創作論 LOG 002

創作論の1998年11月12日から2000年01月20日までのログです。


2000年01月20日:01時08分31秒
プロットの扱い(小説でないけど:汗) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>羽樹さん
 こんにちは。
 品崎さんや、鐘辺 完さんが、羽樹さんのリクエストどうり、小説の実作経験から発言されましたので。アタシは、小説でないけどよいですよね(?)。
 一応、ご参考にならなくもない、と思いますので。
 
 えーと、批評文でも、プロットにあたるものはありまして。まー、ラフな構成って感じですけど。一応、読者の範囲を想定して、かつ、具体的イメージも持つようにしながら、構成考えます。
 この構成(≒プロットにあたるもの)の扱いは、アタシの場合、短文、長文、それからその中間的な長さでダイブ違います。
 
 アタシの場合、1本にまとまったもので過去最長の文章は、同人誌に書いたアニメについての批評文で、たしか、400字詰原稿用紙で70枚くらいだったと記憶してます。
#品崎さん、250枚ってすごいですねー。400字ですか? 200字ですか? いぁ、どちらの場合でも凄いと思います☆

●短文の場合 
 最近は、あるサイトでシコシコ、レヴューを書いてるんですけど。そのサイトはシステムの関係で文字数が限られてまして。これがかえって、アレコレ考えながら作文するのに役立ってます。
 えーと4,096バイトってどれくらいなんでしょーね? ←そこで文字数ギリギリまで使った事例なんですけど。アタシ、コンピュータのことわかんなくって(苦笑)。
 
 そのサイトに限らず、アタシはレヴューはあまり長くならないように、と思って書きます。
 ですので、プロットにあたるものを考えると、それがほとんどそのまま構成になってゆきます。
 
 最近試みているのは、ある連作小説について、複数のレヴューを書いていって、後でそれを一度バラバラにしながら加筆・再構成してゆき、短めの批評文が書けないかなー、とかチャッカリしたプランなんですけど(笑)。電子テキストの強味ですね。
 連作の一作、一作について、レヴューを書いて、それから、連作を通じた主人公について、主人公の恋愛関係について、とか主題を少しずつズラしながら、一連のレヴューを書いてみようとしているとこです。
 
 レヴューって小説で言ったらショート・ショーくらいの長さがよいとアタシは思うんですけど。構成も小説よりすごくシンプルにできると思います。
 まず、紹介する作品を読んでいない読者を想定して、その作品でアタシが一番注目して欲しいポイントを結末の方に考えて、冒頭には、読者に関心を持ってもらえそう(とアタシが思う事柄)を書いて、それくらいですねー。構成とか言っても。
 
●中間的な長さの場合
 これが、短めのものでも批評文みたいになってくると少し違って来ます。
 アタシが批評文を書く場合、まず、批評対象になる作品について、メモをどんどんとってゆきます。
 これも、電子テキストですので便利です。
 
 メモをとりながら、これから書く批評文の内容についてアレコレ考えてるわけですけど。

 対象作品の構成をみながら、ヘソにあたるものを探しながら、いろいろメモをとってゆきます。
 この“ヘソ”ってゆーのは、説明しだすと、また長くなるので、今は雰囲気で察していただきたいのですけど。作者の製作意図の痕跡みたいな感じです。アタシの批評文では、あくまで作品のどこかに残っちゃってる痕跡を探します(批評文を仕上げる段では、ヘソを中心に、あれこれ補強材料を作品外から持ち込むことも、まぁ、ありますけど)。
 作品の方の構成と関連させながら、ヘソがなんであるのか、その内容をアタシなりの言葉で納得できるように言えると、作品のテーマについての、アタシなりの解釈のとっかかりができた事になります。
 
 批評文の構成(≒プロット)を考えるのは、この時点からあとです。すでにある程度溜まってるメモから、アタシなりの言葉で言ったテーマに関連したものをコピーしてきて、アレコレ順番を入れ替えながら構成を考えます。
 
 中くらいの長さの批評文だと、このアレコレ順番を入れ替えながら、メモとメモとの間をつなぐ部分を書き足してゆく内に、「よし・書き始めよっかー」って決心されるタイミングがきます。その時点からは、おもむろに頭から、加筆+リライトをはじめます。
 
●もっと長い場合、とか
 もっと長い批評文は最近はあまり書いて無いんですけど。この場合は、やっぱ、もう少しちゃんと構成を考えないと、マズイですねー。いざ書き始めてから途方に暮れる感じになっちゃったり(笑)。
 
 どの長さでも共通して言えることは、一応、構成は考えますけど、アタシの場合、書いてる間に大抵構成変えちゃいますね。たいてー、変えないとマズイ事がおきてきますし。後、正直言うと、それが楽しくて書いてるようなとこもあります(苦笑)。
 
 えーと、アタシ若い頃、マンガ家になりたくって、同人誌とかでマンガ描いてたりしたんですけど。今思うと、あの頃はキッチリ決めすぎた構成に縛られて、余計な苦労をしてた気もします。
 まー、マンガの場合は、見開き単位で演出を考えてかないと、面白くなんないってゆーのは事実だと思うので、単にアタシのセンスが悪かっただけかもしれません。
 
追記:>品崎さんへ
 「追記」で失礼します。えー、過分なお言葉いただきまして、アタシの方こそ恐縮です。
 
 「話題が次のものに移っていたりして(笑)、時期を逸してしまいます」とのお話ですけど。もし気が向かれましたら、少し前の話題でも、引っ張り出していただけるとありがたく思います。無理にお願いできることではありませんけど。
 
 アタシの方にしましても、実作されてる方と交流できますと、いろいろ得るものが多いので。ギブ・アンド・テイクって感じですね☆
 きっと、掲示板上での話題の流れが気になられるところと思いますけど。
 少し流れから離れた話題でも、TRPG.NETの他の掲示板と同じように[識別子]を題名の冒頭につけていただけば、平気だと思います。
 
 念のために書いておきますと、[識別子]と呼ばれていますのは、TRPG.NETローカルな題名手法の呼称で、単一掲示板で複数話題が混在しても混乱しないよう、題名の冒頭に、話題のキーワードを[ ]や【 】で括って記す手法です。
 例えば、アタシのこの投稿題名でしたら「[プロット]批評文の事例ですが」とか、そんな感じです。
2000年01月20日:00時36分52秒
小説を寝かせるということ / 羽樹
はじめましてのごあいつさもしないで、失礼しました。
あらためまして、羽樹です。時代小説(短編ですが)を書いてます。

品崎さんがおっしゃられた、

>いきおいで書き始めた小説はでも、パワーがあっていいもんですよ。
 とっておけばいつか役に立つはずです。

「あっ! そういう考え方もあるんだ」って叫んでしまいました。

勢い込んで書きはじめたのに、キャラクターとか場面とかがイメージどうりにならなくなって、完結させるはずなのに「つづく」とかにしたまんま、ってのいうのが続いてしまって、すこし落ち込んでいました。

でも、そうですよね。うまく書けないのは『今』の自分で、ちょっと離れてからならまた違うように書けるかもしれません。書きたい! って思ったから書きはじめたんだし、そして、多分、自分が思いついた小説の内容はおもしろい! (……といいな)

なんだかやる気がでてきました。
とっておけばいつか役に立つはず。
そう思って、しまいこまずに、向かい合ってみることにします。

鐘辺完さんが、

>いつまでも終わらないという予感があったらそこで書くのをやめて、寝かせておきます。あとになって読み返したとき、うまく続くならめっけもの、ダメならそれまで。

とおっしゃる「寝かせる」ことができなったんですね。
いま仕上げなければもう書けないと気負いすぎていたのかもしれません。
うーん、大人ですねえ、お二人とも。
大変に、参考になりました!
ここの掲示板にカキコミしてよかったです。


私は、プロットを書くときとそうでないときとは、半分半分です。
鐘辺 完さんがおっしゃる、

>プロットの途中で、矛盾が生じるのです。

とは、よく思います。
あれ、不思議です。
キャラクターがプロットからはみだしたくなるからかな、とか考えますが、どうなんでしょうか???

2000年01月19日:01時34分15秒
適当です。答えになってませんね。(Re:小説を書かれる方々におききします) / 鐘辺 完
 半年ぶり、2回目のカキコミの鐘辺完です。
 久しぶりにのぞいてみたら盛況なんで、戻ってきました。
 私は小説を書くときに、まず、最初にとっかかりとなるシーン(またはセリフ)があります。これは別にストーリーに重要な部分でない場合も多々あります。それにエピソードを肉付けしていきます。
 最初から最後までプロットを決めて書いたことはありません。プロットの途中で、矛盾が生じるのです。
 そこからとりあえず試しに書き始めてみます。いつまでも終わらないという予感があったらそこで書くのをやめて、寝かせておきます。あとになって読み返したとき、うまく続くならめっけもの、ダメならそれまで。
 こんな感じです。あまり参考にならないですかね。
2000年01月19日:01時27分23秒
小説のプロットを最初に書くか書かないか / 品崎
 ドーモ、品崎です。
 羽樹さんもドーモです。はじめまして。
 
 僕はいっちばん長い長編で原稿用紙に250ページぐらいしか書いたことがなくて、あんまり経験豊かな方でないので恐縮なのですが、(※こういう言い方は、畏まりすぎですか(笑)? 渡部さん)
 とりあえずプロット書かないで話を書いたことはここ数年ないです(笑)。
 必ずプロットを書きます。自分が納得するまで、ガリガリと。
 昔は自己満足オンリーで小説を書いていたので、プロット書かなくても別に満足していたんですが、
 最近はプロットを書いておいて、見せ場とかを考えた構成にしておかないと、気持ち悪くて小説を先に進めることができなくなりました。
 
 とは言うものの(笑)、
 いきおいで書き始めた小説はでも、パワーがあっていいもんですよ。
 とっておけばいつか役に立つはずです。
 僕もたまに思いついた1シーンだけを取り出して、小説に書いてみたりするし。(あとでプロットの材料にするわけです)
 
 ▲あと、鍼原さん。
 いつも興味深く書きこみを拝見させてもらっています。
 すごくためになるお話ばかりで恐縮しております。
 いつもレスを書くために文章をじっくり吟味してから──と思うのですが、話題が次のものに移っていたりして(笑)、時期を逸してしまいます。
 うまくレスができなくてすみません。
 
  
2000年01月17日:00時15分29秒
小説書かれる方々におききします / 羽樹

あの……

みなさん、始めからラストまでプロットを決めてから書きはじめますか?

いきおいで書きはじめると、なかなかまとまらないで、いつまでも終わらないってことってありませんか???


