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Date: Tue, 15 Feb 2000 21:08:42 +0900 (JST)
From: 青田 ちえみ <old3@yahoo.co.jp>
Subject: [bun 00424] [novel] 雪のバースデイシアター 
To: bun@cre.ne.jp
Message-Id: <20000215120842.1400.rocketmail@localhost.yahoo.co.jp>
X-Mail-Count: 00424

こんばんは。青田ちえみです。
今回、初めて時節ものを書いてみました。
至らぬ点ばかりかとは思いますが、
最後まで読んで頂けたら幸いです。



   「雪のバースデイシアター」



「どうする、旦那のところへ帰るかい?」
 男の下卑た笑いに、少女は視線を落とした。
 雪がフロントガラスを激しく叩いている。昼間は賑わっ
ている展望台も、深夜は人っ子ひとり見当たらなかった。
 たとえ、そこに誰かが居たとしても熱気に曇るガラス越
しには、車内を覗き見ることも出来なかったろう。
 暖かい車中で、少女は破られた自分のブラウスを眺めて
いる。後ろ手にきつく縛られたロープが、手首に喰い込み
激しい痛みが走った。
「その成りで帰るのは、さすがに出来ないよな」
 くく、と男は笑みをこぼす。少女の顔が苦渋に滲む。
 男はこの美しい少女を自分の思い通りに出来たことに満
足していた。
「…こんなことして、た、ただじゃ済まないから」
 うつむいたまま、かすれた声で少女は言った。
 男はそれを無視してたばこに火をつけると、少女に差し
出した。少女はそれには答えなかった。
「奥さまは、たばこがお嫌いでしたか」
 男は明らかに自分の優位を楽しんでいた。少女の目から
大粒の涙が落ちる。自分がなぜこんな目に遭わなければい
けないのか、分からなかった。
 男は、二ヶ月前、少女の屋敷に使用人として雇われた。
以来、主人の若すぎる妻に強く興味を抱いき、仕事をしな
がらも少女の姿を追い続ける毎日だった。
 男は気位の高いこの少女を、毎晩自分のものにする夢を
見ていた。それがこうして実行に移される日が来るとは思
ってもいなかったが――
 しかし、今こうして少女は現実に自分の掌中にある。
 男は再度湧き上がってくる情欲に鼻を鳴らし、縛ったま
ま助手席に少女を押し倒した。瞬間、サイドブレーキが外
れ、車が後ろへと下がり始めた。
 男は慌ててサイドブレーキを掛け直すが、車は停車しな
かった。止らないどころか、男と少女の乗る車は急な斜面
にさしかかろうとしていた。
 男はどうにか車を停めようと、やっとの思いで運転席に
戻ったが、加速していた車はすぐには止らなかった。車は
粗末なガードレールを突き破り、林木に激突した。
 激しいショックに男と少女は悲鳴を上げる。
 車体が変形したのか、開きにくくなったドアを足で蹴り
開けて、血まみれになった男が這い出てきた。衝撃で上を
向いてしまったヘッドライトが暗闇を切り裂いている。そ
こにだけ、降りしきる雪の塊が浮かび上がっていた。
 無断で拝借した屋敷の主人の黒い車は、前部のみ原型を
留めているものの、後部に回ると見るも無残につぶれてい
る。
「ねえ、何か油臭いわ!」
 助手席からの青ざめた声に、男は給油口の下を覗き見た。
 ガソリンが漏れ出ていた。男は血に滲み始めた視界の中
を、必死にキーを探り当てエンジンを切ったが、ライトも
同時に消えてしまい、辺りは闇に包まれた。
 引火、爆発という最悪な自体にはならずに済み、ほっと
したせいか男はその場にうずくまってしまった。
 いつの間に車から出てきたのか、少女が後ろ手のまま男
の傍に立っていた。
「縄を外して頂戴」
 少女は未だ気位の高さを保っていた。だが、男はそれに
は取り合わない。
 事を成した後、この車で逃げるつもりだったのが、こん
なことになってしまったのだ。徒歩でも何でも、一刻も早
く逃げるに越したことはなかった。
 取り合えず引き裂いたタオルで止血した後、男は自分の
コートとカバンだけ持って車が激突した林の中へと歩き始
めた。
「待って。あたしをこのままにしておくつもり? こんな
山の中にあたし一人を?」
 少女の叫びに男は答えなかった。尚も少女は半狂乱に叫
んだ。
「待って! 置いてかないで。電話もないのよっ。ねぇっ」
 縛られた上に、深夜の山頂に置き去りにされては堪らな
い。少女は何も羽織らず、男の後を必死に追いかけた。し
かし、この暗闇である。男の姿は何処にも見当たらなかっ
た。
 男に追い着こうと走ったせいで、急な傾斜に足を取られ、
少女は林の奥へと滑り落ちた。落ちていく間に方向を見失
い、少女は元来た道すら分からなくなってしまった。
 少女は男が近くに居ないかと、大声で呼んでみるものの
雪と風にその声はかき消されてしまうのだった。少女は寒
さに震えながら、自由の効かぬ体で山を降り始めた。少女
は男に山頂の展望台につれてこられた折、中腹辺りに小さ
な村落の灯を見たことを思い出していた。
 下に進めば、そこに辿り着けるかもしれないと期待した
が、十数分も進むと下りの坂はきつい上りへと変わってし
まった。
 後ろ手に縛られた身で、登るのは至難の技だった。それ
でも少女は、助かりたい一心で道を急いだ。先ほど斜面か
ら落ちたときに右の肘を何かに引っ掛けたらしく、血が流
れ落ち関節もずきずきと痛んだ。
 少女はあの時不用意にも、男を追いかけてしまったこと
を悔やんだ。こんなことになるのなら、舗装された道路か
ら下山した方が遥かにましだった。しかし後の祭だった。
 少女は一瞬でも、憎むべきあの男にすがろうとした自分
の愚かさを呪った。だが、それも長くは続かず寒さと痛み
で意識は朦朧(もうろう)とし、何も考えられなくなって
いく。
「そうよ、家に帰ったらあたしは大好きなカウチに寝転が
って、あの人の取っておきのチョコを食べるのよ」
 少女は昨夜、部下にもらった好物のチョコレートを紙袋
いっぱいに詰めて帰宅した夫を思い出していた。その中で
も二人の共通の好物である高価なチョコレートは、二日後
の少女の誕生日に食べることに決めていたのだ。
 少女は、懸命に思考を保とうとしていた。家に帰り着い
たらまず、温かいお風呂に入りたい。そして、姑がいつも
作ってくれるホットミルクを飲みたい。息子しか居なかっ
た姑は長男の嫁である少女にとても優しかった。まだ幼く、
家事の仕方も知らない少女に手取り足取り色んなことを教
えてくれた。
 数年前に死んだ、実の母親よりも好きになっていった。
 少女の思考は、ともするとコートも着ていない体に吹き
付ける雪と風に中断されてしまうのだった。
 やっとの思いで坂を登りきった少女は、喜びのあまり叫
んだ。
 さらわれて来た時に見た、あの村落とおぼしき灯がぽつ
りぽつりと点っているのを遠くに見つけたのだ。
 少女は我を忘れそこへ目掛け走った。途中何度も草や木
の根につまづき転倒したが、それにもかまわず走った。
 少女はいつの間にか両手が自由になっていることに気づ
いた。何度目かの転倒で少女の動きを制限していた縄がゆ
るんだのだ。
 どれほど走ったのかは分からなかったが、少女は徐々に
大きくなる灯りを頼りに進んでいった。不意に民家の灯り
が木の陰になって見えなくなってしまた。少女は泣き出し
たい気持ちをぐっと押さえつけて、自分の背丈ほどある草
むらをかき分け前へと進んだ。
 草むらを超えると、なんとその民家が目前に現れた。
 少女は民家の戸を激しく叩き助けを求めた。
 吹雪の夜の来訪者に最初、民家の主は答えなかったが、
それが少女の声だと判ると慌てて戸の錠を外した。中から
老婆が出てくるのを見ると、安心したためか少女は戸口に
倒れこんでしまった。

