創作論 LOG 004

創作論の2000年02月07日から2000年08月11日までのログです。


2000年08月11日:00時35分12秒
物書きと名乗ることと…… / 田中
物書きになることと、プロになることは別だよ。自称なら、レゲエのおっさんだってしてる。クオリティーの問題だね、まずは。
2000年08月04日:18時31分52秒
/ ミサイルマン
なぜ、だろう? 特に、才能が、有るわけでも、ついているという訳でも、ないが、物書きに、なることが、私の道に、思えて仕方が、ありません、文法も分からないし、設定もめちゃくちゃですし、何を根拠言っているかも、自分自身分かりませんが、とりあえず物書きに、なります、まあ、それで、どうこうなっても仕方がないし人生そんな物と考えていますから、何の可能性もない未来に、突き進みます 考えてみましたが、私の未来は、まあ、みんなですけど、特に、こおいう仕事は、高き、険しき、狭き門ですけど、多分バカなんで関係なくいけます、それに、そんなの大した問題では、内容にも思えますしね 何か、ゴチャゴチャに、なってきているように、思えますから、この辺で、最後に、愛の詩をここに、書きます
 私の、幸せは、あなたを見つめられること
 私の不幸は、あなたに、触れないこと
2000年08月03日:23時50分35秒
子供さんを二人ももうけていて? / 田中
MONK氏・・・
子供の将来はどうなる?
学費は高くつくぜ?
2000年07月19日:21時39分54秒
改行 / MARS
 改行は文の先頭に1バイトのスペース‥‥つまり全角でスペースを空けると改行してくれます。
 詳しくは簡易掲示板利用マニュアルを参照するとわかりやすいと思います。
 パソコンには不慣れだそうですが小説がんばってください‥‥>MONKさん
2000年07月19日:03時53分47秒
また書きます。 / MONK
パソコンは不慣れです。読みにくくてすみませんでした。説明を読みましたが、よくわからないので、重ね重ねすみません。 仕事を辞めたのは、おれは小説でいくぞ! という意気込みだけで辞めたのではなく、あくまでタイミングです。このチャンスを逃したら、自分は一生後悔するなと、その感覚だけで、退職しました。毎日子供たちと川で遊び、毎日小説を書く。最高の日々を送っています。 ただ過去に私は、自分の大切なモノが守れそうにないなと思えば、若干の迷いはありましたが、転職をしてきました。いつまでもそうは言ってられないとは思いますが、出来るまではそうしようと思っています。たとえ給料が下がっても、やりたいことをやれてる方がいいですからね。私が言いたかったことは、仕事(金)も、趣味(遊び)も両方取りしようなんて考えが甘いのであって、その中間でふらふらしながら芸術家気取りの悩みを垂れ流しているのが醜いということです。愚痴のでない、気楽な仕事をすればいいじゃないかと。どちらかにしたらいいじゃないかとそれだけです。 そんなに世間は甘くないとおっしゃいますが、そんな精神状態で、夢を実現しようとしていることの方が、甘いのではないのでしょうか? 私は自分を高いところから話しているつもりはなく、経験から話をさせて貰っているのです。少なくとも私の経験に、ライバルたちへの愚痴は、一度もありません。 私は今年にはいって一度も働いていないので、年内には仕事を始めようと考えています。私自身が小説家になる可能性を信じていられる限り、ゆとりある気楽な仕事を探そうと思います。いつか自分の可能性を信じられなくなったら、不満タラタラでキツイ残業、くだらない仕事仲間の酒につき合いましょう。いい金貰えるんだから。興味を持っていただいた方、ありがとうございます。 私の尊敬する作家は、昭和40年代の大江健三郎。『われらの時代』『芽むしり 仔撃ち』を、フェイバリットにしています。自分が書いているものは純文学だと思います。実は私はずっと、アマチュア・ミュージシャンで、日本語にこだわって作詞作曲をしていました。そんな中で限界を感じていた私を救ってくれたのが、大江文学でした。ラップなどもやり、言葉を追求してきましたが、音楽という表面張力からは脱出できず、いまに至るわけです。ライブ活動というオープンな活動から、パソコンに向かう内側への活動に移行する中で、文学という閉鎖的な発想に、つい、この様な行動をとってしまったのでしょう。出来れば前向きなディスカッションを期待します。ついでに改行の仕方、どなたか分かり易くご指導してください。長くなってすみませんでした。またお読みぐるしくなりましたが、この辺で終わります。
2000年07月18日:23時49分52秒
何かを批評する人を評価するためには、その人の作品を見ないことにはどうにも判断がつきません / 横槍
 横槍です。
 表題のとおりです。
 MONKさんの書き込みをみて非常に興味を覚えました。
 どんな作品を書いておいでなのでしょうか?
 文章のフォーマットを見るかぎり、パソコンは不慣れなのでは? (失礼)
 ジャンルとか、作家でいうとだれそれっぽいとか、投稿する雑誌はどことか、そこまで教えていただけると、このわたしだけでなく、ここ最近のこの掲示板を見ている方がたの好奇心が満たされることでしょう。
 よろしくお願いします。
2000年07月18日:00時22分03秒
愚痴や弱音は、すなわち逃げてるってわけじゃないでしょう? / 上野
>私のような発想の者を“十代?”としか思えないあなたが悲しかったからです。

いやあ、あなたがどのような発想や信念をもっているかを前回の内容から理解してくれ、というのは無理がありませんか?

あなたが人生プランの中心に作家生活をすえて計画を実行しているからとて、書きたいけれど世間のしがらみのなかで上手くいかない書けないと悩んだり愚痴をもらす人々のことを否定的にみて、一つ下に見下すようなものの見方では、はたして、誰かの心をふるわせる小説が出来上がるものなのか、と思ってしまいました。作家志望のあなたになら、こうした「感想」を書いてもいいですよね?

>新人賞に応募経験のある方の、マニュアル本的ではない、経験談を聞いてみたいと思っています。

うーん、まず設定されたルールを把握して読みやすく改行をしたり、エクスクラメーションマークのあとに空白をつくるといった文章作法を意識されることが大事なのではないでしょうか?

仕事をやめて「から」、新人賞に応募「したい」というのは、仕事をつづけていては時間があっても賞をとるほどのクオリティーのある小説を完成できないから、ということなのではありませんか?
お聞きしたいですね。
もちろんプライベートな事情もおありでしょうけども、
「小説を書いて新人賞をとるために、一年ぶんの生活費を貯蓄して仕事を辞めた」という時点で、なんだかあなたが小説の登場人物のように思えます。やりようによってはどうにでもなる、とあるのに何故なのでしょう? 仕事って、書くうえで負担なのでは(やっぱり)ないでしょうか??