2000年01月16日:05時31分14秒
補足:『ガダマー 地平の融合』 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 ひとつ前の投稿でご紹介した、講談社から出てる、『ガダマー 地平の融合』は、シリーズ「現代思想の冒険者たち」の第12巻です。

 丸山高司、著,現代思想の冒険者たち12『ガダマー 地平の融合』,講談社,ISBN4-06-265912-3 C0010
2000年01月16日:05時27分51秒
「先行予見」について、他 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>渡辺さん
 こんにちは。
 うーん。今回の、渡辺さんの投稿、アタシにはちょっとわかりづらかったです。
 アタシもよく人から「わかりづらい」って言われるので、人のことは言えないんですけど(苦笑)。
 
 「素直さ=アンチタブー?」 (当掲示板,渡辺さんWrote,2000年01月14日:12時46分29秒)、「ウソ」の話題が、創作論とどの辺で関わるのか? アタシにはちょっとわかりませんでした。
 
 テーマってゆうか、話題は、誰が何をだしたって一応はよいと思います(例外もありますけど)。
 ただ、こちらのサイト、TRPG.NETにあるたくさんの掲示板は、それぞれの、ガイドラインを意識した話題をするよう用意されてるわけで。
 「創作論」ボードのガイドラインは、「なぜ小説を書くのかという精神論から、具体的な技法に至るまで」ですね(上の方に書かれてあります)。
 アタシが、最近こちらの掲示板に書いてることとか、厳密に考えると創作論ではないかもしれませんけど。一応アタシは創作とかかわるあたりでお話してるつもりですよ。
 
 とゆー感じですので、よければ、もう少しお話の論旨を整理していただけると助かりますです。
 
■「先行予見」について
>先行予見・・・素晴らしい四字熟語。私なんか「事件の匂い」とか言ってましたね。
 
 いや……。渡辺さんはしょりすぎ(苦笑)。
 通じてるはずと思いますけど。第三者には誤解されます(笑)。
 
 アタシの論点は、「先行予見」は、読者(受け手)の方が抱いてるもので、小説(作品テクスト)があらわすものと、先行予見とのズレの感覚が、効果として「何かがおこりそうな(事件の)予感」を、読者(受け手)の方に喚起させる、にあります。
 
 一応、小説(作品テクスト)と、読解行為のメカニズムを図式的に整理してみたわけです。
 ですので、「先行予見」と「事件の匂い」はイコールではありません。
 渡辺さんには通じてると思うんですけど。念のため。
 (前も書きましたけどアタシは、「事件」悪く無いと思いますよ、ちょっと人によってはイメージが限定されすぎるかな、くらいで)。
 
 ウケたようですので、嬉しいのですが。白状すると「先行予見」とゆうのは、アタシの発明ではありません(笑)。
 解釈学、と呼ばれる分野がありまして、そこからちゃっかり借用しちゃってます(笑)。
 
 別に、解釈学なんて知らないよって方にも、アタシの話はご理解いただけるように書いてるつもりですけど。
 もし解釈学にも興味をお持ちでしたら、次の本がとっかかりとしてはよいかと思います(ちょっと哲学の話が多いかも)。
 
 丸山高司、著,現代思想の冒険者たち『ガダマー 地平の融合』,講談社,ISBN4-06-265912-3 C0010
 
 少し補足しておくと、上の本では、「『解釈学』とは、もともとは古典研究の補助学だったものを、ハイデッガーとガダマーが哲学的に基礎付けた」って紹介されてます。ここで言う「古典」ってゆーのは、第一に、ギリシア・ローマの古典文芸のことで、次いで、中世にラテン語で書かれたあれこれだったりします。
 で、そうした古典研究とは独立して、聖書学・聖書解釈学とゆう分野もありまして。これは20世紀に入って、方法論も考え方もすごく進歩したんですけど。その辺のことは、『ガダマー 地平の融合』には書かれてないです。
 
 あと、「先行予見」を、読解行為の形式分析と結び付けたのは、一応アタシの工夫です。
 世の中は広いので、きっとどこかで誰かが同じようなことを考えてると思いますけど。解釈学の方では、読解行為の形式分析とかは、あまりしないのではないかなーと思います(アタシは、結構保守的だと思うんですよね解釈学って:笑)。
2000年01月14日:12時46分29秒
素直さ=アンチタブー? / 渡部
かんなさん、巧みな解説指摘、切に感謝します。いや、本当に。
#先行予見・・・素晴らしい四字熟語。私なんか「事件の匂い」とか言ってましたね。 お恥かしい限りです。

#最近、「ワタシはまだ経験が浅いからあまり偉そうなことは言えないけど」みたいな 始まり方で、意見する人が多いと思います(こことは別のサイトで気付いたんですけど)。 私としてはそんなに畏まらなくても良いんじゃないかと思っています。というのは、 ネット上での対話はお互い事情をあまり知らなくてやってるじゃないですか、それで、 遠慮しないでドンドン主張して、相手の性格を知るいうのは大事だと思うんですね。
#それと「私は経験が深いから、偉そうなこと言うけど」みたいなこと言う人はまず、いません。いたら、面白いです。 経験が浅いか深いかはちょっとの間、付き合ってみて自然と、且つ初めてわかることなんです(と説教ぽいですが)! しかも、そんなこと気にかけていてはちっとも楽しくありません! 経験の浅い深いはこの際、何処かにおいとくべきです。
#遠慮がちにすると、言いたいことも言えなくなっちゃうような気がします(んー、でも結構私も遠慮している(?)気がしますが)。
#・・・のように主張を良い意味で交錯し合っていけば結局は「そうなんだ、結構合うね」と互いに思える気がします。
#じつは、この上記説教じみたものを「そのサイト」にカキコしてやろうと思ったのですが・・・ちょっと躊躇われて。
#今度は「ウソ」がテーマです。勝手にテーマを決めちゃってます・・・が。 ウソも方便といいます。創作する際に、ウソというものは必要っぽいです。
「嘘」、それは様々な用途、派生性があります(多分)。何の為に嘘をつくのか。なぜ、嘘をつくことを躊躇うのか。 嘘に対しての罪悪感。自分が嘘をついていることにさえ気付かない。相手を欺くことが、ウソ・・・? ウソって何?・・・ていう話になるわけです(なるかなー?)。国語辞典で調べれば早いかもしませんけど。
#「あんな馬鹿正直に言ったら、傷つくに決まってるでしょ?」なんていうシーンがあるとします。 しかし「そんなときは嘘をつくの」・・・とは中々いいません(言うかも)。
#自分や相手を傷付ける嘘。これは宗教方面でも日常生活でもタブーのはずです。
#「素直になったらさ、アンタはそういうこと考えたいかね?」・・・これはある大学の 教授の言葉なんですが、まさにこれが「タブー」のロジックだったんです。
#「素直になったらアンタはどうなのよ」、「アンタの意志は何処にあるの」・・・というわけです。 また事実は曲げられませんが、邪推中傷はいけないということです。
#あと補足ですが「自分が言う言葉は、自分に対して言っている言葉だと思って責任を持ちなさい」 と言われたある人(誰だったか忘れたんですが)がいるんですが、あーなるほど、と思いました。
#最後に・・・かなり、読みづらく堅苦しい文章になって・・・申し訳ありません。失礼しました。
2000年01月14日:09時35分23秒
先行予見と読解行為(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@渡辺さんWrote (「初期の段階で読者を引き込む力。」,当掲示板,2000年01月12日:15時21分10秒)
>事件から始まる物語。これは当たり前ですよね。あ、違うか。事件が無い始まり方もありますよね。其処なんですよね。如何にあからさまに事件の匂いを嗅がせないようにして、その物語に引き込む。これが難しいですよ。事件の匂い・・・これは「既成のもののパロディ」だと私は思ってるんですが。
>「ああ、またあのパターンか」と読者に思わせたら著者の負けです。その先にどれだけの真骨頂があろうとも読ませなければ作家ではない・・・とまでは言いませんが、やはりある程度、初期の段階で引き込む力は必要だと思います。
 
■先行予見と読解行為
 えぇと、渡辺さんが言ってられることは、わかると思います。
 少しリクツっぽく(理論的に)言い換えてみるとこーゆー感じになります。
 
 読者が小説を読むときに、優れた「物語内容」を期待して読むわけですけど。まずさしあたりは、「ストーリー」の判断に注目して読まざるをえない。
 普通読者は、初読のときは、「エピソード」と「プロット」の描写を読んで、「ストーリー」を脳裏で構築しながら読んでゆく。
 
 このときに読者は過去の読書体験(など)、からストックしている、「ストーリー」と「プロット展開」のパターンを「先行予見」として持っている(この「先行予見」に自覚的な読者とそうでない読者はいるけれど)。
 
 ただ、固有の物語内容を持つ作品は、その固有さの程度に応じて、細部の描写・語り口・レトリックやプロット展開から、「先行予見」とは異なる差違が感知される。
 読者の読解行為とは、「先行予見」と作品テクストとの微妙な差違を読み取り、常に「先行予見」を修正してゆく過程である(たとえ読者によっては自覚的でない場合もあるけれど)。
 
 えーと、これは、アタシみたいにフィクションの物語性を重視する立場からの理論的整理でして。
 まず、実際の読書はここで示唆してるように、「先行予見」→「ストーリー読解」→「物語内容読解」とキレイに段階を踏んで進むわけではありません。
 
        ┏  「先行予見」   ┓
        ┃−↓−↑−↓− ┃
        ┃「ストーリー読解」 ┃
読解行為 →┨−↓−↑−↓− ┠→読解行為
        ┃「物語内容読解」 ┃
        ┃−↓−↑−↓− ┃
        ┗「先行予見修正」 ┛
 
 、、って感じで、常に層を成して、相互に影響しながら進んでゆく、といったイメージがよいと思います(←あくまで理論上の図式的な整理ですけど)。
 
 「(読者の)予想は裏切るけど、期待は上回る」とゆーのが、物語的に面白いフィクションと思う、って立場からの整理でもあると思います。
 
■「事件」について
 「事件」。アタシ的には「事件」でもよいと思いますけど。(いろいろな先入観を排すために)抽象的に言ってみれば、「(フィクション上で)何事かがおきる(おきそうな)予感」であると思います。読者を惹きつける力、とゆうのはですね。
 「初期でのつかみが重要」とゆーのは、コレは結構普遍的に言えることかと思います。
 
 ただ、「初期でのつかみ」が「既成のもののパロディ」かと言うと、どうでしょう。アタシはそーでもないのではないかなー、と思いますけど。
 ある読者が馴染み・ひいきにしている特定の作家の新作、の場合を考えますと。「いつものパターン」のたいていは含まれるかもしれませんけど、やはり読者は「いままで読んだものとは違う何か」も期待してるのだと思います(たとえ意識していなくても)。
 「いつものパターン」だけを確認するような行為は、それは能動的・積極的な読解行為とは別種の行為で、例えば確認行為とでも言ったほうがよい何かです。
 
 ですので、アタシは、「初期でのつかみ」になる「事件(の予感)」=「何事かがおきる(おきそうな)予感」も、「いつものパターン」(≒渡辺さんが言われる「既成のもののパロディ」)と「いつものパターンからのズレ」の複合による効果であろう、と思います。
 
●用語:この投稿で使った用語について,簡単説明しておきます.
 語り口:「語り口」は、文章だったら文体的特徴のことです。作者の意図と作家性の複合したものです。
 
 プロット:プロットは、物語テクスト(この場合小説も含みます)のうえで、エピソードを配列する配列の仕方=「筋・筋立て」の事ととします。読者は作品のプロット展開からも、作者の意図を読み取ります。
 
 ストーリー:「ストーリー(話)」というのは、「『プロット(筋・筋立)』によって、配列されたエピソードsを、受け取った(読んだ、聞いた)受け手が、物語内での出来事を継起時間順に再配列した『話』」のこととします。
 
 物語内容:「ストーリー(話)」が受け手によって解釈されたもの、とします。プロットや、語り口から推測される作者の意図をストーリーに掛合せた結果解釈されたものです。この場合、「作者の意図」と言ってるものも、また読者の解釈の結果であることを重視してください。
 
「ストーリー(話)」と「プロット(筋・筋立て)」の差違.
 推理小説の典型的なものを「モデル化」して考えるとよいと思います。
 推理小説のエピソードは、作者が慎重に計算した「プロット(筋・筋立)」にしたがって配列されています。多くの場合、事件の真相と真犯人とを当面読者の目から隠すためです。
 物語内のできごとは、物語内時間の継起順に描かれているとは限りません。だいたいにおいて、意図的な描写欠落部分があります(これは何も推理小説に限ったことではありませんけど)。
 
 また場合によっては、物語内時間で、同時に別々の場所で起きた出来事についてのエピソードを、筋立て(プロット)上、前後に配列したり、捜査の際の回想という形で、物語内時間関係に逆行したエピソード配列がされることもあります。
 
