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Date: Mon, 1 May 2000 23:21:49 +0900 (JST)
From: 青田 ちえみ <old3@yahoo.co.jp>
Subject: [bun 00435] [NOVEL] 陽だまりの道 
To: 文章研鑚 ML <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <20000501142149.21951.rocketmail@localhost.yahoo.co.jp>
X-Mail-Count: 00435

青田です。

お久ぶりです(^o^)
最近このMLがめっきり動いてなくてかなり寂しいです(T.T)
初めて参加した文章系のMLなので、
もっともっと活発になったらいいなーと願ってやみません。


それではちょっと長いですが、作品を投稿させていただきます。

この作品はかなり妄想系で、エッチな表現が飛び交いますので
そういったものが苦手な方はご注意くださいまし (^_^;

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  『陽だまりの道』


 冬服のまま初夏の日射しの中を歩いたおかげで、シャツの下は汗とほこりでぐっし
ょりしていた。
 父親からの手紙をたたむと、朱実はほっとため息をついた。ゴールデンウィークへ
秒よみの始まった町並みは、なんだか浮き足立っている。
 年が明けてすぐ単身赴任で遠い地に出向していった父は、どうやらこの先もしばら
く家に帰ってくるつもりはないらしい。それは遊びたい盛りの高校生にとってうれし
いことであり、また寂しいことでもあった。
 手紙には休みが取れないから、と書いてあるが本当のところはあやしいものだ。年
ごろの娘をひとり残して何ヶ月も帰ってこない父親があるだろうか。いい気なもんだ
と朱実は毒づいた。きっと向こうでいいひとでも見つけたのだろう。
 そういう女ができたのならそいつが新しい母さんになるかもしれない、そう考える
と少女の口の端が自然持ちあがる。
 それもいいかもしれない。第三者の目があれば父も自分に変な気を起こしたりしな
くなるだろう。朱実は次々と通りすぎてゆく大小のショーウィンドウに映る自分の姿
に目をやる。もうすぐ十七になるというのに、朱実の体型は小学校のころからほとん
ど変化していない。目に見えて変わったといえば身長くらいのものだが、それでも最
近はほおに少し筋肉がついてきた。
 ふいに子供のころにいなくなった母親の顔が脳裏をかすめる。この肉がもうちょっ
と盛り上がると、母親にずっと似てくるはずだ。
 やはり自分は彼女の代用品なのだろう。そう考えただけで頭痛がした。
 アパートに帰ると朱実はまっ先にシャワーを浴びる。そろそろ夏服をださないとな。
タオルで大きな水滴だけをふきとりながら朱実はぼんやりしていた。
 玄関に面した台所では木山が熱心に床を磨いている。片手で横髪を押さえているの
は、切ったばかりで邪魔だからだろう。
「髪、むすべよ」
 じれったくなって、朱実はTシャツを着ながら木山に声をかけた。
「ううん」
 はいともいいえとも取れる、どちらつかずな返事が返ってくる。
「ながさがさあ……足んないから結べない」
 少女はそう言ったきり、床掃除に戻ってしまった。木山の表情はここからはうかが
えなかったが、昨日のことをまだ気にしているようだ。
 ちょうど一日前のこと。いつもなら高校から朱実が帰ってくるのを部屋で、じっと
待っているはずの木山がいなかった。
 彼女が朱実と暮らすようになって三ヶ月になろうとしていたが、こんなことはそれ