これは誹謗中傷かもしれない。でも、教えてほしいなー。なぜ、仕事を辞めるまえに、応募されなかったのですか?
2000年07月17日:13時55分45秒
Re:小説の成功ってなんだろう / MONK
私は三十代、子供が二人います。 営業の仕事していましたが、金が貯まったので辞めました。 少なくとも一年は何もせずに暮らせるでしょう(この計画により、マイ・ホームの夢が大分遠ざかった……)。私はその間に小説を仕上げようと考えました。営業の仕事も、外回りの時間、かなり小説を書く時間がとれるので選びました。なぜ、こんなことを書くかというと、私のような発想の者を“十代?”としか思えないあなたが悲しかったからです。やりようによってはどうにでもなるものです。私も自分を大人げないとは思いますが、こんなところで(失礼)、見ず知らずの人に愚痴、弱音を吐いているようじゃ、もう終わっているなと思うのです。私もアレを書いた日は、一年がかりの小説が大詰めを迎え、同じ志の者の、何か熱いモノを求めて検索をして、辿り着いたものですから、がっかりしてしまったのです。今は誰もが文章を書き、作家志望など珍しくもなく、オンライン小説も溢れかえるほど、作品に満ちています。そういった中で、自分たちを才能ある人間と思い、それを前提に悩んだり、慰めたりしていることに疑問を感じるのです。 小説の成功。納得のできる作品を納得のいく形で出版され、どこぞの誰かの心が、震るえてくれれば成功と考えています。目下の成功は、新人賞。突破口を開けなきゃ風は吹きませんからね。この書き込みにも様々な思いがあるでしょうが、特に前回は乱暴な言い方でした。すみません。私は来年三月の文藝賞に応募します。その結果をいずれ報告しますので、私がどんな程度の男だったのか、自分自身楽しみにしています。新人賞に応募経験のある方の、マニュアル本的ではない、経験談を聞いてみたいと思っています。いらっしゃれば是非、よろしくお願いいたします。
2000年07月15日:03時44分13秒
小説の成功ってなんだろう / 上野
小説の成功って、教科書なの? 部数を除くと、小説の成功ってなんだろう・・・

>しかも権力による弾圧でもなんでなく、ただてめぇの 選んだ仕事の飯のたねに過ぎないものに、押し潰されてる。バカじゃないかと思う。

十代? 仕事を選べる、社会に負けないなんって簡単じゃないぜよ。
鈍感? 世間知らずならではの発言だね、っと

(sf:brが閉じていなかったので修正しました)


2000年07月15日:02時58分49秒
感傷的な人よ、くだらない精神論は止めよう。 / MONK
押さえ込まれてしまうくらいのものが才能か? しかも権力による弾圧でもなんでなく、ただてめぇの 選んだ仕事の飯のたねに過ぎないものに、押し潰されてる。バカじゃないかと思う。うぬぼれ屋のセンチメンタルだよ。書けないんじゃなくて、突き動かされる衝動を感じない、鈍感野郎なんだよ。じゃなきゃ、元々才能なんかないんだよ。小説書くんじゃなくって、マスでも掻いてろ、と言いたくなる。ここは才能ある報われない人たちの憩いの場なのか? 自意識の暴走だよ。  誹謗中傷ではありません。
2000年07月12日:00時40分30秒
創造しないとつまんない!  / 本郷
仕事は面倒だよな、たしかに。でもさー、空想を形にできんのって才能だから、捨てると後悔するばかりだと思うぞ。
いいんだって、「生活」できれば。
家の扉をくぐったら、もう「私の時間」なんだ。
こころもち「世間情報」を仕入れておくのは処世術だけどさ、つまんなくくだくだ「仕事」でのこと考えるより
フィクション妄想してるほうが楽しいって。人生豊かだって!
だって、仕事してるやつって、クリエイティブじゃないつまんないヤツ多いやん。職場愚痴ばっかやん。
疲れを癒すだけの休日なんて
つまらんばかり・・・才能押さえ込んでもストレスたまるばかりだー

2000年06月30日:00時12分12秒
みんな読んだ?>来栖書き込み 凄い問いかけだー! / 孤独菜ノ花
ううううううっ! いわれてみると切々とクル! 一度は考えないとあかんかなー、小説でもTRPGでも。だれか、教えて先輩さんたちっ!
2000年06月09日:23時47分10秒
桜木隆ニさん、ありがとうございました。 / まさひろ
実は、桜木さんが最後に指摘いただいた様な状態なのです。読書の経験から、知らずに身に付いていたつもりだったものが、難しい言葉の前で、たじろいでしまう、そんな感じなのです。わかりやすく説明していただきありがとうございました。一度自分の作品を読み直し、タブーを犯していないかチェックしてみようと思います。ただ、どなたかがマニュアル本の類は、オリジナリティの欠如につながるので読まないという投稿をしているのを読み、自分も同意見なのですが、最低限守らなければならないルール(カメラの視点が心の内をえぐるような)は、学ぶべきだと思います。ルールを知らない者が、ルールを破ることはできない、と考えるからです。 初歩的な質問にお付き合いいただき、ありがとうございました。
2000年06月09日:11時50分13秒
4つの三人称 / 桜木隆ニ

三人称とは、「独白ではない文体」というとらえかたで、まずは(まずはですよ)いいと思います。

三人称には、4種類あって、これは主に「視点」でわけることができるようです。

・カメラの視点
・作者の視点
・登場人物A(主人公)の視点
・登場人物B(わき役)の視点

カメラ視点は、
眼に見えるものだけを描写します、
心理描写はありません(思考は眼に見ないからです)。
たとえば、「Aは思った」は使えません。
「Aは思ったようだった」「Aはため息をつき、頭をふった」
「Aは扉を開いたが、すぐに閉じた。顔を真っ赤にして廊下に戻り、胸を押さえながら階段を降りた」


作者の視点は、 シーンにある全部の物を書くことができ、登場人物すべての心理を描写することができます。
「Aは思った。Bも思っている。Cも同じ考えだった」
作者が書きたいものを書きたいように書けるので、一見簡単そうですが、読者を混乱させずに多くのことを伝えるのはやはり困難のようで、作者の筆力がはっきりとでてしまいます。

登場人物A(主人公)の視点  
その「シーン」の主人公が、眼で見ることのできるものと、主人公の心理描写「だけ」をします。
あえて乱暴な言い方をしますが、主人公の名前を一人称の「俺」におきかえても影響がないのはこれです(逆でも同じ)。
「Aの胸は痛んだ。Bが気がついたように見えたからだ」

登場人物B(わき役)の視点
主人公を、他の登場人物の視点で描写します。
主人公の行動や表情だけを描写して、Bが、Aを、どう「思った」かどう「見えた」のか、「だけ」を書くのです。
主人公が、本当は何を思ったかを書いてはいけません。外から見ているだけのBには、Aの心はわからないからです。


「小説作法」「文章作法」の本はたくさん出ていますが、
ぼくの経験からすると、人にすすめられたものよりも、図書館なり書店なりで立ち読みをして気に入ったものを熟読するのがベターですね。
推奨されると「この本の内容が理解できなければ、ダメなんじゃないか」といういたずらな焦りがでてきてしまって、小説を書く気力が萎えてしまうことは多いようです。


2000年06月09日:03時02分52秒
三人称って? / まさひろ
小説を書き始めたばかりの者です。 初歩的な質問で気が引けるのですが、よく新人賞なんかの選評を読んでいて、「一人称ではなく三人称で書いてみたら、もっと世界が広がるのに……」などというのを見かけますが、具体的に三人称がどのようなものか、教えていただけないでしょうか。 主人公が、僕や私で語り手がいない形が、一人称ですよね?間違ってたらはずかしぃ。
2000年05月29日:02時10分42秒
だれだって「中年」になるんだ / 鱸
誰だって「いい歳」「中年」になる。どう言われようと自分で自分に満足出来るように人生をすごせるか。だからこそ「辛いならやめればいい」。人生は、一人にひとつなんだ。
2000年05月28日:23時26分51秒
来栖さんへのレス / 鐘辺完
フィクションの作品はフィクションであるがゆえになにがしかのリアリティーが求められます。
 現実を直接見ている者にとって、非現実の世界を見せることによって、現実を認識する材料となります。現実と比較する対象としての「世界」だから、そのフィクションによって構築された世界は「現実」ともいえるわけです。
 現実を認識するためには非現実を知る必要があるため、フィクションの作品にはリアリティーが必要なのです。まるっきりウソんこなフィクション作品などごくまれでしょう。
「現実」という単一世界しか見えていない人は、「現実」を認識していることになるでしょうか? 「現実」を認識するために「フィクション」は必要なのです。
 ちょっと蛇足な余談になります。
 職場でアニメの話できないっていうのは、どうですかねぇ。私は相手が興味持ってないのを承知で話すことがあります。それで相手がひいてしまうのなら、それは相手の狭量さをなげくだけです。そういう相手の方が社会性を持ってないんですよ。いい歳こいてアニメ好きだって誰に迷惑かけるわけでなし。 私もね。最近そういう話できる相手はほとんどいませんよ。ちなみにもうすぐ31歳です。
2000年05月24日:23時43分02秒
わかる〜わかる〜 / もりもり
 とりあえず簡単に来栖さんのフリにレスをば。
 (下の来栖さんの記事から読んでね)
 