 ほかにもいろいろ手法はありますけど、「エピソード」と、「ストーリー(話)」の違いの例示としては充分でしょう。
 
 多くの物語作品では、語り手は物語的な効果を狙って、「エピソード」を「プロット(筋・筋立)」に従って配列してゆきます。その配列は、必ずしも物語内時間に沿った出来事の継起順ではない。
 
 しかし、たいていの物語では、読者は受け取った物語のエピソードを、時間や因果関係の継起順に再配列して理解しようとします。
 なかには、そうした受け手の意図を覆そうとするナンセンス小説、幻想小説や前衛小説もありますが、ともかく受け手は、物語を理解しようとする際、重要なステップとして「スト−リー(話)」を把握しようとします。
 「ストーリー(話)」は、受け手の物語理解の一段階として、とりあえず、「エピソードが物語内時間の継起順に再配列された『話』」と理解するとよいでしょう。
 
「ストーリー(話)」と「物語内容」の差違.
 やはり典型的な推理小説を「モデル化」して考えて観ます。
 推理小説だと、普通は「物語」の起点より前の時点から、「ストーリー(話)」がはじまっています。
 
 なぜって、まず犯人不明の事件が起きて、その犯人を捜すのが、推理小説の定型だからです。
 中には、物語がはじまってから、作中で事件がおきる推理小説もありますけど。そうした例でも、犯人の犯行動機に関わる「ストーリー(話)」は、物語が語りはじめられる前の時点からはじまったりします。
 推理小説に限った話ではありませんけど、作中人物の回想・伝聞・推測などなど、いろいろな形式で、「ストーリー(話)」の再構成に必要な断片(エピソード)が「物語」内のあちこちに構成されるわけですね。
 
 さて、「物語内容」ですけど、これは、「『ストーリー(話)』が受け手によって解釈されたもの」と理解することにしましょう。
 
 再び、典型的な推理小説の例で考えてみます。
 読者は、ある推理小説の「ストーリー(話)」を理解した段階で、「物語内でどういう出来事が、どんな前後関係で継起したか」は理解しています。多くの場合、事件の真犯人が誰であったのか、その手口はなんであったのか、も理解していることでしょう。
 
 しかし、犯行の動機についてはどうでしょうか?
 小説によっては、作中人物が犯人の犯行動機を説明してくれるものも、少なくないでしょう。
 
 しかし、複数の作中人物が犯人の犯行動機について、複数の異論を唱えたまま作品が完結する例も少なくありません。
 こうした物語作品では、犯行動機についての真相は、読者の解釈に委ねられることになります。
 
 「ストーリー(話)」は、物語内で実際に起きた出来事についての時間順再構成。
 「物語内容」は、受け手自身が再構成した「ストーリー(話)」に、さらに受け手が解釈を加味したもの。
 このように概念整理しましょう。
 
 以上の概念整理・規定は、理論上の整理です。
 実際の読解行為では、「ストーリー(話)」の再構成も、「物語内容」の解釈も特に区別されず融合したまま行われることは珍しくありません。
 「語り口」の解釈や、「プロット〔筋立て〕」の解釈に、「物語内容」の解釈が先行されることもあるでしょう。この場合、「ストーリー(話)」の再構成は、「物語内容」についての「先行予見」に従って為されるわけです。
 
 しかし、これらはみんな、ある「物語内容」解釈の妥当性を検討する段階でのもんだいになる事柄です。
 基本として、「物語内容」、「ストーリー(話)」、「プロット(筋・筋立て)」、「語り口」、そして「エピソード」の概念を区別するとよいでしょう。
 そうすれば、「物語」読解・解釈行為のメカニズムを整理してゆくことができます。
 
追記:アタシは以前、TRPG.NETで、ここに書いたのとやや異なった概念規定を紹介したことがあります。
 「簡易長文投稿ログ」に置かれてあります「参考資料:ストーリー、物語生成に関連する諸概念」のことですが。
 先に紹介した概念規定は、 文芸批評というジャンル内のひとつのトレンドとして、「ストーリー(話)」も「プロット(筋・筋立)」も、作品内容の要約である、との前提を含んだものです。
  
 今回採用した「ストーリー(話)」、「プロット(筋・筋立)」の概念は、それとは別傾向のものとして、より形式的に「書かれた文章」や「語られた言葉」と「物語内容」との関係を分析・整理・説明するための概念ツールです。
2000年01月13日:09時57分24秒
部分修正:作品世界と現実世界(Re:読後感) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#「作品世界と現実世界(Re:読後感)」 (当掲示板,カンナ記,2000年01月11日:22時18分13秒)、タグのミスの修正です。

×: そうですねぇ。アタシ、昨年末「創作小説雑談所」での投稿でもでもちょっと書いてみたんですけど。
#「[紹介]文芸批評関係の辞典」(創作小説雑談所 LOG 001,カンナ記,99年12月10日:15時36分23秒

◎: そうですねぇ。アタシ、昨年末「創作小説雑談所」での投稿でもでもちょっと書いてみたんですけど。
#「[紹介]文芸批評関係の辞典」 (創作小説雑談所 LOG 001,カンナ記,99年12月10日:15時36分23秒)
2000年01月12日:15時21分10秒
初期の段階で読者を引き込む力。 / 渡部
挨拶がまだでした。すみません。はじめましてこんにちは、かんなさん、皆さん。
#かんなさんへ。詳しい解説(「読後感」に対するレス)、役に立ちそうです。ありがとうございました。 なるほどね、作家が作家性を介して現実世界を写像した世界が、作品世界なんだと・・・はー、なるほど。 なんか説得力ありますねー。
#事件から始まる物語。これは当たり前ですよね。あ、違うか。事件が無い始まり方もありますよね。 其処なんですよね。如何にあからさまに事件の匂いを嗅がせないようにして、その物語に引き込む。 これが難しいですよ。事件の匂い・・・これは「既成のもののパロディ」だと私は思ってるんですが。
「ああ、またあのパターンか」と読者に思わせたら著者の負けです。その先にどれだけの真骨頂があろうとも 読ませなければ作家ではない・・・とまでは言いませんが、やはりある程度、初期の段階で引き込む力は必要だと思います。 新しいもの、新鮮なものというのは物語としては上出来ですよね。売れる売れないは・・・別にはできないけれど(笑)。
#売れる作家というのは、運あり、作家として売れていくという妙な自信あり、あと健康管理(精神面も)できる能力ありの 三拍子が揃ってないといけない・・・と思うんですね。うーん、違うかも。
#ま、別に作品を作ることが楽しいから、ただやってるんですけどね。
#みなさんが列挙推薦される作品をみるべきなのか、いや、みたいのですが・・・っていうか最近ちょっと テストが近づいて、読書どころではないです。春休みにでも、みましょうかな。
#やっぱり、本を読むのは椅子に座って、というのが一番なんでしょうかねー。話とびとびですみません。
#みなさんに質問なのですが、ある特定の音楽を聴くと、今まで作ってきた作品の描写風景や実経験の 風景などがフラッシュを焚くみたいに頭にチラついたりしたことはありませんか? これ病気ですかね・・・。
#私は本を読むのが、凄く遅いです。ただ単に量をこなしてないだけ、と言われるキツイのですが。 読書より、創作の時間の方が長いくらいです。だから良いのが、できないんでしょうねー。
#星新一は必ず誰もが読んでますよね? 「タイムカプセル」みたいな話を覚えています。
#まー、フィリップ=マーローっていうんですか、ハードボイルド探偵小説ならこの作家!っていう。宮部みゆきさんも好きな作家のようです。
#「ドグラ・マグラ」夢野久作・・・を読んだのですが(というか、パラパラと)。読めるけど、うん、難しい、暗い、旧い、サイコ、ちょっと長い、ちょっと「夢」について新発見な定義も。
2000年01月11日:22時18分13秒
作品世界と現実世界(Re:読後感)/長文 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>渡辺さん
 こんにちは。はじめまして。
 
@渡辺さんWrote(「読後感」,当掲示板,2000年01月07日:13時35分24秒
>皆さんにとっての現実がどんなものであるか。。。ということを考えることになるのでしょうけど。 
>偉そうなこと云ってすみません。でもこれを考えること自体、不毛、悪影響ですね。考え過ぎはいけません。
 
 そうですねぇ。アタシ、昨年末「創作小説雑談所」での投稿でもでもちょっと書いてみたんですけど。
#「[紹介]文芸批評関係の辞典」(創作小説雑談所 LOG 001,カンナ記,99年12月10日:15時36分23秒
 小説とか実作される方は、例えば「現実がどんなものであるか」みたいな事、実作を通して、書く事で考えるタイプの方と、実作と別にある程度考えて、そしてそれを実作で試されるタイプの方といると思います。
 アタシの好きな作家で言うと、夢枕獏はどちらかと言うと前者のタイプですし、笠井潔はどちらかと言えば後者のタイプに思えます。
#ただ、夢枕にも批評的な考察を含んだ雑文はありますし。笠井も実作体験での到達点についての事後的な言及はあります。
#ですから、タイプと言ってもどちらかが100%とゆう作家さんは、実際にはいないのではないかと思いますけど。
 
 いつも書いてますけど、アタシは批評文のような方面を志向してますので、こうした話題には積極的な関心があります。ただ人によっては興味が無い方もおられると思うんですね。
 作家さんにとって「考えすぎ」がいけないのは、実作の妨げになるような「考えすぎ」がいけないのですよね。下手な考え休むに似たりと言いますし。
 
>それは「現実」と「その世界」とのギャップだと思います。勿論、自然と「その世界」が現実に続いているということもあります。
 
 えーと、アタシの考えを言ってみるなら、「作品(作品世界)」と「現実(現実世界)」とは、直接は続いたりしないと思っています。
 まず作家にとっての「現実」が、作家の作家性を介して再構成された世界像があって。
 その作家にとっての世界像の写像のようなものが、作品世界なんだ、と思います。比喩的表現ですけど。
 
 作家にとっての現実的世界像も、いわゆる現実世界の写像と思いますので。作品世界の構造とゆうのは、アタシ達や作家さんも生きて暮らす現実世界が、二度写像変換されたものとみなせます。「直接は続いたりしない」とアタシが思うのはそのような意味においてです。
 
 ですので渡辺さんが言われる「『現実』と『その世界〔=作品世界(?):カンナ補記〕』とのギャップ」とゆうのは、逆にアタシは重要と思います。
 
 作品は繰り返し何度も読むに耐えて、読むたびに新たな発見があるものほど優れていると考えます。「作品」とゆうのは抽象的な言い方で、小説でもドラマでも、マンガでも歌でも音楽でも、なんでも含めています。
 まず、「繰り返し何度も読むに耐えて、読むたびに新たな発見がある」が重要で。その「新たな発見」が、万人とって「新たな発見」であるかどうかって、普遍性のような事は、次のステップでのもんだいと思います。「作品」においては、ですけど。
 
 それから、この「読むたびに新たな発見」とは、受け手(読者)の読解行為による発見ですので、受け手の能動性・積極性なくしては発生しませんが。しかし作品の出来にも左右されるわけです。
 
 よく「この小説は(あるいはドラマは、またアニメはetc)わかららない(とかわかる)」とか言いますけど。極論を言えば、ある作品が隅から隅まで「わかって」しまったなら、そのときその読者にとっては、その作品の生命力が失われた、とゆうことだと思います。
 言い換えれば、現実』と『作品世界』とのギャップ」は、受けて(読者)にとっては、「『作者』とゆう他者性を発見してゆく契機」と言えるかと思います。
 
 さらに、作家にとっての現実的・世界像(ここではそれも「アタシ達や作家さんも生きて暮らす現実の世界」の写像と位置づけているのですけど)の内に、アタシ達の存在も他者存在としてある外部が感知されてるなら、もーサイコーですね。
 
