おかさん、こんにちは。早速のレスありがとうございます。
> 小説というのはあらゆる形式あらゆる方法が許されていて、ドキュメント
> も、また、小説であるという話しもあり。
もしかして筒井康隆の書いた小説の書き方の本(題名忘れた)を
お読みになったことがありますか?あれに全く同じ事が書いてありました。
どう見ても「エッセイ」であっても、本人が「小説」と言い張れば
それは小説なんだとか、あらゆる形式から開放されるのが小説の所以
であるとか書いてあったのを憶えています。
その著書の中で「こじんまりまとまった短編小説」(小説の書き方講座
とかで習うような)が短編小説をつまらなくしているとかなんとか
書いてあったと記憶しています。
> でも大事なことは、ドキュメントも、うそをつけるのです。
> うそをつかないドキュメントはきっとつまらないと思います。
> (かってな予感です。とくに根拠はありませんが……)
よく「膨らまして書く」という言葉を聞きますが、膨らます=想像して書く=
ウソをつくってことなんでしょうね。今年ドキュメントを一つ担当しました
が、現地に行かない現地ドキュメントでした。全部後日に電話取材して
パッチワークみたいに繋げたんです…。
> でも、推敲と言うのには、懐疑的です。(あまりよくならない。気がする)
人それぞれのスタイルだと思います。私は推敲しますが、殆どしない
(文字校正のみ)の人もいますね。私は思いこみが激しくて「自分が読んで
解る=他人も理解できる」という気持ちから抜け出せない。だからすこし
冷却期間を置いて「他人の目」で読みなおさないと、
文メチャクチャです(笑)笑っちゃうくらいひどいときあります。
> 今、声を出して読んでおります。
おっ?次回作ですか?月曜発行とお聞きしましたので「ははあ、
来た来た」と思って今回メールを開けました。そしたら嬉しいレスでした。
> 芥川・直木賞 の、選者ってダレが選ぶんでしょう?
…さっ…さあ…。編集者、かなあ。
最後にちょっと補足説明させてください。
> 動物的勘・地震察知……うそではありません。
そうなのですが、『動物的勘』というと、地震察知のほかに危険察知とか
獲物がたくさんいそうな場所を見つけ出すとか、色々あると思うのです。
つまり『動物的勘』の方が言葉の意味する範囲が広いのではないかと
思うのです。『動物的勘』の一部が『地震察知』である、よって句読点で
イコールのような扱いをすると、唐突な感じがするのでは…と
思ったわけなんです。
では
S.T
Goto
(bun ML)
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