 すっげー分かる分かる。
 なんでオレこんなことしてんだろ〜。
 とか思うことあるよ(笑)。
 
 来栖さんの文章、ごめんなさいね失礼だけどオチや結論がない。たぶん迷ってるんだと思うんだ。
 すっげーよく分かるよ。そのキモチ。
 
 てかさあ、はっきり言って来栖さんみたいに社会と自分のズレについて悩んだりしないやつってのは、小説家としてはちょっと問題なんじゃないかって、オレは思うよ。
 悩むんでいいと思う。
 時が解決してくれるよ。きっと。
 オレも片手間に書いたりしてるけど、まだ答えが見えないしね。
 
 お互いがんばろう!
 ……って、ちと気恥ずかしいな……(苦笑)。
 
2000年05月24日:22時19分55秒
栗本薫にはかなわないから書く必要がない / メサビース
仕事でミスしておちこんでるときに快活なやつらのはなしも暗色のはなしもかくことはできない。実在非実在を問わずに他人のことに気が回らん。
みたいなことならば、よくわかるな〜。>来栖さん
社会って容赦ないランクづけしてくる処所だから。
ミスをした、時点で落ち込む。
ヨユウがなくなるよな。
ほんと、給料だけくれないかな=ダメ人間

ファンタジーとか、幼稚な気がしてくると駄目だね、もう。
俺にはグインサーガ(栗本薫 早川文庫)は書けないよ。あんなに上手に書けないぜ、なんて左の頬をひきつらせて膝をかかえて笑っちゃったら、
もう書けないよ、ファンタジー。
だって
他人の読んで満足できちゃうんだもんよ。

>フィクションを考えることが、虚しくなること…でもないんですけど。 以前書いていたようなファンタジー(学園伝奇もの)などが、既に書けなくなっている、というのはあります。
…なんかうそ臭いんですよね、話が(苦笑)

ってことは、他のジャンルにチャレンジされてらっしゃるんですか。
俺はファンタジー、スキなのに、どうやっても「ありがち」になっちゃって書けなくなった。
ファンタジーが難しいというより
自分が満足できる小説を書くのって、
凄いエネルギーを使うでしょう?
あれがね、翌日の仕事でのテンション考えるとね、考えようって気が失せてしまうんだ。

書きたい、って気持ちは、普通の人生送りたくないっていう、逃避 だったんじゃないかって辛く思う辛さよ。
「書きたくないなら書かなきゃいいじゃん」でかたずけられること、じゃないってこと上手くいいたいね。
書きたいけれど、

書けないんだよ、社会人してるとよー
仕事しながらプロになった作家って、
仕事をハンパにやってたんじゃないかなー…
2000年05月23日:20時15分03秒
Re:小説を書くことの意味 / E.R
来栖さんの文章、読ませていただきました。

フィクションを考えることが、虚しくなること…でもないんですけど。
以前書いていたようなファンタジー(学園伝奇もの)などが、既に書けなくなっている、というのはあります。
…なんかうそ臭いんですよね、話が(苦笑)

でも、話を書くことを、やめようとは思ったことがありません。

来栖さんの書きたい話というのが、どんなものかはわからないので、私もはっきりしたことは言えないのですが、
私自身は、外界からの刺激を受けて、返すことで話を書いてます。だから、話が書けなくなったら、それはもう、外界に対して自分が興味を喪いつつあるということだな、と。
今、私にできる一番楽な表現方法が、話を書くことですから。

うーん、上手く言えませんが。
でも。

>なんていうか、実(じつ)にならないことを妄想してることって、時間を無駄にしている、もっと
>役立つことか、社会人としての一般知識を高めたり、場を沸かせるようなネタをしいれたり考えたりするほうが
>有意義なんじゃないかと、思ったことありませんか?

 場を沸かせるネタなんて、たかだか一年持たないネタを仕入れることが有意義とは思いません(苦笑)

 最近、いつも思います。
 自分から出てくるものに、嘘はつけない。戦う気概がないものに、戦うキャラクターは書けない。頑張って立ち続けるキャラクターを書いたからには、自分の創作物にもとる生き方は出来ない。

 そう考えたら。
 フィクション考えるのも、捨てたもんじゃないのでは?

 それでは。
 ちなみに、私は社会人です(一応)。
2000年05月23日:18時35分25秒
フィクションの意義(Re:小説を書くことの意味 ) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 こんにちは来栖さん。
 アタシは小説書いたりしないので、様子を観ていたのですが。
 みなさん、いろいろ想う所があるのでしょう、コメントつかないので、書かせていただきます。
 
 アタシは、小説は書かないのですけれど、若い頃、マンガで食べてゆきたくって、大学出てから、数年アシスタントをしていた事があります。
 大したアレではなくって、まずは、エロ劇画誌とか、麻雀劇画誌の先生のお手伝いから始めました。
  
 一番最後は、なんとか少年漫画週刊誌の先生の仕事場に潜り込みましたけど、レベルが違うのでタイヘンでした。
 エロ劇画も麻雀劇画も月刊でしたので。週刊ってペースはそれだけで比較にならないほど殺人的です。
 
 はっきりゆうと、アタシは最後の仕事場では、猫の手にもならなかったと思います。体を壊して、うやむやの内にアシスタントを辞めました。
 そんなこんなで、アタシが定職に就いたのは27歳になってからの事です。
 
 こんなアタシの思う所、何かのご参考になるかと想い、しゃしゃり出てきました。
 
 >働くようになって、いつの間にか後輩もできてて、上司とか同僚とのコミュニケーションも生活のために必要になってきて、空想したり、想像(創造)することが、時間の無駄なような気がしてきてしまいました。
 
 そうですねぇ。その感じはわかるのですが。
 欧米ですと、学者で作家とか、作家で政治家とか、決して大勢とも言えませんけど、割といます。日本だと、森鴎外が軍医でしたよね。
 もちろん文化が違いますし、もう、そうゆう時代でないって声も聞こえてくる気もしますけど。
 
 上司や同僚の方とのコミュニケーションの話題も、創作のネタにならないって事もないように思います。(来栖さんが書かれる小説の傾向を知らないのでやや無責任な意見ですけど)
 
 例えば、村上春樹は、地下鉄サリン事件に取材した、インタヴュー集を出しています。あれが、どう彼の創作に活かされているのか、いろいろな観方はあるとは思いますが。アタシは少なくとも、一部で言われてるような、話題作り、人気取りの類ではなくって、やっぱり村上の創作意欲とどこかで関係してるのだろうと思ってます。
 