までなかったのだ。朱実は彼女が気まぐれを起こし、家に帰ってしまったのではない
かと心配になった。木山のことを何も知らない朱実は、彼女の家に電話で確認するこ
ともできず、ひたすらやきもきしていた。父親不在のがらんとした部屋で、ひとりき
りになるのは嫌だった。
 こらえきれなくなり木山を探しに出ようと立ったとき、彼女は二の腕まであった髪
を肩より短くして上機嫌で帰ってきた。
 朱実の好きだったくせのある長い髪を木山はいとも簡単に切ってしまった。何より
それが許せなかった。ついかっとして朱実は殴ってしまったのだ。
 そのことが木山の中でまだくすぶっているらしい。
「さっき、おじさんから電話あったよ」
「あ、そう」
 ちゃんとお留守番できたのね、とでも言ってほしかったのか、少女は顔をしかめた。
「今日の模擬試験の結果、ファックスしろって」
「結果は来月まで出ねえよ」
 鋭く言う。今朝もって出た手紙を下校時にようやく読んだというのに、また父親と
交信するのが嫌だったのだ。朱実は文字を読むことも書くこともからっきしだめなの
だ。
 そんなことを知らない木山はびくりと背中を硬直させた。
「たぶん……自己採点したやつのことじゃ」
「わかってるよ。おまえね、あたしが試験中に答えを控えるように見える?」
 無言。
 しまったな。またしくじった。朱実はだまって床磨きをする少女の背中を見下ろし
た。やはり昨夜のことが尾をひいているみたいだ。
「木山?」
 自分でも気味が悪くなるような猫なで声で少女を呼び、背中を抱きしめた。
 あまり彼女を追い込むと立ち直ってもらうのに日数がかかるのだ。
 急に抱きすくめられ少女はあわてて立ち上がった。木山は目に涙をためている。少
女の髪をなでつけながら、自分の方に向き直させると朱実は髪をそっと耳にかけてや
った。
 少女の顔には昨日朱実が何度も殴打したあとが青く残っている。それを親指でそっ
とたどった。罪悪感からか、少女を抱く腕に力が入る。
「きやま」
 もう一度言う。
「もう怒ってない。ぜんぜん怒ってないから」
 そこまで言うとつづかなくなった。今まで何度こうして謝ったのか、朱実には分ら
なくなっていた。
 木山をこの部屋に迎えて三ヶ月。いつでも気づくと烈火のごとく沸き起こる激情に
まかせ、少女を組み敷いている自分がいる。どうして手をあげてしまうのか朱実自身
にも判らなかった。普段はだれに対しても怒ることがないだけに、朱実はかなり混惑
していた。
 急に朱実が黙ったので木山は不安そうに見上げている。
「その髪型、それでもいいよ……似合ってないけどさ」
 朱実が無理に微笑んでみせると木山も不自然に笑った。仲直りの儀式、朱実はひそ
かにそう名づけていた。あきれるくらいに、同じやりとりを繰り返す自分たちにそれ
でも彼女は満足だった。
 小さな町にある古びたアパートの二階に朱実は住んでいる。木山は父親の不在をい
いことに連れこんだ家出人だ。三ヶ月前に大荷物を抱え終電の行ってしまった駅に座
りこんでいるところを、友人の家から帰る道すがら拾ったのである。
 彼女が家を出た事情を朱実はよく知らない。高校を中退していることだけは聞き知っ
ていたが、それ以外のことは全く教えてくれなかった。木山について何も知らないこ
とを朱実は気にしていなかった。話したくなれば言うだろうと、放っているのだ。
 それが木山に対する優しさなのか、生来の無頓着さからのものなのかは不明だが、
何も訊かれなくなって木山が安心していることだけは確かだった。
 以来彼女は朱実の家からほとんど出ることなく、家事をしながら一日をやり過ごし
ている。木山がやってきたおかげで、六畳間ふたつと広めの台所だけの朱実の根城は
ちりひとつ落ちていない清潔さを保っていた。この一点だけでも彼女はかなり便利な
奴だった。
 ゆうべのように理不尽な暴力が吹き荒れることもあるのだが、不思議に二人の間は