 目が覚めると、そこは最初に少女が男を追って足を踏み
外し転がり落ちた場所だった。
 置き上がろうとしたが、全身が凍ってしまったように動
かなかった。首も動かず、少女の目には雪に覆われた草の
上にぽつんと転がっている、自分の腕時計しか映らなかっ
た。
 時計のアラームがずっと鳴っていた。
 それは、少女の誕生日をすぐにでも祝いたいと、夫が自
分の時計と一緒に今朝セットしたものだった。
 少女は、薄れゆく意識の中で夫の顔や仕草を思い出して
いた。夫を会社まで迎えに行くという、あの男の口車にさ
え乗せられていなければ、今頃は夫と姑と三人で自分の誕
生日を祝っているはずだった。
 少女の涙はぽたぽたとこぼれ落ち続け、その都度、幸せ
だった昨日までの出来事を映画のワンシーンのように鮮明
に蘇らせる。それは淡い光の渦となり、木々の間に消えて
行った。



 (翌年四月三日付け地方新聞)
 保険金目当てに、昨年二月十六日に妻(19)の殺害を第
三者に指示したとして、殺人教唆(きょうさ)などの罪に
問われている元N重工(株)重役、N氏(24)を事情聴取し
たところ、大筋で罪を認めた。N氏の父が経営するN重工
(株)は、先月上旬に会社更生法の適用を申請しており、
事実上の倒産となっている。捜査本部は更に詳しく調査し
ていく方針。

[END]

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青田ちえみ
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