 >時間が流れて、歳をとって、友人たちはもう創作していません。ちゃんと結婚して子供います。
 >親だってもうあたしが小説を書いてるとは思っていないでしょう。普通の社会人だと思ってます。
 
 普通の社会人が創作にいそしんでも何もおかしいことはないと思います。
 
 >辛いっす。
 >もう5分もひたっていられない。
 >もっと小説のストーリー考えていたいのに。
 
 そこですよね。辛いって感じはアタシも体験あります。
 でも、なんとも言えません。
 書くのが一番なのだろうと思います。
 けれど、来栖さんの状況や、どんなものを書きたいのかがわからないので、何とも言えません。
 
 せいぜい言えるのは、「読者を掴めるとよいと思います」ってくらいでしょうか。
 特に、見知らぬ読者から感想が貰えると、凄く創作意欲の支えになる、と思います。(読者を掴むには、まず何本も書いて公表しないとなりませんけれど)
 
 アタシは結局、何年かかけて、マンガ描かなくなっちゃったんですけど。
 マンガ描かない自分(前はマンガ家目指してたのに)を納得するのに、何年か掛かったのを覚えています。
 その間、やっぱり、悶々とした思いを味わった事も覚えています。
 
 ただ、アタシとしては、「実(じつ)にならないことを妄想してることって、時間を無駄にしている」、とは思えません。だいたい、フィクションの構想はただの妄想とは質が違うはずですし。
 「役立つことか、社会人としての一般知識を高めたり、場を沸かせるようなネタをしいれたり考えたりする」事にも意義はあると思います。
 けれど、フィクションの意義とゆうのは、そうした実利・実益とはまた別の所にあるようにアタシには思えます。

 この件は、それだけでひとつの話題になるものと思いますので、今回あまり追求しませんけれど。
 簡単に言っちゃえば、歌の歌詞。
 歌の歌詞も一種のフィクションだとみなせます(みなせるものは決して少なくないです)。
 
 歌の多くは決して世の中の実利には、直接貢献しません(軍歌とかそーゆーのは実利に貢献するのかもしれないですけど、歌の全体からみれば割合は少ないと思います)。
 けれど、クジケそうな時に口ずさむと慰められる歌もあれば、元気の出て来る歌もあります(もちろん、ただ調子がよいだけの歌もありますけれど)。
 アタシは、フィクション一般にも、そうした個人を慰めたり元気付けたりする面があるよね、と思います。
#それはフィクションだけの意義であるような気もします(←最後のコレはよく考えないと断定しがたいですけれど)。
2000年05月21日:05時56分39秒
小説を書くことの意味 / 来栖
はじめまして。

で、いきなりですが、
みなさんは
フィクションを考えることって、ときどきエラク虚しくなってくることはありませんか?

ミステリーであれ、ファンタジーであれ、
パロであれ、二次小説であれ、
ジャンルはなんであっても
なんていうか、実(じつ)にならないことを妄想してることって、時間を無駄にしている、もっと
役立つことか、社会人としての一般知識を高めたり、場を沸かせるようなネタをしいれたり考えたりするほうが
有意義なんじゃないかと、思ったことありませんか?

働くようになって、いつの間にか後輩もできてて、上司とか同僚とのコミュニケーションも生活のために必要になってきて、
空想したり、想像(創造)することが、時間の無駄なような気がしてきてしまいました。
こんなことを考える自分は嫌です。
でも、もう諦めろ、ていう気持ちも湧くんです。自己満足に過ぎないんだから小説書くのなんてやめればいいじゃない、なことを言う自分が、あたしの肩を叩いて笑いかけてくる感じなんです。

時間が流れて、歳をとって、友人たちはもう創作していません。ちゃんと結婚して子供います。
親だってもうあたしが小説を書いてるとは思っていないでしょう。普通の社会人だと思ってます。

やめたくないなら続ければいい、と思っていました。
でも
職場での話題になることはチェックしないと、仕事で気まずいし、
アニメとかだって好きだけど、そのことを話せるのは年に一度、コミケで合う人とできるだけになってるし。同僚ぜんぜんしないし、したら絶対ひくし。
ジャンルはどんどん若い子増えて、みんなやめてくし。

仕事はしなきゃ、です。
いい歳して、働いてないのってみっともない。
でも、
それで小説書かなくなるのはイや。

社会人しながら、小説書いてるひとは、こんなことに思い至ってしまったことがあるのでしょうか。
こんなことを考えるものに小説を書くことは出来ないんでしょうか。
書くの好きなのに、状況がストップをかける。

辛いっす。
もう5分もひたっていられない。
もっと小説のストーリー考えていたいのに。

小説書くこと、やめようって思ったことある方、お返事下さい。

女々しけど、書き直さないです、本音ですから。
2000年03月05日:07時53分15秒
長文投稿案内:「[ストーリーと物語内容]「ストーリー(話)」の意図的曖昧化」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシの投稿、「[ストーリーと物語内容]多様な物語内容解釈を保証する構成テクニック」 (当掲示板,カンナ記,2000年02月14日:20時30分36秒)、で予告しました投稿の第二弾を「簡易長文投稿」から、「簡易長文ログ」に投稿しましたのでお知らせします。
#「長文書くコツ・とゆーほどではないですが」 (当掲示板,カンナ記,2000年02月18日:18時10分09秒)、でも予告したものです。
 
 ★「[ストーリーと物語内容]「ストーリー(話)」の意図的曖昧化」、です。
 よろしければ、お読みください。
 
 この長文投稿は、「[ストーリーと物語内容]「ストーリー(話)」の意図的欠落」に続くものです。
#「[ストーリーと物語内容]「ストーリー(話)」の意図的欠落」 (簡易長文投稿LOG,カンナ記,2000年02月17日:01時16分33秒)
 
 「[ストーリーと物語内容]多様な物語内容解釈を保証する構成テクニック」、では、「多様な物語内容解釈を保証する構成テクニック」について概論を記しました。
 
 「[ストーリーと物語内容]「ストーリー(話)」の意図的欠落」、では、物語作品での「物語内容」が多様な読解を許容する<構造>を成立させる「ストーリー(話)」の構成テクニック、「『ストーリー(話)』の意図的欠落」について具体例を観ました。
 
 今回の長文投稿、「[ストーリーと物語内容]「ストーリー(話)」の意図的曖昧化」、では、物語作品での「物語内容」が多様な読解を許容する<構造>を成立させる「ストーリー(話)」の構成テクニックとして、「『ストーリー(話)』の意図的曖昧化」について観てみます。
 
 作品としては小説ではありませんが、よく知られている「大きな古時計」の歌詞を、物語とみたてて分析してみます。
 
 今回の長文投稿の内容は、「創作論 LOG 003」に投稿してあります、アタシの投稿、「[ストーリーと物語内容]ケーススタディ『大きな古時計』の物語」を発展させたものです。
#「[ストーリーと物語内容]ケーススタディ『大きな古時計』の物語」 (創作論 LOG 003,カンナ記,2000年01月29日:08時31分26秒)
 
 内容も上記投稿と大分重なっていることをお断りしておきます。
 アタシとしては、こちらの文章の内容の方を現時点の意見として優先させて考えていることもお断りしておきます。
 
 ■投稿の概要
 物語作品での「物語内容」が多様な読解を許容する<構造>を成立させる「ストーリー(話)」の構成テクニック、それと「語り」のテクニックのひとつ、「『ストーリー(話)』の意図的曖昧化」についてみます。
 サンプルとしては、小説ではありませんが、よく知られている「大きな古時計」の歌詞を、物語とみたてて分析してみます。
 