それほど気まずくならなかったし、お互いのペースを乱すこともない。
 木山が夕食の仕度をする間に、朱実は夏服をさがした。しかし去年しまっておいた
はずの場所に目的のものはない。まさかと思い父の衣装ダンスをかきわけてみたがそ
こにもなかった。
「なにか探してるの?」
 マヨネーズを持ったまま木山がやってきた。サラダでも作っていたのだろう。台所
からも煮物の匂いに混じってマヨネーズのいやな匂いが漂ってきた。
「あたしの夏服知らねえ?」
「ん? 学校の?」
「ああ。明日着ていきたいんだけど、なおした場所忘れちまった。おまえ見かけなかっ
た?」
「それなら洗ってあるよ」
 はあ? とかなり甲高い声で朱実は聞き返した。去年の夏が終わってすぐクリーニ
ングに出したはずだ。ベランダに目をやると白いセーラーとスカートがひらひらゆれ
ていた。他の洗濯物はすでに部屋に入れてあるのに、制服だけがまだ外にある。朱実
は妙な違和感を覚えた。
「今日かなり暑かったでしょ。朱実さ、まだ冬服のままだったから……だから夏服さ
がして出しといてあげたの」
 木山は何事か取り繕うように言った。
「でも、なんだか変に匂うから洗濯した。悪かった?」
「悪くないけど、変な匂いって、なんだよ」
 朱実は恐る恐るたずねた。知らないよそんなの。そう言って木山はそっぽを向いた。
顔が紅潮している。さっと血の気が引くのを朱実は感じた。やはり父が冬の間にさわっ
たらしい。性的にかなり問題のある朱実の父は、彼女の衣類に何かしら特別な思いを
抱いていおり、何事かあるたびにいかがわしいことをしていた。だが制服にまで手を
出されたのは今回が初めてだ。
 朱実はベランダでたばこをふかしながらずいぶん長いこと、夕暮れの空にひらひら
舞うセーラーを眺めていた。ベランダに出たときはまだ明るかった空が、赤く染まっ
ていくのを遠い出来事のように朱実は見守っている。中空にはすでに深い藍がせまっ
ていた。
 何ヶ月も前に父の処理した性欲の残骸を木山に見られた上に、後始末までされたこ
とに朱実は放心している。彼女は明日にでも出て行くのではないだろうか。
 普通の女の子が、家庭の機能が崩壊しているこんな場所に、それを知ってなお留ま
るとは思えない。だが朱実の心配をよそに木山は変わらず家事をこなしている。料理
の合間にテレビを見たり灰皿をベランダまで持ってきたりする彼女はいつもどおりの
笑顔だった。
 数本目のたばこに火をつけたとき、足元で朱実を呼ぶ声がした。ベランダに面した
小道に目を転じると、千秋が立っていた。彼女は中学からの友人だ。今は高校を中退
し遊んでいる。
「バイト終わったー、ていうか人生終わったー」
 明るい声で千秋が叫ぶ。いつもより陽気だ。
「バカ。上がって来いよ」
 朱実がベランダから身を乗り出すと、千秋は両手にもったコンビニ袋を掲げた。朱
実は苦笑する。はなからそのつもりだったらしい。千秋が表へと回るのを確認すると、
朱実は手にしたままのたばこを吸った。うすい雲が中空の星を隠しはじめている。
 部屋に上がった彼女は木山のあざを見て開口一番朱実をののしった。
「なに考えてんのよあんたは。美咲ちゃんがかわいそうでしょ。少しは自分の馬鹿力
を自覚しなさいよね。美咲ちゃんはあんたのドレイ? あんたの子分? あんたの――」
「あのっ千秋さん、いいですから」
 酒臭い息をばらまいて朱実につっかかる千秋を木山があわてて止めに入る。ここに
来るまでにかなり飲んできたようだ。千秋は木山とそこまで仲良くないのに、彼女を
名前で呼ぶ。朱実にはそれが少し気に入らなかった。
「ぜんぜんよくない。いい? 美咲ちゃんこういう女はね、一度シメシをつけてやっ
とかないと、後でとんでもない目に遭うんだからね。だいたい朱実は何の権利で美咲