 ここでゆう他者ってゆうのは、「作家さんがいて・アタシもいる」って平板な意味ではありません。お互いに共約しきれない部分を抱えた他者、の存在を認められるか、どこまで認められるか、みたいな観点です。
 「ニホン人だから話さなくてもワカル」とか「オトコ同士だから話さなくてもワカル」とか、そーゆー考え方・関係の在り方には、他者性も外部も認める余地がありません。
 
 例えば男性にとっての女性、女性のとっての男性が、「互いに共約しきれない部分を抱えた他者」の例だったりします。それとか、中年にとってのワカモノとか、若者にとってのオジン・オバンとかも「互いに共約しきれない部分を抱えた他者」と言ってよいのではないかと(笑)。まだまだいろいろありますけどネ。
 ですので「外部」とゆうのは「共同性の外部」と思っていただきたいです。
 
 別にそーゆー「他者」とか「外部」とかを考えない生き方の人がいても構わないのですけど。「話し合わなくてもわかる」のならば「作品」などは不要なはずです。そーゆー方々の生き方・暮らし方は「作品」とかとは無関係なのだと思います。
 
追記:ワープロについては、よほど漢字表記にこだわりを持ってられるのでなければ、ワープロなり、ワープロソフトなりを使われた方がいろいろメリットがあるはずと思います。
2000年01月11日:22時12分05秒
物語と謎(Re:同一人物です) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@ゆみさんWrote(「同一人物です」,当掲示板,2000年01月10日:23時33分23秒
>わたしがここで言っている「物語性」というのは、正確に言うと、何か謎のようなもをこしらえて、 その謎の解決に向かって読者を促すような性質というか、書き進め方、ぐらいの意味に取ってください。
 
 あぁ。なるほど。わかる気がします。
 「物語性廃棄の戦略について」(当掲示板,カンナ記,2000年01月10日:01時30分30秒)、を書いた後で、アタシの方が不用意に「物語性」なんて言葉を持ち出したかな? 「ストーリー性を排す」ってあたりでお話してみればよかったかな?? とか考えてたものですから。
 
>ルイス・キャロルの「アリス」は、アリスがこの先どうなるのか期待させて読ませるわけですから、 わたしの言う意味から外れると思います。
 
 わぁ。それってお話はわかるけどタイヘンですよね、きっと。
 山尾悠子の『夢の棲む町』だって、描いてる世界自体が謎みたいなもんですし。
 うーん、たんじゅんなアタシはどーしても、筒井康隆の『バブリング創世紀』とか想い起こしちゃいます。
 でも、「ごつごつした癖のある文章」なんですよね? うーん。謎だわ。
 アタシも、いつかゆみさんの小説読ませていただけることがあったら嬉しく思います。
 
 やっぱり、アタシの路線とゆみさんの路線は、結構微妙で、アタシは勝手にスリリングな思いをしてます(笑)。
 アタシの好みを聞いていただくなら、「抑圧的でない物語」とは、ひとつの謎の解明が、また別の謎の新たな開示であるようなそんな物語なんだと思います。
 例えば、夢枕獏の『上弦の月を喰らう獅子』なんてゆーのがその例です。
 
 夢枕獏は根っからの物語作家なんですけど「ひとつの物語の結末が別の物語の始まりであるような物語を書きたい」みたいな事を言ってまして。アタシ的にはその志やよし、って感じです。
 
 別に急ぎませんので、いつかそうした話もしたいわぁ、って思います。
#そーそー、やっぱりゆみさんだったのですね。あらためてよろしくお願いします。
#でも、ゆみさん、前改行してたよーな気が?ま、まぁ改行できてよかったです。
 
 えーっと、アタシはこの掲示板の管理者でもなんでもありません。けれど、題名の件、ゆみさんには、もう一度だけお願いしようと思います。
 ってゆーのは、ゆみさん、TRPG.NETの掲示板群の利用、最近始められたわけではありませんので。
 
 TRPG.NETみたいな開かれた場のことを「コミュニティ」って言ってよいのか、アタシは迷うんですけど。
 それでもアタシは広場〔アゴラ〕みたいな感じの理解を持ってます。
 ですので、「簡易掲示板利用マニュアル」でも推奨されてる、「簡易掲示板・ゲストブックの新着情報」のページから観て、第三者の利用者の方にも内容の推測のつき易い題名、心がけていただけるとアタシは嬉しいです。
 
#この件、アタシ前にまとめてみたことがありまして、ちょっと長いんですけど、もしよかったらみてみてください。
「新着情報画面からみて内容の推測が困難な題名の諸類型」です。
2000年01月11日:17時36分39秒
近況。 / 渡部
拝啓、渡部です。
#みなさん、創作に熱心そうで、とてもいいカンジです。
#私は小説を書くのにワープロを使っているのですが、もう5年は経つので、互換性のある機種に変えようかなと思っています。
#みなさんの創作したものを是非読みたいです。かなり短くてもいいです。
#印刷するリボンってけっこう高いですよね。やっぱり手書きがいいのでしょうか。
2000年01月11日:02時00分16秒
音の響きによる物語(Re:細かいようですが) / E.R
>ゆみさんへ

> また、ある言葉が、別の言葉をよびよせたり、一見関係な
>いように見える言葉同士が響きあったりする、ということを意識して書きます。

んーと、
言葉を色々なブロックに見たてて、連鎖してゆく…ような印象があるんですが。
>ゆみさんの書きたいと仰っている物語
…そういう、感じでしょうか?

もしそうだとすると。
一読み手としては。
是非読みたいですね。
但し、途中で投げる可能性はありますが(苦笑)
言葉の響きから連想されてゆくものは、当然、読者それぞれ異なるわけで、
それが一様に読者にとって「好ましい」かどうかはわからないでしょうし。
それが、「読む」という行為を継続させるだけの魅力があるかどうか…

…………(思考中)

……一書き手として、書いては見たい、ですけど。
多分、短編の短編、読む人が飽きないまでの長さになりますね、
仮に、私が書くとすると(かなり自分の力量を過大評価してみても)

どちらかというと、私は、ルイス・キャロルの作品の
「スナーク狩り」(題…これで良かったでしょうか)を連想しました。
あと、これは全然文章じゃないんですが、
ジョン・ケージの音楽とか(笑)


……全然、的外れかもしれませんが……
では。
2000年01月10日:23時33分23秒
同一人物です / ゆみ
 鍼原さんのいう「以前のゆみさん」とわたしは同一人物です。
 わたしがここで言っている「物語性」というのは、正確に言うと、何か謎のようなもをこしらえて、 その謎の解決に向かって読者を促すような性質というか、書き進め方、ぐらいの意味に取ってください。
   
 あ、それから、鍼原さん、改行の仕方教えてくださってありがとうございました。
 あと、ルイス・キャロルの「アリス」は、アリスがこの先どうなるのか期待させて読ませるわけですから、  わたしの言う意味から外れると思います。ただ、「アリス」がわたしにとってかなり重要な作品であることは 確かです。
2000年01月10日:01時30分30秒
物語性廃棄の戦略について / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「改行のし方がわからない」なるほど。
 実は、アタシ、以前やっぱり「ゆみさん」ってハンドルの方とこちらの掲示板群でときどきお話してたものですから。
 その方も、どちらかとゆうと物語批判派の方だったんです。
 ですからゆみさん、アタシの知ってるゆみさんなのかな、どうなのかな、って思いながらお話してました。
 
 「物語性を排した小説」理想として目指されるにしてもいろいろな戦略がありますよね。
 まず、短編・中編・長編によって採れる戦略変わって来るはずですし。
 
 アタシは、ゆみさんが、「ごつごつした癖のある文章を読みたくもあり、書きたくもあります」と言ってられるので、山尾悠子のような小説を書かれるのかなぁと、ちょっと勝手に想像したりしておりました。
#見当違いでしたら失礼な想像になりますけれど。
 
 オノマトペの話がでてきたので、ちょっと想像がつかなくなりました(笑)。
 
 短編でしたら、ルイス・キャロルや筒井康隆(全然違いますけど)のような戦略で物語性を排する事も可能でしょう。
 
 また、ゆみさんには賛成していただけないかもしれませんけれど、星新一のショートショートの内ある傾向のものは、カナリ物語性を排してるって言えると思います。
 例えば『ボッコちゃん』なんですけど、アレがどうゆう物語内容であるかをひとに語るより、多分作品を読んでもらった方が早いし力強い。その辺が星新一って作家の凄いところだと思います。
 
 アタシは批評文みたいな方面に感心があるので、よければゆみさんが理想とされる小説について、もう少しお聞きできるとありがたいです。
 実際は、ゆみさんが書かれた小説を拝見できると一番ゆみさんの言ってられる事、わかり易いはず、とは思いますけれど。
 
 「物語」ってゆう概念は「小説」よりも広汎な概念ですので、なかなか簡単には話せないかもしれませんけれど。
 アタシの立場を明かしておくと……、なんてゆーかなー、アンチ・物語の立場、ある程度わかる気はするんですけど。にんげんが物語から離れられるのか、ってゆーと疑問もあります。
 基本的にはアタシは物語は嫌いではありません。抑圧的な物語は嫌いですけど。物語による拘束も場合によっては快感に摩り替えられると思いますし(苦笑)。抑圧的な物語に抗することができるのも、また物語によってなのではないか、とかは割とホンキで思います。
 
 ここでは少し広汎な物語概念を考えていますが。
 つまり、家族、とか性別・性差とか、国家とか、民族とか、ヒューマニズムとか、などなどの物語ですね。
 
 ですので、例えば「アタシは♂である、または♀である、だから〜」って物語を廃棄することができるとしたら、どんな戦略があり得るのか、みたいな興味はあります。
 
 話しは変わって、改行の仕方については、簡易掲示板利用マニュアルの機能の個所に書かれています。
 よーするに、改行したい個所を改行して行頭に全角スペースを置いたりすると改行されるんですけど。
 
 それと、ついでと言ってはアレなんですけど。
 投稿の題名をもう少し工夫していただけるとよいかと思います。
 こちらの掲示板群では、「題名は、話の流れから離れていても理解できるような、内容を代表する適切な要約であるべき」と推奨されています。
 といいますのは、このサイトでは、「簡易掲示板・ゲストブックの新着情報」というページで利用者の便宜をはかるシステムになっているからです。
#どちらの掲示板でも、新しく利用をはじめられた方はこの機能に気づいてられず、わかりづらい題名をつけてられる方もいますけど。まぁ、慣れるに従って心がけていただけるとよいかなーと思います。
2000年01月10日:00時03分36秒
細かいようですが / ゆみ
>E.Rさん(改行のし方がわからないので読みにくいかもしれませんが)

# わたしは、「小説は、何かを表現するための道具ではない」ということをいつも忘れないように心がけています。 そうではなくて、言葉を総動員して、まったく存在していなかったものを創造するのだと。「表現する」 というと、表現したい何ものかがまずあって、それを文章にするということになります。でも、わたしはそういう考え方はしたくないんです。 むしろ、「モノをつくる」という言い方をしたいと思っています。 したがって、絵も描けず、歌も歌えないから小説を云々という言い方は、表現したいものの存在を前提としている点で、わたしの退けるところです。 また、ある言葉が、別の言葉をよびよせたり、一見関係ないように見える言葉同士が響きあったりする、ということを意識して書きます。 ちょっと今思いついた例でいうと、「ある禿の老女が・・・」と書き、少し後で、「アゲハ蝶のように」と書いたとする。わたしの頭の中で「hage」が、「ageha」を呼びよせたわけです。 さらに、「蝶」=「ちょうちょう」から、「ずんずん」とか、「くすくす」とか「どきどき」といったオノマトペを多用した文章を書いてしまったりするかもしれません。言葉が言葉を呼ぶとか、響きあう、というのはそういう意味です。
2000年01月09日:20時33分57秒
書きたいこと、書こうとすること(Re:なんといいましょうか) / E.R
>ゆみさん