 サンプルを選んだ理由はとくにありません(笑)。が、強いてゆうと、、、
・全編に渡って曖昧化のテクニックが効果的に使われていること。
・それから、テクストの分量が少ない割に豊かな「物語内容」を持っていること。
・テクストの分量が少ないので分析をし易いこと。
・「ストーリー(話)」の内容は平易であること
  、、、などが挙げられます。
 
#今回の長文投稿は以下のような構成を持っています。
■投稿の概要
■物語内容解釈の手順
■作中の語り手の立場・観点(位置付け)
■「ストーリー(話)」の起点と終点はどこか
■語られている「ストーリー(話)」は何か
■モチーフ(題材)とライト・モチーフ(主要題材)の関連
■「ストーリー(話)」と語りの構成の比較
■「ストーリー(話)」から解釈される「物語内容」
◆まとめ

2000年02月25日:10時50分20秒
投稿ご案内:「ファンタジーのジャンルと人それぞれのファンタジー観 」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「TRPGのためのファンタジー設定の部屋」に、「ファンタジーのジャンルと人それぞれのファンタジー観 」 (カンナ記,2000年02月25日:10時47分15秒)、って投稿をしました。
 
 この投稿は、以前創作論 LOG 003に投稿した、「[ジャンルについて]『ジャンル』って言葉アレコレ」 (カンナ記,2000年01月30日:11時34分48秒) 、と関連した内容だったりします。 興味をお持ちのかはみてくださると嬉しいです☆
2000年02月22日:23時58分18秒
せりふでいきましょう。(続・平易な文章にするには) / 鐘辺完
>鍼原神無さん。
 [Re:平易な文章にするには]のところの文章は、説明ではないせいか、文章が結構平易ですよ。そのノリで書いてしまえばいいんじゃないですか?
 ちょっと乱暴な話ですが、架空のふたりのキャラを用意して、そのふたりで掛け合いの会話をするという形で書くとかなりくだけた文章になるでしょう。そのあと、体裁を整えるといいんではないかと。
 やっばり無茶ですかね。
 それじゃ、最初に口語体、というよりしゃべるのと同じような書き方をしてみるというのはいいんじゃないでしょうか? 
2000年02月22日:18時42分00秒
Re:平易な文章にするには / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>鐘辺 完さんへ
 アドバイスありがとぉございます☆
 感謝してますです。
 
 参考になります。
 なりますけど……、アタシにとってはとてもむづかしーです。
 
 「複文減らして単文に」は、言われるとおりです。
 アタシも気にしてはいるのですが、時間と手間を惜しむとダメになっていまします(汗)。
 
 まず、複文で書いちゃってから、できるだけ、単文に直すような書き方をしているので。それがいけないのだとは思うのですが。
 
 「熟語を減らす」、はこれはとても困難です。
 アタシは自分の作文の風格とかは、別に気にしてはいないのですが。
 
 鐘辺さんが挙げてくだすった例文ですと、、、
 「恣意的」は、「きまま」なだけでないんです。「無根拠」でもあるのが「恣意的」で、「元テクストに根拠を持たない」との含みを持たせたいです。
 「読解」も、ただの「読みとり」ではなく、「判断+解釈」との含みを持たせたいです。
 
 ですので、「複文減らして単文に」は、手間を惜しみさえしなければ、効果を挙げると思います。手間を惜しまないで減らさないとダメですね。
 「熟語を減らす」の方は「複文を単文に」ほどは、こなせる気がしないです(汗)。
 
 なんか、情けないこと言ってますけど、アドバイスにはほんとに感謝してます。
 甘えるようですけど、他にもなにかありましたら、ご指摘いただけますとありがたいです。
 
 ではでは。
2000年02月19日:07時10分30秒
平易な文章にするには / 鐘辺 完
>鍼原神無さん。
 一文をもうちょっと短くすれば、多少読みやすくなると思います。

 あと、熟語の連続するのをやめてみるとかどうでしょう?
 例えば
 「恣意的な読解も可能」を
 「きままな読みとりかたもできる」に。
 風格はなくなりますけどね。

 参考になれば幸いですが。
2000年02月18日:18時10分09秒
長文書くコツ・とゆーほどではないですが(短い:笑) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>鐘辺 完さんへ
 えーっと……、アタシが書いてる長文は、ほとんどリクツですので。
 小説書いたりするのとは、脳みその使ってる部位が違う・はず・と思います。
#昔、マンガ描いてたときにそう思ったんです、作業した後で、頭の疲れる部分があきらかに違うんです。
 
 リクツ「だけ」で書けっちゃう文章は、少しづつ書き継いでくのも楽なんだと思うんですね。
 書きかけの文章読みなおして、論旨をチェックしてけばよい・だけなので。
 
 レヴューや批評文(もどき)を書くために資料をサーベイ・チェックしてるときも、そー思います。
 なんとか新書、みたいな概説資料は、ちょっと時間を置いちゃっても、調査を再開したときに、前の時点で何を考えて(考えよーとして)その資料にあたってたか、比較的すぐにリカバーできます。
 
 比較して、レヴューで扱う小説作品とかの読解だと、ノートをとりながら読んでいっても、短時間で集中して処理していかないと、すぐに読解の脈絡をみ喪っちゃいます。
 
#さすがに、きちんとした批評文芸や、思想書の類は小説作品と同じぐらい集中して読まないと、すぐわけわからなくなります(笑)けど。
#もっとも、小説と、批評文芸、思想書だと、また脳みその使う部位ちょっと違う気もします。
 
 ですので、やっぱり実作される方はタイヘンだなー、とゆーいつもの結論に落ち着いてしまいます(苦笑)。
 アタシも、いろいろ書いてって、「もどき」ではない、批評文芸(←文芸批評ではない)をものするのが野望なのですが(笑)。
 
 あー、なんとゆー、中味の無い投稿でしょうか(苦笑)。
 
 あ・そーだ。「しかも文章が難しいです」の件は精進します、としか申し上げようがないです。すいません。
 なんてゆーか、ちょっと手間を惜しむとすぐに、志に反して、難しい・とっつきにくい文章になってしまいます。
 平易な・とっつき易い文章書く方がタイヘンだと、いつも思っています。
 もし、よければ、「ここがわかりづらいよ」みたいなお話をお聞きできると、ありがたいです。
 
追記≫品崎さんへ
 追記で失礼します(礼)。
 お忙しそうですね。レスとかは、アタシは楽しみにお待ちしてますので、どうかゆっくりめで。
 ことに、[ストーリーと物語内容]は、まだダイブ時間かかりそうな感じです。
大予告☆(ダイジョブか?:笑)
「『ストーリー(話)』の意図的曖昧化をもたらす構成」では、「『大きな古時計』の物語読解・逆襲編(仮)」(笑)
「『ストーリー(話)』の意図的錯乱(矛盾要素)を持ち込む構成」では、アニメ『少女革命ウテナ』