ちゃんを殴るんだよ」
 酔っ払いは木山を跳ねのけ朱実の胸ぐらをつかんだまま説教を始めた。からみ酒だ。
朱実は嘆息した。
 予想よりも早く千秋の説教が終了したのは、できたての魚の煮つけを木山が皿に盛っ
てからだ。千秋は持参の缶チューハイをふたりに配ると、美咲ちゃんのお魚に乾杯、
と勝手に酒宴を開いた。かなり飲みたいモードに切り換わっているらしい。
 千秋は「うーん。この魚、甘いね。なに入れたの?」だの「サラダはマヨネーズ和
えだよね、やっぱり」だのくだらない話題を木山と延々していた。朱実はそのあとに
当然来るであろう、身の上話に思いを馳せると、とてもそんな気にはなれず大好きな
ラジオのトーク内容も頭に入って来なかった。
 千秋が人生終わったーと明るく言う時は、失恋したか職を失くしたかのどちらかに
限られている。案の定、酒に弱い木山がつぶれると話はそっちの方に流れてきた。
「あのハゲ、ぜったいあたしがレジの金を盗ったって思ってるんだ」
 缶チューハイ三本で目を充血させた千秋は、壁にほえた。今回はかなりショックだっ
たのだろう。
「あんたがそんなことするはずないのにね。ぜったい」
 朱実は思ってもないことを言った。
「なんでいつもこうなんだろ……」
 と千秋がぼやく。彼女がバイトをクビになるのはだいたいこういった金銭がらみか、
高卒という点だけが取り柄の女が新たに採用されたときのどちらかだった。いつも繰
り返される会話に朱実はなぐさめの言葉がでない。
「なんでいっつもこうなんだろ、ほんと」
 もう一度言う。
 朱実としては、彼女が本当に金をくすねているような気がするのだ。それほど千秋
は人に信用されにくい容貌をしていた。彼女も少しはそれを自覚しているのか服装に
はかなり神経を使っていて、どんな時に会ってもきちんとしていた。だが問題は七日
に一度は切りそろえている腰までのストレートと人を全く信じていないと大声で主張
している目つきにある。だがそれを口に出すほど朱実は勇敢ではなかった。
 初対面の人間にさえ、わずかな不信感を植え付けるほど千秋の瞳は深く澄んでいた。
 千秋は残り少ないチーズの袋を朱実に手渡した。
「次はどこで働こう」
 と笑った彼女は、もういつもの千秋に戻ってしまっている。
「工場とかにすれば? レジも金庫もさわんなくていいじゃん」
 もうちょっと打ちひしがれた彼女の姿を見ていたかった、朱実は内心舌打ちした。
「それも考えたけど、あまりやりたくないわ。ああいうとこの制服ってかなりださい
もん」
「すっげーわがまま」
 千秋はぺろっと舌を出す。チーズの棒をくわえて真顔に戻ると、朱実を彼女はしげ
しげと見つめた。なんだよ、と朱実が顔をしかめると、
「美咲ちゃんとはどこまで進んだ?」
 と千秋はにやにや笑う。朱実がその言葉を理解するのにたっぷり五秒かかった。
「あほか」
 朱実はその場に突っ伏した。
「うげー。ショックだー。あたしたちをそんな目で見てたんかい」
 畳に額をこすりつけて朱実は唸る。千秋はうそー違うの? と大仰に言った。缶に
残っている酒を一気に飲み干し、朱実は彼女をきっと睨む。
 本気で怒るなよお。と千秋は投げ出した足をばたつかせた。いつも強気な彼女がひ
るんだことに満足し、朱実は目をそらしてあげた。
 本心ではそこまで怒っていないしショックでもないのだが、こういう話題を振られ
たときは反射的にそんな反応をとってしまう。それがなぜなのか朱実自身にもさっぱ
り分らなかった。
「あんまりにらまないでよ。あんたって視線で人を殺せるんだから」
 千秋がけらけら笑いなが言う。新しい缶を開けた朱実は、それはおまえだと叫んだ。
 平素の状態にもどった千秋は、好みの音楽やドラマ、それに片思いの男の話した。
どれも朱実の興味のない分野のことではあったが、それを話す千秋のいきいきとした