>わたしは自分でも小説を書くのですが、以前、「あなたの小説のテーマは何
>か」と訊かれて閉口したことがありました。わたしの場合そんなものはないからです。

ああ、成程。
「表現したいテーマが」無い……ということを、
「表現したいことが」無い、と仰ったのでしょうか。

>別の言い方をすると、「物語性」をまったく破棄した上でなお言葉同士が緊密に結びつき、
>新たな意味を生産していくような小説・・・・。

うーむう……
ある意味で、サイバーパンクの世界なんか、これに近いかもしれない、と 思ったりしました。
言葉のみの概念で、電脳空間を表す話ですから。

……ただ、これって。
現代詩と同様、読む側を選びますね。

私も、文章は書いておりますが、
何を書いてるって、畢竟、自分の感動を書いているだけなのかもしれません。
(だから、小説などとはとても言えない)
一日一つ感動すれば、一つ短文が仕上がる。
テーマ、というのではありません。「うわあ…」という、その感動そのもの。
そういうものを、切りとって、文章にしている気がします。
故に、本当に人を惹きつける人物、文章を書こうとすると、まず、
己を鍛えないとどうしても文章がうそ臭くなる。

しかし、こうやって書いてみると。
凄まじいほど、素人の書き方ですねー(苦笑)>己

ではでは。
2000年01月09日:20時11分53秒
興味深いです / 栞
ゆみさんへ 
 
>「物語性」をまったく破棄した上でなお言葉同士
  が緊密に結びつき、新たな意味を生産していく
  ような小説・・ 
 
 新鮮な小説体験になるでしょうね。
  
 こういった小説を書くために、気をつけてらっしゃることとか、テクニックの研究ですとかは、どういったことをされておられのでしょう?
 
 創作論として、興味があります。
 ワタシも小説を書くのですが、技術の向上は、
 物語の構造を研究することに集約されると考
 えています。
 自分が面白いと感じた小説を、分解していって、
 作家のテクニックや工夫といったものを発見す
 るのが楽しくて楽しくて、楽しいんですよ。
  
2000年01月08日:23時45分36秒
なんていいましょうか・・・ / ゆみ
わたし個人の好みを言うと、ごつごつした癖のある文章を読みたくもあり、書きたくもあります。小説に限って言えば読みやすい文章より、読みにくいものにひかれます。 わたしは自分でも小説を書くのですが、以前、「あなたの小説のテーマは何か」と訊かれて閉口したことがありました。わたしの場合そんなものはないからです。 面白い物語を書く気もさらさらありませんし、その才能もありません。むしろ、まったく何も起こらず、登場人物もいるのかいないのかはっきりしないような、それでいて 無性に面白いものが書けたらと思います。この場合の「面白い」というのは、普通の意味での面白さとはちがうのですが。別の言い方をすると、「物語性」をまったく破棄した上でなお言葉同士が緊密に結びつき、新たな意味を生産していくような小説・・・・。 あくまで理想ですけどね。
2000年01月08日:16時03分44秒
訂正: ホームズ関連小説の場合 / はしざき

誤:サー・アーサー・コナンドイルの書いた 64
正:サー・アーサー・コナンドイルの書いた 60
です。

#修正ありがとうございました > sf さん


2000年01月08日:00時32分11秒
ホームズ関連小説の場合 (Re:愛しているから名付けたい) / はしざき

ホームズ関連の小説の場合、サー・アーサー・コナンドイルの書いた 64 編を『カノン(正典)』とし、正典の設定にある程度忠実な「ホームズとワトソンの語られざる冒険」を『パスティーシュ』、それ以外のものを『パロディ』と呼んでいますね。

#「ホームズ」って言葉に反応してしまいました :-)


2000年01月07日:23時47分21秒
Re:愛しているから名付けたい / 品崎
 どうもはじめまして。品崎です。
 隣の「創作小説雑談所」とこちらの「創作論」の掲示板の違いに最近ようやっと気付きました(T_T)。
 僕が「創作小説雑談所」で話してたことって本来はこっちで話すべきことですよね(*^_^*)。
 今度からは間違えないでこっちにカキコミます。

 さて前置きが長くなりましたが、華木さんが書きこまれたことについての話です。
 >こうした、既存の世界(物語り)を借りた小説を、
 >はたして、なんと呼称するのが、ベターなんでしょう?
 「ドラゴンクエストの創作小説」とかについて他になんかうまい言い方がないか、というお話。
 “ファン・フィクション/Fan-Fiction”なんてどうでしょうか?
 横文字だし(^^)。

 >鍼原神無さん
 そーですよね、“シェアード”はまずいですよね(^^)。

 僕もあんまりパロディ(もしくはオマージュ)すること自体についてはさして問題にも思わない方です。
 「魔術師オーフェン」の世界観を使った小説と、「シャーロックホームズ」の世界観を使った小説との違いなんて僕はないと思うし。
 “古典ならいいのか、オイ”って話になってしまいますからね。
 パロディやって力つければいいんじゃないすかね? それに楽しければいいと思いますし。

 あと、僕は人に学ぶってことには反対してしまうな(^^)。
 小説はテクニックでいくらでもどーにもなりますから、テクニックを身につけることについては当然なんですけど。
 教えてもらうんじゃなくて“盗む”べきじゃないかと(^^)。
 ん、でも言い方の違いかもしれないですね。見当違いのことを言っていたらごめんなさい。
2000年01月07日:22時35分08秒
パロディとか模倣とか(Re:愛しているから名付けたい) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「ドラゴンクエストの創作小説」ですか。
 そーゆーのは、「同人版ノヴェライズ」とか言ってればよいのではないでしょーか?
 
 えーっと、もし、ゲームで描かれた物語時間の外の物語を書くなら、「同人版・外伝」とか言えばよいし。
 ゲームでは中心的ではない人物についての物語を書くなら「同人版・スピン・オフ」とか言ってもよいし。
 オマージュ・ノヴェルでもなんでも構わないっちゃ構わないと思います。
 
 ただ、「同人版・シェアード・ワールド」ってゆーのは、コレはちょっと差し障りがありすぎると思います。
 もちろん著作権的に、ワールドがシェアードされてないと思われるからです。
 
 うーん、個別の著作権は、アタシとかは云々する立場ではありませんので。企業とかの方がファン活動と認めているのなら認められる範囲でまー、同人版小説書きたい方は書けばよいと思います。
 
 ただ、アタシの意見としては、それだってパロディだとは思います。
 想像するに、パロディ=ギャグ・おふざけ、って通念があって、シリアスっぽいものをパロディってゆーのをためらう心理もあるのかもしれませんけど。
 
 でも、『我が輩は猫である殺人事件』なんか、立派な文体模倣小説になってるとアタシは思うんですけど、あれなんか、パロディって呼ばれても堂々してますね。
#まー『我が輩は猫である殺人事件』は、ナンセンス・ユーモア小説でもあるので、パロディって言われる面もあると思いますけど。
 
 アタシが思うことは、同人作家の方も、自分がやってること、やろうとしてることには、ある程度自分なりの考えを持つべきではないか、ってゆーことです。
 基本的に作家の方ってゆーのは、アレコレ、のーがき書くよりは小説書く事の方に情熱や才能が向かうから作家なのだと思います。ですので、あまり剛直に主張する気にもならないのですけど。
 
 ただ、アタシの意見としては、「ドラゴンクエストの創作小説」、これは、シリアスであろーと、なんであろーと、とりあえずはパロディとみなされちゃうと思います。
 「いや、そーではない、私の作品はパロディではないんだ」ってゆー主張を持つ方がいても構わないんですけど。その場合は、やっぱり作者として自分なりの考えを持つ「べき」だと思います。
2000年01月07日:13時35分24秒
読後感 / 渡部
みなさんはじめまして、渡部です。
#タイトルは読後感なんですが。。。小説を最後まで読んだ後、映画を見終わった後、 さらに夢を見た後というのは、時折、何かひっかかるものがあります。もわもわとした浮遊感っていうのでしょうか。
それは「現実」と「その世界」とのギャップだと思います。勿論、自然と「その世界」が現実に続いているということもあります。
#その人にとって良い作品というのは、自然とその世界に引き込ませ、後腐れなく終わる、また終わっても自然にその人の心に溶け込むものだと思います。
#「現実」とはその人自身が感知し得る世界と、その感知しうる世界を踏まえたその人自身の心の理想郷が混合したもの。。。かな?
#現実とのギャップの大きい作品は読者(鑑賞者)だけでなく、その作者をも悪影響の渦に巻き込む。。。のかな?
皆さんはどう思いますか? 皆さんにとっての現実がどんなものであるか。。。ということを考えることになるのでしょうけど。偉そうなこと云ってすみません。でもこれを考えること自体、不毛、悪影響ですね。考え過ぎはいけません。
#>ゆみさんへ。「小説を読んだから書く」。。。その小説が面白かった、いやそれとも面白くなかったから、小説を書く。自分はもっと良いものが書ける、 いやこんな小説を書いてみたかった、あわよくばその作品を超えてみたい。人情ですね。その刺激、情熱こそが作家の命だと思うんです。 その命を保つにはやはりやる気、いわばモチベーション(動機付け)の問題だと思うんです。そしてそれには集中力が必要で、あれこれ、力を分散していてはいけない。 そのものの為だったら、何を置き去りにしても良い!・・・という覚悟は少し過剰ですが、それぐらいの覚悟は要ると思います。アンチマルチ人間とでもいいましょうか・・・渡部はこういう人間になりたいです。でも無理はいけませんね。
#模倣は著作権問題にならなければ全然オッケーだと思います。あとは自分のプライドとの戦いですけどね。
#>丸山さんへ。歌も歌えない、絵も下手、あらゆる手段を試して最後に行き着いた芸術家気質は文字に頼るしかない。よく分かります。
#>小山祥子さんへ。やっぱり作品を売るには人から習うのが一番良い方法なのかもしれません。
2000年01月07日:08時46分40秒
原点 / 柳 一(作家)
どうも初めまして。 私は「何故作品を書くのか」について一時期非常に悩んだ時期がありました。 そして様々な苦悩の末に到達した現在の答えは、生きていくためです。 モノカキとしてメシを食うという意味ではありません。 書いていなければ死んでしまうからです。 もっと言えば、私が私でなくなるからです。巧稚を別にして、私は作家であるという強い自覚があります。作家という肩書きは表面上の記号ではなく、既に内面と同化した運命共同体であると言えます。 ここは楽しいところですね。ところで改行はどうすればいいのでしょうか。 ではまた、いつかどこかで。
2000年01月07日:02時01分13秒
愛しているから名付けたい / 華木
 
 パロディや、模倣、についてなんですが、 
 
  たとえば、『ドラゴンクエストの創作小説です』 
 
  という書き方を時々サイトやコミケで見かけます。
 
 そのたびに首をかしげてしまうのが、
  他人によって創作された世界や人物を使って書いている 以上、
 それは創作ではないのではないか!?
 
 ということなんですね。
 
  が。 
 
  といって、パロディや模倣では、表現がきついし、的確さに欠けるとも感じるのです。
 
 こうした、既存の世界(物語り)を借りた小説を、
  はたして、なんと呼称するのが、ベターなんでしょう?