 、、、を書きます・予定で、投稿日・未定(笑)です。
 
 ではでは。
2000年02月18日:07時29分40秒
鍼原さんの長文 / 鐘辺 完
>鍼原さん。
 長文が多いですね。しかも文章が難しいです。 夜勤明けに読むにはヘビーで、読めてません。
 これだけ書いてくれる人が「実作」してくれていてノウハウを分かち合えたら幸せなんですけどね。
2000年02月18日:07時24分53秒
「儀式」のいろいろ / 鐘辺 完
 いろいろってほどじゃないんですが、プロ作家の場合は 雑誌をぱらぱら読むとか、……あ。ほかに知らない……。
 私は「テトリスする」とか「ひたすらぼぉーっとする」とか「ビデオ(AV含む)を観る」とかですね。
 特にAVの気持ちいいのはよく効きました。けど、最近「効く」AVがないのです。
 ああ、話が下品なほうへ……。
2000年02月18日:00時28分45秒
[儀式]とかいろいろ / 品崎
 す、すみません〜。
 ほんっといろいろ身辺でゴタゴタしていてレスを返すのが遅れてしまいました。
 
 とりあえず小説を書く前の儀式などについては僕は実はとくになんにもしないです。
 というか記憶にない……(笑)。
 でもスランプみたいなことに陥ることになるときもあるから、(わりと今がそうだったりして)
 そういう儀式みたいなことを編み出してなにか実行してみるのもいいかもしれませんね……。
 鐘辺 完さんは他にどんな"儀式"をご存知なんですか?
 是非いろいろ聞いて参考にしてみたい……。

 あと、鍼原さん。いつもながらに恐縮しております。
 前回の僕の書き込みにレスありがとうございました。
 どうも文章がまとめられず、今回は挨拶だけなのですが(笑)。
 ──はい。僕は"初志貫徹"します(笑)。
 ただ、僕は最初から自分のスタイルを貫くつもりでいるから、いいんですけど、きっと他の考えをもっている方とかいるんじゃないかと思って、あえてあんな書き込みをしてみました。
 うむむ。意見は少ないみたいですね……(笑)。

 長文投稿なども拝見しました。
 でもまだ吟味が終わっていないので、また日を改めて書き込みします。

 僕のかきこみがなくても、単に忙しいものだと思って気にしないでください。
 ちょっと最近ほんとにシャレにならなくて……(泣)。
 そんなワケでこれからもよろしくお願いします。
 
2000年02月17日:01時27分28秒
長文投稿案内「[ストーリーと物語内容]『ストーリー(話)』の意図的欠落」 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシの投稿、「[ストーリーと物語内容]多様な物語内容解釈を保証する構成テクニック」 (当掲示板,カンナ記,2000年02月14日:20時30分36秒)、で予告しました投稿の第一弾を「簡易長文投稿」から、「簡易長文ログ」に投稿しましたのでお知らせします。
 
 「[ストーリーと物語内容]『ストーリー(話)』の意図的欠落」(ネタバレアリ)、です。
 よろしければ、お読みください。
 
 先の投稿では、「多様な物語内容解釈を保証する構成テクニック」について概論を記しました。
 今度の長文投稿では、物語作品での「物語内容」が多様な読解を許容する<構造>を成立させる「ストーリー(話)」の構成テクニックとして、「『ストーリー(話)』の意図的欠落」について具体例を観ています。
 
 作品としては小説ではありませんが、OVA〔オリジナル・ヴィデオ・アニメ〕『トップをねらえ!』(BANDAI,EMOTION)を観ることにしました。
   なお、今回の長文投稿では内容の性質上、OVA『トップをねらえ!』の、ネタバレを多量に含んでいることをお断りしておきます。
 
■投稿の概要
 物語作品での「物語内容」が多様な読解を許容する<構造>を成立させる「ストーリー(話)」の構成テクニックと、「『ストーリー(話)』の意図的欠落」について、OVA〔オリジナル・ヴィデオ・アニメ〕『トップをねらえ!』(BANDAI,EMOTION)をサンプルに観てみます。
 
 サンプルを選んだ理由はとくにありません(笑)。が、強いてゆうと、ストーリー性の比重が高い傾向が顕著なSFジャンルにも関わらず、比較的豊かな物語内容を持っていること。
 それから、今回特に検討する、Vol.3(第3巻)収録の最終話(第6話)「果てしなき流れの果てに・・・」のエンディング・パートに「意図的欠落部分」の好事例があるから、といった理由です。
#『トップをねらえ!』の物語内容すべてを、この検討で解釈することは考えていません。
#が、解釈の重要なキーポイントは指摘できるでしょう。
 
#今回の長文投稿は以下のような構成を持っています。
■投稿の概要
■『トップをねらえ!』作品概要
■最終話とエンディング・パート
■一万二千年後の地球
■物語内容解釈の見通し
◆補論:OVAとノヴェライズの関係

2000年02月14日:20時37分00秒
[儀式・気分転換]「#もの書きチャンネル」はよいですね / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシは煮詰まっちゃったときは、アタシの思考・志向を割と理解してくれてる知人との長電話が助かるんですけど。
 IRC(irc.trpg.net/irc.cre.ne.jp) #もの書きの方は、煮詰まっちゃう前の段階で割とよいと思います☆
 
 割とみなさん、裏で作業しながらチャットしてる人も多いみたいで(私見)。
 アタシもときどき、長いの書きながら、チャットROMしてることもありますし。
 こーゆー使い方は、割と励みになると思うんです。
 「苦労してるのは自分だけでない」みたいな感じで。
2000年02月14日:20時30分36秒
[ストーリーと物語内容]多様な物語内容解釈を保証する構成テクニック(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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 「『ストーリー(話)』が解釈された『物語内容』が多様な読解を許容する<構造>を持っている物語作品ほど優れてる」、って観点から、「多様な物語内容読解を可能にする構成テクニック」について考えてみます。
 
#この投稿は以下のような構成を持っています。
投稿の概要
「物語内容」の多様な解釈と、<構造>について

投稿の概要
 物語作品においては、「ストーリー(話)」が解釈された「物語内容」が多様な読解を許容する<構造>を持ってるものほど優れてる。
 なぜかとゆうと、「『ストーリー(話)』と『物語内容』とにあまり差の無い物語作品」と、「『ストーリー(話)』に立脚した多様な『物語内容』ある物語作品」を比較すると、後者の方がやりがいのある「読解(解釈)」が期待できるし、「読解(解釈)」の楽しみを豊富に引き出せるから。
 とゆー、立場からから考えてみます。
 
 多様な物語内容読解を可能にする作品構成のテクニックには、次のようなものがあります。
●「ストーリー(話)」に意図的欠落を設ける構成
●「ストーリー(話)」の意図的曖昧化をもたらす構成
●「ストーリー(話)」の意図的錯乱(矛盾要素)を持ち込む構成
 
 もちろん、これらがすべてではなく、他の手法もありますが。とりあえず、「意図的欠落」、「意図的曖昧化」、「意図的錯乱(矛盾要素)」について考えてみようと思います。
 ただ、今回の投稿は、それぞれの構成テクニックを個別に考えてく前の、概論、なんですけど。
 
「物語内容」の多様な解釈と、<構造>について
 「構造」とゆう言葉は、日常語では、「構成」に近い意味を持っています。
 例えば、「構造物」、と言えば普通は「建築とか、のように確固とした物質的な『構成(構造)』を持ったいるもの」、の事ですね。
 
 ところで、二十世紀に入ってからの文科学・社会系の諸学などで<構造>、と言われるのは、こうした、「単一で確固とした『構造』」の事ではありません。
 特に、物語作品や物語内容について言われる場合の<構造>は「単一で確固とした“構造”」を意味しません。
#厳密にゆうと、人類学で、「構造・機能主義」が言われる場合などの“構造”は、より日常語の「構造」に近い意味あいだったりしますけれど、その辺の細かいことは今は関係ないでしょう。
#ここで、指摘していることとは、文芸に関する限り、二十世紀的な言語論・言語学との関連で、<構造>といえば、「単一で確固としたもの」ではない、との指摘ですので。
 