瞳を見れるなら苦にはならない。朱実は千秋が話すことはならなんでもよかった。
 唐突に、壁ぎわのベッドで横になっていた木山が目を覚ました。口元を押さえてい
る。やばい、とふたりは声をそろえて立ち上がった。
「おいおい大丈夫か? 木山」
 少女の腕を朱実がひっぱった。木山はふらふらと上半身を起こす。身体に力が入ら
ないらしい。
「……気持ち悪い」
 木山の声に、千秋が洗面器を持って飛んできた。間一髪で、朱実の部屋は食べ物の
逆流から免れた。
 なおも吐きつづける木山の背中を朱実と千秋はなでてやった。つんとしたものが朱
実の鼻を刺激する。これからは木山に飲ませないようにしよう、人肌の温もりを持っ
た洗面器を片手に朱実は強く決心した。
 人心地ついた木山は、ベッドの上でぐったりと壁にもたれている。すっかり興が冷
めてしまった。
 千秋は洗面器を片付けるとさっさと帰る準備をはじめた。彼女の親から居場所確認
の電話が入ったせいもある。帰り際の千秋が、
「あんまり好き放題やってると、あとで自分の首しまるよ」
と抜けぬけと言った。
「それはあんたのことだろ?」
 と返す朱実に乾いた笑いを残して、彼女は迎えにきた親の車にさっさと乗り込んで
しまった。千秋と話したいことはまだたくさんあったのに、朱実は少し寂しかった。
楽しく騒いだあとの別れはどんなときでも嫌なものだ。
 生温かい風が朱実のうなじをくすぐる。切れかけの街燈を抱く空は星をすべて雲に
かくしてしまっていた。朱実はふらふらとアパートの階段を昇る。明日は降るかもし
れない。
 深夜、息苦しさでわずかに目を開けると木山と目が合った。木山は朱実に馬乗りに
なったままじっと彼女を見下ろしている。今までも朱実が夜中に目覚めると、なぜか
木山と目が合うことが多かったが、さすがに馬乗りされたことはなかった。
 朱実同様まだ酔いがさめていないのだろう。
「なんだよ。重いだろ」
 寝ぼけた非難の声を無視し、彼女は朱実の口を塞いだ。脈絡のまったくないキスに
朱実は声を出せなかった。点けっぱなしになっていたラジオから流れる軽快な音楽、
妙にテンションの高いナビゲーターが電話の向こうの少年に「そんなきみのジョニー
のサイズわっ?」と訊ねる声を聴くうちに、朱実のまぶたは重くなってきた。寝る前
に飲んだ酒がまだかなり残っているのだ。
 ぼんやりとした意識の中、酒臭い木山の舌の動きを観察しながら朱実は眠りそうな
自分に喝をいれようとした。うねうねとうごめくそれは、父親のキスを連想させる。
彼もまたしつこい性格をそのまま写し取ったようなキスをするのだ。
 ――なんだ、とうさんのとそんなに変わらないや。
 なんとか落ち着きを取り戻した朱実は天井のしみをながめた。父親との生活でこん
なことには慣れきっていた。こういう突発的な事故は辛抱していれば、天井のしみで
いろんな形を描いて遊ぶうちに終わってしまうものだ。
 アルコールのせいか、朱実は相手が木山であることをほとんど意識できていなかっ
た。彼女はまだ夢を観ているような気分だったのだ。
 相手が父親から木山に変わったとしても、それが朱実の夜の習慣には変わりなかっ
た。同じ家に住んでいる者が朱実を蹂躙するのは、彼女には至極当前のことなのだ。
 この三ヶ月間、木山がこうしなかったことを心のどこかでずっと不思議がっていた
くらい、朱実の感覚はおかしかった。
 朱実は特に抵抗もせず、木山の気が済むのをじっと待っていた。初めての相手なの
でどれくらいかかるのか、それだけを心配している。
 朱実はなおも舌をからませてくる木山にうんざりしながらも、父の面影を重ねあわ
せた。久しぶりの夜に、遠く離れた父をなつかしく感じる。
 彼はいまごろ朱実の知らない女を抱いているのかもしれない。
 木山がTシャツに手を入れてきたとき、朱実は思いがけない出来事にびくついた。