2000年01月06日:12時44分13秒
素晴らしい小説を書くということは / E.R
>ゆみさんへ

えーと。

>それから、わたしは、小説が何かを表現する手段であるとは考えていません。
>というか、 表現したいものが何にもなくても素晴らしい小説を書く事は可能であると考えます。

素晴らしい小説を書きたいな、ってのも、己の中の欲求の表現だなーとか。
思うのってちょっとひねてますか?(苦笑)

#表現したいものが何も無くっても、小説は書けるんだ、っていう
#事実を表現したい……みたいな。

ストーリーだけではない、というのには、ある程度賛成ですけど。


 ではでは。
2000年01月06日:09時57分48秒
模倣を通しての逸脱(Re:なぜ書くのか?) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>ゆみさん
 こんにちは。
 ゆみさんの言われることは、「小説の価値はストーリーだけではない」とゆう事ならば、アタシはうなづけるんですけど。
 そこから先は、割ときわどいことをつま先立って言ってられるような気がします。
 
 もちろん、ゆみさんがそう思う、と言われることに端から何かを言って意味があるのか不明ではあるのですけど。

 「ひとつの小説は、過去に書かれた小説の模倣・パロディ・批評」
 批評と評論、あるいはもっとたんじゅんに批判との区別を考えない場合には、ゆみさんの言われてることは多分意味不明になるでしょう。
 
 パロディとゆうのも、同様ですね。
 なんてゆーかなー。「はぐらかし」のことだけが言われると清水義則みたいな「はぐらかし」と、もっと別種の「はぐらかし」との区別が曖昧になるような気がして。それはそれで、ゆみさんの本意ではないのではないか? とか思いました。
 余計なお世話かもしれませんね。でしたらごめんなさい。
 
 アタシが思うに、重要なのは、模倣を通しての逸脱ではないでしょうか。
#ちなみにこの「模倣を通しての逸脱」って、アタシが割と影響受けちゃってる笠井潔の批評『模倣における逸脱』からいただいちゃったコンセプトですけど(苦笑)。
 
 「表現したいものが何にもなくても素晴らしい小説を書く事は可能」もちろん、ゆみさんは言われるような意味では可能であると思います。
 ただ、大江健三郎にしても誰それにしても、「はぐらかす」為に書いたのか、それとも「表現不能だから(と思ったから)」書いたのか、その辺は読解の在り様によって判断が変わってくるのではないでしょうか。作品によっても、作家によっても違ってくるかと思います。
 
 ちなみにアタシは、大江健三郎の小説は、「書く事が不可能なコトを表現しようとした」と思って読むとおもしろく読めるような気がします。
2000年01月06日:01時32分54秒
なぜ書くのか? / ゆみ
金井美恵子と後藤明生は、なぜ小説を書くのかといえば、「小説を読んだからだ」といっています。 要するに、ひとつの小説は、過去に書かれた小説の模倣・パロディ・批評である、というわけです。 それから、わたしは、小説が何かを表現する手段であるとは考えていません。というか、 表現したいものが何にもなくても素晴らしい小説を書く事は可能であると考えます。 ひとくちに面白い小説といってもいろいろで、ストーリーが面白いのもあれば、文体が面白いのもある。 例えば町田康とか大江健三郎とか野坂昭如とか。ストーリーの進行自体を無駄話で はぐらかしつづける後藤明生など抱腹絶倒だし、饒舌な描写や地の文に組み込まれた会話で ひたすら物語りの進行を遅らせ、読者に倒錯的な快楽をもたらす金井美恵子もとても好きなのです。 はぐらかしてしまう
2000年01月06日:00時15分49秒
人が言うには / 丸山
 誰だかは忘れたけれど、覚えている言葉。
「物書きというのは、不器用な芸術家のなれの果てである。絵も描けない、歌も歌えない者が、最後にたどり着く表現手段がつまり小説である」
 わが身に限って言えば、思い当たるフシ、あり。
 それが吉か凶かは、判断不可能。
1999年12月05日:10時53分50秒
入院中 / 鱸
プロになって20年になるが、 なぜ小説を書くのかはわかっていない
1999年10月03日:05時54分53秒
おもしろい小説を書くためには / 小山祥子
初めまして。 私はもともと創作系の同人誌即売会をやってるんですが、2年ほど前に某プロ小説家先生様に
「カルチャースクールで教えているから、習いに来ないか? 頑張ればプロになれるよ」 と甘い囁きをかまされ、入門しました。 それまでライター的なバイトはしていたけど、まともな小説を書いたのは教室が初めてです。 結局、そこで判ったことは、独学には限界があるということ。 もし書くことで悩んだり、苦しんだりして、どうしても一歩前進しないという方は、 あちこちのカルチャーで開講されている「小説講座」に入門してみては? 結局、ゴルフだってテニスだって「レッスンプロ」に習って上達するわけですから。 原稿用紙の使い方もおぼつかなかった私ですが、その教室で勉強して2年。 生まれて初めて書いている小説を、奇特にも買ってくださるという出版社が出現しました。 びっくりしつつ、大感激で、頑張って書いてます。
(といっても、これから継続して「売れる作品」が書けなければ、プロ作家にはなれないのですが。)
1999年09月28日:21時49分18秒
初めまして。 / 柳 一(作家)
こういった趣旨のHPを見つけられて嬉しく思います。 拙い作品ですが一度見に来て下さい。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/1468
作家とはどうあるべきなのか、最近まで悩んでいましたが、クリエイティブな仕事は全て世界で自分しかできないから意義があるのだから、
「あるがままに」
でいいように思えてきました。 ただ、作家として前に進むべき常識と読者の意見を糧とする事はないがしろにするべきではないですが。
また寄らせてもらいます♪
ではまた、いつかどこかで。
1999年07月12日:23時50分21秒
モノ書き一考(われ、思う故に脱糞す) / 松井崇
 よい文章を書きたいと思う諸氏諸兄の皆様、まず腕立伏せを日に50回ぐらいすることですな。その後でかすかに記憶のなかに残っている念仏などを2,3詠み、しかる後、脱糞するが如くに文章をこねくりまわしたらよかろう。コトが済んだらマタグラに手を伸ばし、しばし白痴の風情。それでなお良し。
1999年06月02日:04時00分17秒
創作小説のHP探してたら / 鐘辺 完
 長い間、小説を書く仲間というものに出会えていませんでした。そのせいでもないんですが、最近めっきり創作意欲が衰えています。ここにきたことがきっかけで意欲が復活すればなによりうれしいことです。
 私は長編小説は三人称で書かざるを得ません。なぜなら、さまざまなキャラクターの視点からストーリーを展開しているためです。基本的によくないことらしいですが。
 文章は読みやすいのが大事だと私は思っています。読者にできるだけ負担のない文章にするように心がけています。もっともこれは私がおちゃらけ系統の小説を書くからですが。アホな話に重厚な描写も悪くはありませんが、アホな話を読むのに難解な文章を読まされる者はたまったものではないでしょう。
1999年05月27日:22時35分36秒
はじめまして / 良平
 はじめまして。小説を書いてそろそろ10年になる者です。プロを目指しているのですが、なかなか上達しなくて困っています。自分の文章が下手だと思えるようになってきたので上達はしているようなのですが、納得のいく作品ができにくくなりつつある今日この頃です。
 最近悩んでいることなのですが、文章は読みやすく簡単な文体で綴る方がよいのか、多少難解でも格式高い文体で書く方が良いのか……。どちらにも長所短所が多々見受けられ、善し悪しの判断がつきません。自分なりには、作風にあったものが最良だと思いました。みなさんは、どう思われますか?
 キャラクターの心理描写についてですが、私は主観に立つ人物の心情を地の文で、その他の人物の心情を客観的視点からの描写で表現しています。
1999年05月17日:03時06分48秒
こんなサイトもあるんですね / ズカイナー
大学で7年文芸部に在籍していた者です。 といっても型破りなサークルで、およそ文学と関係あるような作品はまったく書かなかったのですが、エンターテイメント指向としても技術論には大いに興味あります。 ネットでこういう座があるとは思いませんでしたが、 過去記録、楽しく読ませてもらいました。
 キャラの心理描写については、三人称ではややも迷うところですが、私は最低限の規律として 1,表現方法(かっこ、横棒など)は統一する。 2.地の文で書くのは、主観の立場にあるキャラにとどめ  る。 ことを守っています。気持ちを描写によって読者に想像させる、映画的手法で言う「引き」も使いますが、あくまで自然な移行とテンポが大事だと思います。
 
1999年05月06日:15時08分25秒
あれれ? / 田村清次郎
とまってるぞー。
1999年03月13日:00時06分47秒
ところで/心の中の言葉 / たつのうた
富士見文庫の『トラベラー』シリーズでは、心の中の言葉は太字ゴチックで表記されておりました。
うーむ、これって原文でもそうだったのだろーか。
1999年03月13日:00時01分39秒
皆様、レスありがとうございます/心の中の言葉について / たつのうた
わわわ、たくさんのレスありがとうございます……正直いって、ここまで返ってくるとは思わなかったです(^^;)

とりあえず個人的な習作の方です。
書いている時は(うんぬん)書きしていたのですが、
全体に目を通してみて、三人称の地の文に、一人称の独白を挿入する形にあらためました。
(あらためたとゆーか、そも最初はそのように書いてたのですが)
1999年03月12日:23時37分06秒
それは自由間接話法ですよ / リチャード・バートン卿
 みだれかわ枕さんのいう、三人称の地の文に内心語がそのまま挿入されるというのは、 いわゆる自由間接話法というやつですね。フロベールが最初に用いたもので、誉められたものではないどころか、 立派なテクニックです。「」つきで会話が進むと、読者はあたかも実際に会話が行われている スピードで読んでいるかのごとく感じます。それが地の文に混ざると、スピード感はぐっと落ちます。 綿密な描写はとくにのろのろしている感じを読者に与えます。高速で飛ばしたり、路地裏を のろのろ歩いたり、立ち止まって景色を眺めたりと、変化があったほうが楽しいのは当然です。
 このスピード感の調節が、作家の腕の見せ所といえると思います。
 会話だらけの小説は、従って読者の感じるスピード感が最初から最後まで あまり変わらず、つまらないということが多いのです。
 
1999年03月12日:21時03分32秒
あたしの中の……(re:心の中の言葉をどう描写するか?) / みだれかわ枕
 お久しぶりです。自称『北陸の文章書き』みだれかわ枕です。
 
 心の中の言葉をどう表現するかというお話しですが、私自身は、たとえば、
 
――こういう風にして書くこともあるし、
 
(この書き方でも、かまわないだろうし)
 
 わかればいいんだ精神で、……と思った。と書いてしまったり。
 
 そのときそのとき、好きな手法で叙述してしまうので、非常に節操がありません。
 そういえば、HTMLのときだったら、CENTERタグを使って、
こういうふうに書いたりもしています。

 あとIタグでもって、
 こんな事したりもしています。
 
 あと、好みで使っている手法に『心の声だけ一人称』というのがあります。
 これは字面そのままで、本文は三人称なのに、内心の独白だけ、いきなり一人称になるというものです。
 でも、作法的には、誉められたものではないと思います。文体を一致させるのは、本来基本であるべきですしね。
 
>ただ、私は現在、心情を出来るだけ外面的な描写で表現することに(心の中の言葉の割
>合を少なくすることに)力を入れていますので、余り参考にはならないかもしれません。
(99年03月12日:10時56分49秒 サーラさん)
 
 本来はそうあるべきなんだろうなー、と思いつつ、内的葛藤(天使と悪魔が出てきてせめぎ合い(笑))を書いている、今日このごろです。
 駄文愚考にお付き合いいただければ幸いです。それでは。
1999年03月12日:10時56分49秒
Re:心の中の言葉をどう描写するか? / サーラ
 私の場合、一人称でも三人称でも地の文と紛らせて、なるべく差がないように書いています。「思った」と云う言葉もなるべく使わないようにしています。
 