 これも言葉の多義性の現われですので、困った事ではあるのですけど仕方ないです。
 
 <構造>とゆうのは、もともと数学の概念であるそうです。
 厳密には、写像変換される一群の図形の集合とかが、「同一の<構造>の図形」と呼ばれるようです。
 
 このように使われる<構造>は、日常語でいわれる「構造」のように「確固とした単一の構成」とゆう内容・ではありません。
 
 物語作品について、“構造”がいわれるときは、もちろん、この<構造>の方の意味で使われているわけです。ただ、物語作品についていわれるそれは、根本的には現代言語学(構造言語学)の知見に基づいています。
 数学でゆう<構造>とはまた違った性質もあるのですけれど。ここでは、その差違については追及しません。
 日常言語でいわれる「(単一の確固とした)構造」と、「(多様な様態を潜在させた)<構造>」、との違いのほうが決定的ですので。
 
 困った事に、こうした事情を知らないで、「物語作品の創作は、単一の確固とした“構造”を創ることなので、他人の判断によって“構造”やストーリーが変えられてしまえば、文学性や芸術性が損なわれる」とか、ナンセンスでトンチンカンな意見が大マジメに言われたりします。
 
 言うまでもなく、うえの様な意見は、「ストーリー(話)」と、「物語内容」を曖昧なまま混同した杜撰な意見にすぎないです。
 同時に「作品の構成」(←これは基本的に単一のものです)と「物語内容の<構造>」(←こちらは多様です)の区別が理解されていない点も、ナンセンスな意見です。
 
 もし、仮に「建造物のように、単一の確固とした『構造』を持った物語テクスト」があった、としてみましょう。
 自然言語で書かれたテクストは必ず解釈の余地を持ちますので、この仮定は本来ありえない事項なんですけど、理論上の仮定として考えてみます。
 
 当然、そうしたテクストは、単一の読解しか許容しません。
 こうしたテクストが、時代や、社会環境、文化背景を越えた読者を感動させることは考えられない事です。
 この一点からだけでも「物語作品の創作は、確固とした“構造”を創ることなので、他人の判断によって“構造”やストーリーが変えられてしまえば,文学性や芸術性が損なわれる」って意見はナンセンスなものであることは明白です。
#うえの説明が納得できない方は、古典的な演劇脚本の再演(再現ではない)、による「物語内容」改変の事例を考えてみるられるとよいでしょう。
#演劇では、脚本テクストに書かれたセリフや演出指示をまったく改変せずに、異なった舞台を創作することが可能です。とゆうか、そうした創作に文学性や芸術性が見出されるのが、演劇とゆう文芸ジャンルに顕著な特性です。
 
 「物語に単一で確固とした“構造”」しか認めない意見は、ナンセンスなだけではなく、実はこうした意見は、結果として物語作品の権威主義的な解釈を補強してっちゃう意見でもあるんです(論者の意図がどこにあれ、そうゆうふうに機能しちゃう言説なんです)。
 なぜかとゆうと、「作品の解釈は単一だ」、って浅はかな先入観が、「やはり、作品の単一な解釈権を確保しようとする権威主義」を意図せずに補強してっちゃうわけです(平たく言えば権威主義にとってはカモネギなわけ:苦笑)。
 
 多分、作品に単一の解釈をしか見出せない人は、ある作品を繰り返し読んで、新しい読書体験を得る、とゆう体験の無い不幸な人だと思われます。
 
 何度か、書いていますけれど、「物語作品の多様な解釈」は、「ある作品テクストからどのように恣意的な読解も可能である」とゆう事態とは、異なります。
 
 確固とした「作品構成」から判断される「ストーリー(話)」が解釈されることで、「多様な解釈」が成り立ちます。
 
 比喩的に言えば、この事態は、一定の底辺(←これが、確固とした「ストーリー」にあたります)を共有した無数の三角形(←多様な解釈による「物語内容」)といったイメージに類比できます。
 
 そして、より豊かな物語内容の多様性を保証する作品構成のテクニックとして、「『ストーリー(話)』上の意図的欠落」、「『ストーリー(話)』上の意図的曖昧化」、「『ストーリー(話)』上の意図的錯乱(矛盾要素)」、他があるわけです。
 
 よければ、投稿をあらためて、それぞれの構成テクニックについて、順番に事例をみてみたゆきたいと思います。
 
#この投稿は以上です。 

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2000年02月12日:20時26分42秒
書きはじめるまでの儀式 / sf
 IRC(irc.trpg.net/irc.cre.ne.jp) #もの書きのほうでも、つまった時にやること、とか言う話題で似たようなものがでましたけど。
 長電話の代わりにIRCでチャットすることで、煮詰まったのを打破するという手もありますね。へますると、そのまま時間を潰してなにもできなくなる危険性もありますけど。
2000年02月12日:06時59分33秒
「儀式」は短いほうがいいといえばいい / 鐘辺 完
 鍼原神無さん。「書き散らかし」、参考になりました。
 私もパソコンに書きかけファイルは大量にあるので、試してみます。
 長電話は残念ながら「同好の士」がなかなかいないもので、どうにも……。
 儀式と気分転換は別ですけど、気分転換の方も必要ですよね。私は気分転換に「寝る」……そして、下手すると起きるのが8時間後。意味ないって。
2000年02月11日:10時30分47秒
[儀式]書き散らかし、とか長電話とか / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>鐘辺 完さんへ
 こんにちは。
 えーっと、「儀式」ですね。
 小説でなくてもよい、とゆーことなので。
 
 アタシの場合、「書き散らかし」でしょうか。
 書きかけのレヴューや批評文のテキスト・ファイルがデスクトップにおいてあります。
 だから、パソコンたちあげるたびに、「あー、コレとコレが書きかけだー」って思います。
 
 で、いくつかの、ファイルをあけてみて、あー、ここがだめだなーとか、前日書きかけのとことかオーヴァー・ライトでチョコチョコ手を入れてる内に、アイディアが出るんで、おもむろに、続きに取りかかります。
 これが、アタシの儀式と言えば儀式かなー。少し違うかもしれないですか?
 それに、これは、小説書いてられるみなさんに比べて、アタシの書いてるものは(比較すると)短いものの方が多いから・かも・しれないですよね。
 
 あんまり、書きかけが増えるとデスクトップがうっとーしくなるんで、一定数以上増えたら、専用フォルダに整理します。
 で、書きたいものがあるときは、いーんですよね。
 パソコンたちあげると、「あー、コレとコレが書きかけだー」ですから。
 
 意欲や発想が枯渇してきたときは、書きかけをしまってある、フォルダの大掃除をします。
 電子テキストだから、切り張りしてまとめたり。オーヴァー・ライトしたり。
 いろいろしてる内に新しい発想を得たり、得なかったりいろいろです。
 
 うーん、勢いづけとゆーのとはちょっと違うかもしれないですねー。
 詰まったときに「勢いつける」には、アタシは長電話です。何人かのオフ・ラインの知人に、「いまさー、こーゆーの書こうとしてるんだけど、なんか詰まっちゃっててさー」みたいな長話し。
 こーゆー長話しができるのは、同好の士ってヤツですので、向こうからも長電話かかってきます。
 そーゆーときは、もちろん基本的に応じます。
 