幼いころから父にされてきた手順とはまったく違うのだ。父ならまっさきに朱実のズ
ボンに手をかける。
 しかし木山は胸からだった。木山は朱実の胸に少しもふくらみがないことにとまどっ
ているようだ。わずかに突起している部分を中心に木山の指が踊る。
 朱実は熱っぽい木山の手のしっとりとした感触や、シャツを脱がそうともせずにい
ることに驚いた。朱実を見る艶やかな視線もなにもかも、全てが父親とは違った。
 あわてて起きあがろうとする朱実を、木山は体重をのせ片手で押さえつけた。木山
はふっ、と笑う。うるんだ瞳がまっすぐ朱実をとらえている。朱実の背筋に冷たいも
のが走る。
 朱実は両のひじに力をこめて再度起きあがろうとした。
「好き」
 つぶやく木山に抱きすくめられ、朱実はか細い悲鳴をあげた。
 幼いころから築いてきた、朱実の薄っぺらなモラルは木山のひとことで破壊された。
 朱実の奥深い場所からどろどろとしたものが一気に吹き出す。
 父とふたり毎夜のようになしてきた行為の意味を探ることを、朱実は十七になる今
日までずっとしなかった。それは無意識に封じ込めてきた疑問だった。
 ――これは、親子のすることじゃなかったんだ。これは……これは……。
 朱実の悲鳴を自分のいいように解釈した木山は、指と口で更に彼女を揺さぶった。
しかし朱実は父親とのとき以上に、まったくなにも感じなかった。
 酒でぼやけていた頭に前触れなくおとずれた混乱に、朱実はだらしなく口を開ける。
見開かれた目の焦点は最後まで定まらなかった。
 木山が満足して眠ったあと、朱実は初めて父親のベッドで寝た。久しぶりに入った
父の部屋はまだうっすらと彼の匂いを抱いている。
 朱実は服を脱ぐと父がするようにして、自分の体をたどっていく。彼の不在で淋し
い夜はいつもそうだった。幼いときからの儀式のようなもので、こうしていると寝つ
けなかったのが嘘のようにぐっすりと眠れるのだ。
 だが今夜はそうはいかなかった。
 朱実は泣きながらも、すがるように父のいつもの手順を思い出そうとする。けれど
も彼女の脳裏には隣室でねむる木山の姿ばかりが現れた。懸命に記憶の糸をたどって
も、思い出せるのは落ち窪んだ父の目と真一文字に結ばれた口もとだけだった。
 彼女の嗚咽は降り出した雨の音に沈み、明け方まで残っていた。


 それからしばらく朱実は学校に行かなかった。
 あの制服を着て登校するなんて、今の彼女にはとてもできない。
 ベランダにはあの日から出したままになっている、セーラーが日差しにさらされゆ
れている。それを見ると毎夜繰り返された父の愛撫と彼の欲望をつなげて考えてしま
い、朱実はトイレで吐いていた。
 それでまた憂鬱になる。しかしどうしても、セーラーをしまい込むことができなかっ
た。
 木山はというと、一日中彼女を独占できることに舞い上がり、朱実が学生であるこ
と自体忘れている。
 思春期のふたりは、体力の続くかぎりベッドの中にいた。
 日が経つにつれ朱実は受身でいることが少なくなっていく。木山の「好きだよ」
「愛してる」という甘いつぶやきを洪水のように浴びながら、自身を縛っていたもの
が少しずつほどけてゆくのを朱実は肌で感じていた。


 たまたま千秋の姉が持っていた制服で学校という日常に戻り、木山を名前で呼ぶよ
うになった頃、朱実の体に変化が起きた。
 それを見つけたのは木山だった。
「ここ、押すと少し痛くならない?」
 ベッドに横になり宿題をする朱実の胸を木山は背後から、普段より強く押さえた。
「んー? そうかあ――よくわかんね」
「ったく。自分の体でしょうに」
 ここにしこりができてますよ、お客さん。にやにやと笑い木山は眉を上げた。
 しこり? オオム返しに聞きながら、朱実は彼女にくらべるとあまりに貧相な自分