 ただ、私は現在、心情を出来るだけ外面的な描写で表現することに(心の中の言葉の割合を少なくすることに)力を入れていますので、余り参考にはならないかもしれません。
1999年03月12日:06時15分33秒
re:心の中の言葉をどう描写するか? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#アタシは、小説書かないんですけど。
 “心の内の言葉”に関しては、( )、か −−、または、“ ”。それでなければ“ただ改行”でもよいと思います。
#彬兄さんが書いてられますけど、そのセクションの地の文が一人称か、三人称か、、など他の要因によって相応しい形式が定まりますよね。
 ただ、個人的には『 』はあまり好ましくない気がします。『 』は書名などにも使われるので、“心の内の言葉”を指示するにはカッチリしすぎた感じがするからです。
#例外としては、疑古文調、ってゆーか、古風な感じが必要なときとかは『 』、よいかもしれません。明治のエライさんの“心の内の言葉”とか。
 
 アタシ的には、どの形式が使われるかよりも、文体のほーが気になります。
 “心の内の言葉”が、実際に発話された言葉よりも、ある種とりとめのない文体で書かれてると、「あ・リアル」と思って読んでて楽しいですね。
#彬兄さんと逆の意見ですかね(?)。多少わかりづらくなっちゃっても、実際に発話されたセリフ、と同じ調子よりは、よい気がします(なんか読んでてシラケることがるんです)。
#例外は、推理小説などでよくあるんですけど、語り手人物が過去を回想して、過去の体験を再構築してるシーンでしょぉか?
#そのとき私はこれこれと感じた
#、、みたいな場合ですね。
#こーした場合は、“心の内の言葉”もかっちりしてたほぉがリアルかと思うんですけど。このケースでは、ちゃんと、語り手の人物から観られた一面的な描写(笑)になってるかどーかでリアルさが左右されますよね(特に叙述トリックの推理小説なんかだとそのほーが面白い気がします)。
1999年03月12日:02時54分54秒
re:心の中の言葉をどう描写するか? / 彬兄
>皆様は、「登場人物が内心で語る言葉」を、
>どのように表記してらっしゃいますか?
 一人称表現か三人称表現かで変わりますが…。一人称のときは()や『』で括ってやることが多いです。三人称表現なら問題なく「〜と思った」と書きますね。
 演出のためにぼかすことはあっても、できるだけわかりやすい表現で書くようには勤めてます。
1999年03月12日:01時05分34秒
小説における心情表現の文章上の表現 / 品崎
 久しぶりですね。ここの書きこみ(笑)。
 たつのうたさんのご質問ですが、軽く答えさせてください。

 小説における心情表現の文章上の表現をどうするか、というご質問だと思うのですが、
 わたしの場合はそのまま書きます。普通の文章と変わらずにただ改行して書きます。

 京極夏彦スキなんですよ。わたし。
 だから真似といってはアレなんですが、普通の文章と変わらずに登場人物の心情を書くと、読者が「アレ?」と思うんですね。
 個人的な分析だけど、そうすることによって文章に目を留めさせることができると思うんですよ。
 だからそうしてます。

 でも心情表現って一口に言っても、構成上のテクとかでもいろいろなパターンがあるわけだし、我ながら参考になる意見が言えたのかどうかちょっと気になります。

うう。くどくど言っておきながらナンですが、
 心情表現なんて、なんでもイイと思います(笑)。ただ『 』とか( )とかを使うのはちとガキっぽいかなー、と個人的には思うです。はい。
1999年03月12日:00時46分55秒
心の中の言葉をどう描写するか? / たつのうた
ども、たつのうた、と申します。
以前このボードには書かせていただいたのですが、ログの山の中にうずもれております。
えーと、今回書き込みしたのは、ちょっと皆様にきいてみたいことがあったのです。

皆様は、「登場人物が内心で語る言葉」を、どのように表記してらっしゃいますか?
いや、描写とかではなく、形式的なもので、
(うんぬん)とか、『うんぬん』とか、……うんぬんとか、──うんぬんとか、といったことの違いなのですが。

私はといえば、投稿作に向けて練習用に書いている習作の中では、(うんぬん)を使っておりますが、
「どうしようかなー、地の文にまぎらわした方がいいのかなー」とか首をかしげておる次第です。

どれが最適、というのは無いと思いますが、皆様がどのように表記しているか、ご参考までにお教え下さい。
1999年02月08日:10時23分08秒
報告です! / ナシオ
こんにちは。
 以前、(多分8月頃)こちらの掲示板で質問などに親切に答えていただき、投稿作を書き上げた者です。先日その作品の結果発表があり、最終選考に残ることができました。 こちらでいただいたアドバイスや熱い議論は読んでいてがんばらなくちゃ!という気にさせてくれます。
 これからもちらほら寄らせていただきますね。
1999年01月25日:07時23分35秒
なぜ文体模写を思いついたか / 彬兄
 こんにちわ、彬兄です。
 とりあえず、イラストの練習に使う方法論を小説に当てはめてみたんですが…。どうやら、すでに確立された方法論の一つではあるみたいですね。
 理系なものでそう言う話には詳しくないんです(^^;)
かんなさんwrote
>追記:>彬兄さんへ、
>#お久ぶりで〜す☆
>#彬兄さんが言われる「いろんな作家さんの作風を真似
>て表現してみる」って、いろんな作家の書いた文章を相
>互比較・検討してみるってことでもあると思ったんです
>けど(違います?)。
 まさか覚えていただいてたとは…恐縮です。それはさておき、結果的にはそういうことになるみたいですね(←おいおい)。正直、徹夜でハイになっているときになんとなく思いつきで書きこんだもので(^^;;)
 小説表現辞典ですか、面白い本があるんですね。今度探してみます。
1999年01月24日:22時55分23秒
性善説 / セス
毎々お世話になっております、セスです。
「模倣とは、無意識な賞賛と尊敬の
 最も顕著な表明である」
でしょうかね。
1999年01月24日:18時07分19秒
[メッソドとしての文体模写]文体模写とパラフレーズ / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#文体模写の話しがでたとき、学生時代に英作文の講義でさんざんやらされた、ジョーナル文(論述文)のパラフレーズのことを思い出しました。
#直接、小説の創作にはつながらないかと思いますけれど、自分で言い出した質問の形に当てはめてみましょう。

パラフレーズの目的意識:単語が意味しうる概念の幅を広げる。類語間の微細な意味の差違に対するセンスを敏感にする。
方法:ジャーナル文の単語をテーマ(主題)との関連の密な重要用語から順次、類語に置き換えていってみる。または使用頻度の高い単語から順次類語に置き換えていってみる。
注意されるべきポイント:パラフレーズでの類語への置き換えは、ある単語を一対一で別の単語に変更していく作業ではない。元のジャーナル文内での文脈に応じて一つの単語が持ちうる意味の幅に注目し置き換えをおこなっていく。
(副次的)メリット:文脈と、文の意味との関係に対して敏感になることもできる。

いじょ
1999年01月24日:18時03分34秒
[メッソドとしての文体模写]質問:文体模写のポイントは? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#みな様に質問をしちゃいます。
質問:文体模写を、作文能力研鑚の練習手法(メソッド)としておこなう場合、(1)その目的意識、(2)機械的筆写とは異なる方法(があるとしてら)は何か、(3)目的達成に向けて注意されるべきポイント、。 以上三点に関してご意見をお聞かせいただきますか?
#え〜と、もちろん三点全部に対するお応えでなくともオッケーです。
#また、それぞれにメリット(これは目的意識とダブりますかね?副次的メリットってことで)、デメリット(こっちはすごく時間がかかるとか、そ〜ゆ〜類でも)などがありましたら併記していただけると、なお参考になります☆
 
 えぇっと、アタシなりに整理してみたら、、
 例えば、彬兄さんのご意見は、、、
目的意識:小説を書くための訓練(でよいのかしらん?)。
方法:表現したい事象をいろんな作家さんの作風を真似て表現してみる。
注意されるべきポイント:機械的作業になないように注意。
デメリット:パロディと真似とコピーの境界線があいまい。
 
 んで、PALM−12さんのご意見は、、
目的意識:職業的作家の書く文章が自分の書く文章とどぉ違うか解る(認識する)ため。
方法:好きな小説をまるまま一冊書き移してみる。声に出して読んでみる。
注意されるべきポイント:自分が思っていた文章構成の誤差(登場人物ごとの描写量や、各文章の長短の分布など)を確認する。
 
 、ってことかと思いました。
 
追記:>彬兄さんへ、
#お久ぶりで〜す☆
#彬兄さんが言われる「いろんな作家さんの作風を真似て表現してみる」って、いろんな作家の書いた文章を相互比較・検討してみるってことでもあると思ったんですけど(違います?)。
#もし、そ〜だったら、世の中には、『小説表現辞典』とかゆぅ本もあるそ〜です(現物は見たこと無いんですけど)ので。この辞典に出てる項目を順番に、自分が好きな(心惹かれる)作家で比較検討してく、ってのはどぉでしょぉ?
#単なる思いつきなんですけど(汗)。
1999年01月23日:19時31分02秒
RE:文体模写 / 石頭
日野啓三氏(芥川賞受賞)は昔、井上靖氏の本の文体模写をして勉強したそうです。
文体模写はかなり意味のある勉強方法の一つです。しかし、かなり面倒ではあり ます。
1999年01月23日:12時57分56秒
文体模写 / PALM−12
好きな小説をまるまま一冊書き移してみるとどこが自分の書く文章と違うか解りますよね。

登場人物は生き生きとしているのに登場人物の描写の量は意外と少なかったり(自分が思っていたより)。
文章の緩急の付け方とか,短編長編による一文の長さの違いとか。

あと,声に出して読んでみると解るってのもありますね。
1999年01月23日:07時24分48秒
捕捉:文体模写にもんだいがあるとしたら / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 あと、なかなか模倣できないのは、色々な種類の比喩ではないかと思います。定型的な比喩は小説の生命を殺しかねませんからね、比喩はプロの発想とセンスを盗むしかないんじゃないかな?<デッサンは模写し得るけどクロッキーを模写しても意味無いって感じ。
1999年01月23日:07時18分32秒
文体模写にもんだいがあるとしたら / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 うーん、美術だと巨匠のデッサン模写、とかからはじめるんですけど。巨匠のデッサン模写をすると嫌になっちゃうのは、アタシみたいな凡人は巨匠の万分の一種類も線が引けないんです。
 えぇ、巨匠ってのは、描ける線の種類が無限なんじゃないかしら、って思っちゃうくらい豊富なんです。
 んで、作文の場合、この線の種類にあたるものは何かって考えてみたら、まずはボキャブラリーと、イディオムのストックでは無いかと思います。
 文体模写に問題があるとしたら、ボキャブラリーやイディオムって基本的リソースの量が違うのに模写をすることで生じる歪みでしょぉか。
 でも、それだったら、模写をする傍らリソースを増やしてけばよいと思うんですよね。
1999年01月23日:07時06分14秒
品崎 / 文体模写2
 文体模写ってのは、ぜんぜんアリアリなことだと思います。
 ってか、好きな作家の小説を書き写して、文体を勉強するってのは、よく聞く文章上達方法ですよ。(ダ・ヴィンチとかでよく載ってる(笑)。
1999年01月23日:05時00分30秒
文体模写 / sf
 真似して書くというのは、文体の真似なら文体模写ですよね。たぶん基本的な練習法の一つだと思います。
 ただし、けっこう面倒だし観察眼が必要ですよね。私には文体を再現できるほど認識できないから、難しいなあ。
1999年01月23日:04時29分27秒
真似して書くこと… / 彬兄
 マンガなどのイラストを練習するのに「自分が好きなイラスト」をまねて描くという方法が非常に有効ですが、小説の場合こういった方法は有効でしょうか?
 具体的にまねると言っても、小説の場合は全く同じ文を書くのなら機械的作業しか必要でなくて誰でも出来ちゃうわけですよね?
 だから、表現したい事象をいろんな作家さんの作風を真似て表現してみるわけです。
 これをやってみると小説を書くための訓練になならないでしょうか? パロディと真似とコピーの境界線があいまいですが、そういう方法論ってあんまり聞いた事ないんで…。
 彬兄個人の考えでは、真似はとても有効で誰もが無意識それを行っている、のだと思うのですが…どうでしょう?

