますお題もの書き2004年08月テーマ企画「終戦」参加作品です。

終戦


もうそろそろだろうか。
不気味な赤黒い色に包まれた空。今や昼夜を問わず、空はずっとこの有様だ。太陽も月も昇らぬ、虚無の色に包まれた空。
だが、それは彼に不思議な安らぎを与えくれた。
歩を止めて、彼は後ろを振り返った。既に人の居なくなった街。かつては世界一の都市として知られ、つい数日前まで人々が生活を営んでいた街。
だが、その面影はもう何処にもない。風が運んでくる噎せ返るような血の臭いで、町の様子は容易に想像できた。

世界は今、終末の時に近づいていた。誰が最初にその話を流したのか、今となっては知る由もない。
だが、それは覆ることのない事実なのだ。
全てが始まった、あの日。大陸が丸ごと一つ、空に吸い込まれるようにして消えていったのだ。
それからも一定の周期をおいてあらゆる大陸……否、島も海も関係なく、空に吸い込まれ、次々に消えていった。
それは、まだ生まれたばかりの青虫のようでもあった。少しずつ葉を囓り続けて、しかしどん欲に、全てが無くなるまで貪り続ける。
青虫が葉を食らう度に大きく成長していくように、世界という葉を食べ続けた青虫も、少しずつ赤黒く変色していき、膨れ上がって、どんどん地に迫ってきた。
それにあわせて、少しずつではあるが、浸食――人々はこの現象をこう呼んでいた――の周期も短くなっていった。
人々は混乱した。皆が皆、狂い始めた。訳の分からない宗教を起こし、人々に自分達は救われるのだと説得しようとした者もいた。
だが、狂気は確実に世界を蝕んでいった。警察は職務を放棄し、交通機関は全てストップしたし、無論政治が行われる筈もない。
世界が失われていく度に、狂気の色は濃くなり、狂気の色が濃くなる度に、空はどんどん赤黒く染まっていった。
彼は、今では数少ない、理性を保った人間だった。否、この状況で理性を保っている方が、もしかすると真の狂気と呼べるのかも知れない。
そう思い、彼は一人自嘲の笑みを浮かべた。結局、人間など、世界など、このように脆いものなのだ。
そんなものは、さっさと滅びてしまえば良かった。全てを失った彼にとっては、これこそ望む結果であったのかも知れない。
人類の歴史は戦いの歴史である、と誰かが言っていた。そして今、人は最後の最後まで戦いの歴史を綴り、消え去ろうとしている。
結局、それが人の本質という事なのだろう。

彼は、その本質に身を委ねる事はなかった。一息ついてから立ち上がり、彼は再び歩き始めた。
最後に一つだけ、目的があったから。こんな時になって、と人々は嘲るかも知れない。
だが、こんな時だからこそ、そうしなければならなかった。少なくとも、彼はそう感じていた。

とある大陸、とある国の、とある岬。
浸食が、始まっていた。色彩が死に、コーヒーの中に垂らしたミルクのようにぐにゃりと歪んで、混ざり合い、そして吸収は終わる。
少しずつ消えていく、土と、緑と、水と。
そんな光景が見れる岬に、彼はいた。小さな墓の建った岬。
かつては美しい景色を一望できたここも、浸食によって蝕まれた空のおかげで、その景色は最早失われて久しい。
彼は墓によりかかって、ぐったりと座っていた。
最後に、ここまでこれた。だから、彼は満足だった。
彼はじっと目を瞑った。
いつその時が来ても良いよう、背中に感じる冷たい石の感触だけを、その記憶に刻み込んでいた。
背中の感触が失われても、彼は微動だにせず、ただ瞑った目の置くに小さな光を宿し続けて。

こうしてまた一つ、人の歴史が、戦いの歴史が、露と消えていく。


後に残されたのは、ぽっかりと浮かんだ虚無の空間が放ち続ける、赤黒い光だけだった。

お題もの書き2004年08月テーマ企画「終戦」



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