 割とお互いに好き勝手なことを話してます(だから長電話になっちゃうんですけどね)。
 「オレなら、こーゆーふーに書いちゃうぜ」とか、「アタシ今、コレコレのレヴュー書いててさー、参考になる?? なんない? そっかー。あはは、そりゃザンネン」とか。
 これは、割と「勢い」つけるのに、役にたちます。
 
 うーん、「儀式は短いほうがよい」、とかプロの人は言いますよね。
 だから長電話とかはホントはよい儀式ではないのかもしれませんねー。
 
 あー、後やっぱり、書いてて詰まっちゃったときの気分転換ってゆーのはいろいろありますけど。
 儀式と気分転換はまた別、でしょーか? どーなんでしょーね??
2000年02月11日:08時01分27秒
「儀式」はどうしてますかリターンズ / 鐘辺 完
 前回、質問を書いたんですが、それがまあ、誰もレスしてくれないうちに、切り出されてしまってさみしい思いをしています。
 というわけで、みなさん、もう一度質問させてもらいます。
 小説を「さーやるぞ」という勢いづけというか、始めるタイミングを計るためるやること、つまり「儀式」はどんなことしてますか? 間抜けな質問かもしれませんが、けっこう切実なんです。どうですか? 別に小説じゃなくっても、レポート書くとか、写経するとか、そういったものでもいいんです。なんか返事ください。
2000年02月08日:09時14分13秒
[関係性での描写・暗示]脇役の魅力・印象付け(長いです) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 TRPG.NETのIRCサーバーに用意されてる「#もの書き(チャット)」チャンネルの、「閑なときのお題」が昨日、「魅力的な脇役を短い文章で描くには?」に変わりました。
#「#もの書き 自動公開ログ」にあります、「20000207.txt」の、23:10:04 頃からですけど 

 えーと、短編なんかだと、多分、「性格変化」なんか書けないですよね、特に脇役では。
 
 中・短編での脇役を魅力的にするには、多少多面性のある性格・役柄を、関係性で描写・暗示してく
 
 特に、初登場のシーンから、役柄・にんげん関係を関係性を通して描写・暗示し印象づける、のがよいのではないかと思います。
 
 まず、「多少、多面性のある性格・役柄」ですけど
 コレ一言で言えば、紋切り型は止めましょうって事なんですけど。だからと言ってあまり複雑にすることもないでしょう、って感じです。
 「◎◎で◆◆」くらいでよいのではないでしょうか、脇役の場合。紋切り型は止めましょう、ですけど、なにも奇を衒う必要もないと思います。
 
 「おねぇ言葉でしゃべる美容師(♂)」ってゆうのは、紋切り型ですけど。
 「ボディービルやっててムキムキマッチョな美容師(♂)」ってゆうのは、少々奇を衒ってる気がします。
 これが、、、
 「サーファーっぽく日焼けしてておしゃれな美容師(♂)だけどホモ」とか、
 「日焼けサロン通っててエアロビもしてる健康的な美容師(♀)」とかだと、少しは多面的だし、気を衒ってもないのではないと思う、とか、そんな感じ。
 
 それから、「関係性での描写・暗示」ですけど
 まず「性格」は、設定段階から、実体視しないで、言動や関係性で構想してった方がよいと思います。
 
 「言動」で、とゆうのは、例えば、「だらしない」とか「神経質」とか「細かい」とかだったら、どんな身なりをしていて、どんなふるまいをするかを考えて描写する。
 間違っても、「彼は神経質そうに◎◎した」とか「説明」を使わない。いくら脇役でも、説明を使うとそれだけ魅力的が減ると思います。
 
 「関係性」で、とゆうのは、例えば、近しい関連にあるキャラクターの評価や、信頼感などを、言動でやはり描写する。大まかに言って、ボケと突っ込みのような方向もありだと思います。
 
 で、短い文章で描くには、こうした描写・暗示が折り込まれた典型的小エピソードを、ポーンと出して読者に印象づけることだろうと思います。
 
●事例
 ちょっと抽象論だけではアレなので、具体的事例を出します。
 
 小説ではありませんけど。飯田譲治脚本作品『沙粧妙子 最後の事件』から。
 連続TVドラマがヴィデオ化されてる作品です。
 事例は全4巻のヴィデオの第1巻の冒頭から紹介しましょう。
 
 『沙粧妙子 最後の事件1』,ポニー・キャニオン,PCVC-30453
 
◆冒頭シーン(脇役ではないですけど)
 物語は、地方から研修の希望を数ヵ月出していた松岡ユキオ(柳葉敏郎)が、仮配属される捜査1課の捜査現場に呼び出されるところからはじまります。
 
 「結婚を前提に付き合っている恋人」と、引っ越してきたアパートで寝ているところを、深夜電話でたたき起こされ、捜査1課長香坂警部(蟹江敬三)に呼び付けられます。
 
 実は、この1、2分たらずの冒頭シーンからして凄くうまい。
 
 夜・安アパートの一室。荷解きが完了してない荷物の隙間で、折り重なるようにして眠りこけてる男女。多分暑くて寝苦しいのだろう。
 突然鳴る電話。寝ぼけたまま電話に出る松岡。
 
 「松岡・ユキオくんだな」
 「……はぁ」
 「捜査1課の香坂だ、君は今日から現場研修だったな」
 「はぁ……」
 「今から応援に来て欲しいんだ」
 「……はぁ」
 「事件だよ! 現場にこいって言ってんだ!! 刑事だろッ! 眼ぇさませッ!!」
 「は・はいッ!」
 
 大声に驚き眼を覚ます恋人。眼を大きく見開いて松岡をみている。

 
◆おミソクン(脇役)登場
 次のシーンで背広を着た松岡は捜査現場にあらわれます。何台ものパトカーが来ていて物々しい様子。
 捜査1課に、ひとり若手の刑事で、頼りない感じのキャラがいます。役柄的には「おミソ」って感じなんですけど。
 いつも、たたき上げの刑事達に小突き回されながら、仕事してる可哀想な役柄。

 で、このおミソクンの初登場シーンが、またうまい。
 
 まず、このおミソクンはいい背広をおしゃれに着こなしています。リッチな家庭で育ったボンボンって感じです。観てるほうはもしかしたらキャリア組のエリートってヤツかな? とか思います。
 
 パトカーのボンネット上に指名手配犯人のモンタージュー写真手配書を置いてるおミソクン。
 
 嬉しそうに赤の太字マジックで、モンタージュ写真の上にバッテンを書きながら、、、
 「これで、連続猟奇殺人事件もやっと解決ですね」
 「まぁだ、逮捕してねぇんだよ、このバァカ」拳固でおミソクンをどつく。
 
 も一人、年配の刑事が寄って来て、「ばか」とはたく。
 それを観ながら眉を寄せる松岡。

 
 おミソくんの性格も職場での立場・にんげん関係も、それから職場の割と殺伐とした雰囲気も、一遍にわかってしまいます。
 
 こーゆー感じで印象づけてくのが、うまい描写と思います。
 おミソクンなんて、いわゆる「魅力的」ではないと思いますけど。凄く印象に残る。
 
 と、ゆうのは、この後おミソクン、ドラマのうえで、いかにも頼りない若手刑事がしでかしそうな、失敗・失態を何度か重ねてくんですけど。はじめからそうゆう頼りないとこのある人物だ、ってことが受け手に印象づけられてるのは効果なんだと思います。
2000年02月07日:02時42分55秒
創作論 LOG 003 / sf
 創作論 LOG 003として2000年01月20日から2000年02月06日までのログを切り出しました。
連絡先 / 創作論 ログ / 創作小説!!