の胸に手をやった。確かにしこりはあった。だがそれはかなり注意しなければ判らな
い程度のものである。
「おめでとう」
 木山の意味深なせりふに朱実は顔をしかめる。
「朱実ちゃんもこれで大人の仲間入りだね」 木山が朱実の家でお手伝いさんの真似
ごとをするようになった経緯は単純で、
 はあ? と甲高い声で木山を仰ぐ。彼女のにやにや笑いは止まなかった。
「むね、これからふくらむよ」
「なっ? え? あ?」
 朱実は言葉にならない言葉を返す。
「第二次成長だね。要するに」
「うそだろ……だってあたしもう十七だよお」
 朱実は木山の言うことを信用しなかった。しかし日が経つに連れ、範囲の広がるし
こりとそれに伴う痛みは、否定できないくらい木山の語った彼女の経験どおりのもの
であった。
 眠れないほどの痛みに耐えきれず、朱実は何度か学校を休んだ。木山はおかしいの
をこらえながら朱実に接していた。彼女はかなり痛みに強いタイプなのだ。いつでも
自分を殴っていた朱実が、その程度の痛みに苦しめられている。それが彼女には滑稽
に見えるらしい。
 最初は痛みと睡眠不足で狂暴になっていた朱実も、それが長くつづくものだから最
近ではぐったりしている。
 木山のすすめもあって気晴らしに散歩にでると、少し先の公園で千秋に出くわした。
「よお、調子はどうだい」
 千秋は長い髪を振り乱し勢いよく自転車を止めた。
「死にそう、あたし」
「へ? 具合でも悪いの。なんか悪いもの食べた? そういや学校は?」 木山が朱
実の家でお手伝いさんの真似ごとをするようになった経緯は単純で、
「休んだ」
「あんたが病気で学校休むなんてめずらしいわ」
 こりゃ明日は雨だね。と千秋はつけたした。そんな憎まれ口を気にする元気もなく、
朱実は舗道を歩きだす。千秋も自転車を降りてそれについていった。
 大型連休が終わって、町も公園も静かに横たわっている。朱実は照りつける太陽の
下をふらふらと歩く。もう日中は半袖でもいいくらいだった。
「あ、そうそう、あんたの親父さん帰って来るんだって?」
「なんで知ってんだよ」
「美咲ちゃんに聞いたもん」
 千秋と木山はこの間の宴会以来、急激に仲良くなっていた。毎日のように電話で話
している。
 集団生活からドロップアウトした者同士、気が合うのかもしれない。
「美咲ちゃん、どうすんの? あの子それを心配して、あたしに電話してくるんだよ」
「なんでおまえに相談すんのかねー」
 朱実は意外な木山の行動に少しむっとした。
「あんたに相談できないでしょ。あんた親父さんの話したら吐くって泣いてたよ」
 そんなことあるかよ。と朱実は受け流した。ふいに立ち止まった友人は、気難しい
顔で朱実を見つめている。さあっと一陣の風が通りぬけ木立をゆらした。木陰に立ち
止まった千秋の目は深く澄んでいる。木洩れ日が自転車のハンドルに落ち、朱実はそ
れがまぶしくて千秋を見れなかった。
「……あんた、親父さんと何かあったんでしょ」
 木立の向こうの芝生に向かって、朱実はゆっくり首をふる。千秋の瞳がさらに深く
なった。うそは見ぬかれているようだ。
 唇のわななく千秋を残し朱実は歩き出した。日差しが暑い。
 週末、朱実は新幹線の駅まで父親を迎えに行った。そこで食事をするのが彼の描い
た予定らしい。今までにない強い口調で迎えを要求する父親に、押しきられる形で朱
実は電車に乗った。
 父の降りる駅に向かう電車は、かなり込んでいた。隣の座席には木山がいる。結局、
父とふたりきりになるのを恐れた朱実は、彼女を家に置いておくことにしたのだ。家
出中の木山の素生を探られぬために、千秋を巻き込んでいろいろと打ち合わせをして
いた。
 手始めに木山の大荷物を、先ほどコインロッカーに預けてきた。
「朱実のお父さん、本当にあたしのことクラスメートって思うかな」