(sf:古いほうを重複削除しました)


1998年12月24日:16時55分31秒
すみませんでした。 / ぶい子
 うーん。すぐ次に書かれているのと、アマチュアがうんぬんとわたしが出した話題にまつわるような発言がおありになったので、そう解釈してしまいました。
 ごめんなさい。
 でも、ちょっと誤解を呼ぶタイミングであったことは否めないと思うです。はい。
1998年12月24日:03時08分20秒
ぶい子さんはひどい誤解をしている / ヌケサク
ぼくはちゃんとぶい子さんは条件から外れるように書いてあるので、きちんと読んでくださいね。
1998年12月23日:23時38分36秒
肩つっぱりません? / ぶい子

 やや?
 「!」や「?」の跡に空欄を空けるって話は、ひょっとして、わたしに向けられた言葉なのでしょうか?
 うわ! なんて! こったい! そんな! 常識的なことを!
 突っ込まれて! しまうなんて(笑)!
おそらく、>大多数の人とシュミ合わないんだもの!(爆)……のことを指されておられるんでしょう。
 一度の間違いを即座に突っ込まれるとは……わたしはそうとう嫌われているらしいっすね(苦笑)。
 というか、トンがった人に対して相当な偏見がおありになるようだ。
 ……というその根拠は、わたしの先の書きこみには正しい「?・!」用法と間違いの「?・!」用法があるのに、間違いの方だけを指摘されているからです。
 そりゃあ、ネガティヴな感情を持っている相手に対してだったら間違いの方が目に付きやすいでしょうからね。

 やれやれ。
 こりゃ、参った。
 ここ来るのやめますわ。こちらの方々とわたしはシュミが合わないらしいですからね。
 みなさん、楽しくプロ目指してください。
 
 ああ、そうそう。グチっぽくなってしまったので、蛇足ですが、オススメを。
 法月綸太郎氏の一連のシリーズには、現代の作家の苦悩が切々と語られているので、プロになりたい方にはオススメです。
 げんなりできることウケオイです(笑)!
 てなワケでみなさんさよーなら……。 
1998年12月21日:23時58分09秒
仮にプロを目指す人だったら「!」「?」に注意 / ヌケサク
 
 「!」「?」のあとは1文字分、空白を空けましょう(空白を空ける、って冗語?)。これは根拠など一切ありませんが、出版業界では常識です。「小説の書き方」系の書物に書いてありますので、読んでみるのもいいかも。
 
 アマチュアならオッケーかもしれませんが。
1998年12月21日:21時13分30秒
誤字や脱字がイイと言っているわけでは……(苦笑) / ぶい子
 あのう。ども。あずまさん。
 
 うーんと、具体例をもって説明します。
 先日「アメリカン・サイコ」を読んだんですよ。
 ご存知かどうかはともかく、
 あれってね、昼はエリートビジネスマン、夜は殺人鬼っていうオトコの“手記”ってカタチで書いてあるんですけど、
 えらくつまらないんだ。文章が(笑)。
 ストーリーはないも同然だし、オチはないし、文章が途中で切れちゃったりしてるんですよ。
 
 それを見て、わたしは最初、「うわ。何コレ。プロにあるまじき行為じゃん」と思ったのですが、
 その本の解説を読んで考えが変わりました。
 解説の方は、「書いてるヤツがサイコっていう設定なんだから、こういうのもアリだろ」と言うのです。
 ……なるほど一理あるわ。とわたしは今では思っています。

 わたしは小説は芸術作品だと思っているので、
 つまり有用である必要はないというか、
 もちろん、誤字・脱字はないのが当たり前なのですけど、
 内容によっては、誤字・脱字もオッケーなのでは……?
 と考えたのです。
 ただ、それだけです。


 誤字・脱字にこだわるのは当たり前のことです。
 ただ、それをワザと効果的に残すのも、芸術作品たる小説においてはアリなのでは? と思っただけの話です。

 プロでないから、と言って逃げているという意見に関しては、
 そうかも?
 なーんちゃって(死語)思います(笑)。
 でも、いいんです。
 すべてほどほどが一番です。
 ある程度の人に適当にウケていれば、わたしはそれでいいのです。
 だって、大多数の人とシュミ合わないんだもの!(爆)
 みんな殺戮ものとかヘンタイとか嫌いでしょ?
 あ、ジョークです。少しっかやらないですよ……(笑)。
 とにかく、大多数のために、自分の書きたくない小説を書かなくちゃいけないんだったら、わたしは小説なんか書かないよって、いう話です。
 反論は受け付けませんよ(笑)。
 もうイヤというほど、反論してきたんだから。
 そういう意見の人間もいるってことで、なんとかみなさん分かってくださいよ。
 メクジラ立てないで……。
 わたし不真面目なんだから……。
1998年12月21日:11時17分52秒
「読みやすさと内容」について / あずま

以前、ここで私が投げかけた「読みやすい文章を書く」ことについて、
私からの書き込みが止まっているのは、
私とゆみさんの意見が一致しているからではありません。

意見は全く違う物です。
私の意見は一貫して、「人に読んで貰う文章は読みやすさも考慮すべき」といっており、
それに対してのテクニックなどの提案を行っています。
従って、「二人は言い方こそ違えど、言いたいことは同じ」という意見は間違っています。

その後のリアクションが無いため、動きようがないだけです。


1998年12月21日:11時12分40秒
プロかどうか / あずま

どうも、東涙香(あずま・るいか)です。

>ぷい子さん

非常に良い方に解釈して。
ぷい子さんは昔は一生懸命誤字や脱字などを意識していたのですね。
そして、それらについてこだわることがなんだかつまらないことに思えてきたのでしょうか?

まぁ、それとは全く別の問題として。
人様に見せたり、読ませたりする文章において、
>「アマチュアなんだから、なんでもアリだろ」
というのは単なる甘えでしか無いように思えます。
勿論、アマチュアがアマチュアとしての特性を活かして、型にはまらない、
荒削りな部分を見せること自体は否定しません。
でも、「プロじゃないんだから」は自分に対して逃げ道を用意しているだけなのではないでしょうか?

厭世的とかとは全く別の次元の話だと思いますけどね。


1998年12月19日:23時27分05秒
小説を書く際のテクニックについて / ぷい子
 はりはらさん。とても参考になる書きこみありがとうごさいます。
 こちらは初めてですね。
 わたしはけっこう小説書くほうなんですけど、
 最近、「アマチュアなんだから、なんでもアリだろ」
 と思うようになってきました。
 駄文とか誤字とか脱字とかもぜんぜんオッケーっていうか、駄文とかが許されてこそアマチュアっていうか、
 自分が何をめざしているかが分かっていれば、
 何を書いても許されるんじゃないかって、そんな気がしてきました。
 *つまり、「プロを目指している」人が、「駄文」や「誤字・脱字」をするのはまずいよってことです。「プロを目指さない」のなら、オッケーなんですけど*
 そういう意見ってアレですか? 厭世的ですかね。
 人にもよく言われるんだけど(笑)。
1998年12月18日:11時29分10秒
読込みの方法 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 どんなジャンルの小説を書く人にでも共通したテクニック、……ってゆぅか、メソッドを書いてみますね。アタシ小説は書かないから(苦笑)、初歩的なアレかもしれませんけれど。
 まず、自分が好きな作家の文章を、テキストで打ち込みます。
 で、もとの文章の“内容”が変わらないよぉにと思いながら、自分なりにもとテキスト推敲してっちゃいます。
 たくさん・たくさん・たくさん、この作業をして、推敲作業中に考えたことが、自分の頭から抜けた頃に、オリジナルのテキストと自分が推敲しちゃった文章とを読み比べてみることです。
 元の文章から、喪われちゃったものは何か? 考えてくと、テクニック発見できるはずです。
 
 結局、作文のテクニックって、よい文章、自分に訴えかけてくるものがある文章を繰り返し、よく読んで発見してくしかないと思うんです。元の文章をわざと推敲しちゃうのも、「読む」過程としてやってみるとよいと思います。
 「よく読む」って実は時間かかりますよね。特に、小説とかの文章って「意味」じゃないですからね。
 
 えぇと、アタシは小説は書かないんですけど、いちお〜、批評文もどき、みたいの書くのが趣味なんです。知人のHPに、作文置かせてもらったりもしてます(ちょっと古いのばっかなんですけど)。
 ここんとこは、「養老孟司さんの作文って、読み易くってすごいわぁッ」、とか思ってるんですけど。あぁした批評文(ってことにしちゃってるんです、アタシは)ですら、「意味」だけじゃないですよね、いい文章って。
 よく批評文類を読むのに、鉛筆とかで傍線引っ張く人いますけれど。アタシに言わせると、あまり効果ないです。 その批評文がよい出来の文章だったら、結局全部に傍線引かなきゃいけなくなりますから(笑)。
 傍線引くなら、色を数色使うとかね、いろいろ工夫が要ると思います。
 アタシの場合、「コレ」って批評文を読むときに、5色から7色使ったりしますけれど。小説類の文章は批評文よりもっと複雑ですから、読み込んでくにも、もっといろんな工夫があるかと思います。
1998年12月18日:11時06分12秒
読み易い文章の作文 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#こんにちわ、こちらの掲示板は二度目、かな? どっちにしろお久しぶりです。
#止まっちゃってますね、この掲示板。
#アタシ個人的には、TRPG.NETの内にある、「映画雑談所」の掲示板とか、「食べること雑談所」の掲示板とか、TRPGに直接関係しない掲示板も好きなんですけど。色んなことに好奇心持ったほぉが、TRPGだって楽しめますよね(<えっらそぉ〜;笑)。
 
 えっと、前のログでは、小説の創作テクニックの話しで、「読みやすい作文」って話しが出て、「読みやすい作文は第一義的か?(<アタシ的要約)」みたいな話しが出て。「書く小説のジャンルもいろいろだから、テクニックもいろいろ」みたいなお話しが出たんですよね。
 
 “蒸し返し”は嫌ですけれど(笑)。アタシ的には、「作文、読みづらいよりは、読み易いほぉがいい・けど」って感じですね。アタシの作文も決して読み易くないですし(自覚はあるんですよ;苦笑)。
 
 読み易い作文って、ジャンルとかにもよると思いますけれど、最初にあるのは、「母語」ってゆぅか、身に染み込んだにほん語だって思われますよね。
 例えば、井上ひさしと、大江健三郎と、あと、東京の下町で育った人とでは、作文を読み易く書くための工夫がもぉ違ってきちゃうんだと思うんです。でなきゃ、ウソって気がする。
#アタシとか、漢字なんかできるだけ使いたくない、固有名詞はしょぉが無いけど、とか思い込んでるもんだから、読み易い作文するのタイヘンです(笑)。そんなの自分の好きでやってるんですけれど。漢字、なかなか減らないわぁ(苦笑)。
#う〜ん、創作論かなぁ? この書込(謎)??
1998年11月17日:20時44分32秒
テクニックとは違うけど / クロウ
 どうも,クロウといいます。  
 テクニックと言えたもんじゃないですが  
 TRPGをやっているせいか登場人物の  
 能力や技能(スキルとタレント両方)  
 身体的特徴、ご飯の食べ方などの  
 ちょっとしたしぐさなどをはっきりさせておきますね。
1998年11月12日:09時38分12秒
創作論 LOG 001 / sf
創作論 LOG 001として 1998年09月03日から1998年11月12日までのログを切り出しました。
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