 窓外の景色を眺める朱実に、木山が不安そうにたずねた。
「大丈夫。あの男はそこらへん気が回んないから、言われりゃ信じるよ」
 この日何度も交わした会話にぐったりして、同じ答えを返す。父が帰ってくる二日
間だけ、千秋の家に泊まると最後まで言い張った木山を、無理に連れてきたのだ。
 朱実は木山の小心さにむかむかしながらも、ずっと下手に出ていた。ここで木山に
気を変えられてはたまったものではない。
 巨大な駅に着いた朱実は、普通の改札の真横に新幹線の改札があるのに驚いた。
 昼下がりの改札口はなぜだかがらんとしている。商店街とは反対の出口にいるせい
かもしれない。父の乗った新幹線はもう駅に入っていた。
 朱実は父が降りてくるはずのエスカレータを真正面に見ながら、早まる鼓動と必死
に戦っていた。隣に立つ木山の手をぎゅっと握る。木山はそんな朱実をいぶかしげに
見上げた。
 まだ父親の姿も見ていないのに、朱実は吐き気をもよおしていた。
 朱実の額の汗に気づいた木山は彼女をホールの隅のベンチに座らせる。
「どうした?」
 青い顔をした朱実に、離れた場所から男が声をかけてきた。朱実の父親だ。ベンチ
まで歩いている間に下りてきたらしい。
 彼は小さな旅行カバンを小脇にかかえて駆けよってきた。骨ばった顔にかけている
メガネがずり落ちている。
「大丈夫か。すまんな、とうさんが無理言ったもんな」
 気難しそうな顔で彼は朱実の額に手をやった。
 かさかさとした感触に鳥肌がたつのを朱実はぐっとこらえる。血の気が引いて視界
が一瞬黄色に染まった。
「暑気あたりかしら。外はすごいものねえ」
 見知らぬ女が父親に話すのを、朱実は遠くの出来事のように聞いていた。
 木山が買ってきたジュースをひと口飲み、なんとか回復した朱実に父はその中年女
性を紹介した。朱実の予想していた通り、向こうで女ができていたらしい。
 あまりに親密なふたりの立ち位置に、朱実は戸惑う。それを悟られることないよう
にゆっくりと木山を紹介した。
「ああ、木山さんていうんですね――学校ではさぞかし朱実が世話になってるんでしょ
う。ありがとう」
 この子はむかしからともだちが少なくてね、よろしく頼みますよ。とまるで仕事仲
間と居るような口調に木山と女性がくすくす笑った。
「ちょっと時間が早いけど、食事に行きましょう。もう大丈夫だな、朱実」
 そう言って彼が女性の腰に手を回したとき、朱実はぎくりとした。腹の底がしめつ
けられるような不快感が湧き上がる。
 父とは会わない方がよかったのかもしれない。あれだけ父を拒絶していた自分が見
知らぬ女の出現に、心乱されたことに朱実は動揺した。
 ――あたしはあんたの何なんだ。
 朱実は心で何度も叫ぶ。
 ひどく頭が痛んだ。
 誰ひとり朱実の変化に気づかなかった。もっとも朱実の近くにいる木山でさえ。
「とにかく食事に行こう」
 父のはずんだ声に女性と木山は動いた。
 初夏の日差しがアスファルトを焼いている。


[END]

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いかがでしたでしょうか。
どのような感想がいただけるのか、かなりびびってます。(^_^;

美少年系同性愛(JUNE)ってよく耳にしますが
その逆はあまり知らないんです。
なので、手本にできる小説があまりないのが目下の悩みです(T.T)

どなたか、少女系の同性愛でよい本をご存知でしたら
お教えください(って、なんてお願いしてんだか、自分……)


ではでは。





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青田ちえみ
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