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Date: Sun, 13 Feb 2000 09:19:35 +0900 (JST)
From: 青田 ちえみ <old3@yahoo.co.jp>
Subject: [bun 00422] 
To: bun@cre.ne.jp
Message-Id: <20000213001935.11178.rocketmail@localhost.yahoo.co.jp>
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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
青田ちえみです。
1月末まで続いた後期試験も終わりましたので、以前批評していただいた「針金の指輪」の改稿分をお送りします。



   「針金の指輪」(改稿No.01)



 今年二度目の大雪が降った日、朱実は級友である千秋の部屋でみかんを食べていた。
 四人座るのがやっとの、小さなこたつで二人は暖をとっていた。千秋はそのせまいこたつの朱実と同じ辺に無理やり入り込み、地元のショッピング情報に見入っている。
 朱実が千秋の食べかけのみかんにまで手をだしたとき、背後でふすまの開く音がした。
「…かれんちゃんが亡くなったんですって」
 しわがれた声に振り返ったのは、千秋だけだった。
 朱実は口にみかんを運んだが、飲み込むことができずに、そのままみかんを舌で転がしている。何かが頬をつたっていくのを感じて、自分が泣いていることに気づいた。
 予感していたとはいえ、あまりに早く現実となってしまった事への不安を朱実は千秋の手を握ることで、なんとか堪えていた。
 千秋は非常にゆっくりとした動作で朱実の左手を握り返した。
 朱実の指には、一時間ほど前にかれんが作ってくれた指輪がはめてある。千秋はその指輪にそっとくちづけをした。千秋の唇は、冷たくなった朱実の手のひらとは対称的に普段よりも熱く、それがとても気味悪かった。
 千秋の母親は喪服、とだけつぶやいて部屋から出ていってしまった。
 後には、ふすまが開けられたせいで入ってきた冷気と、沈黙だけが残った。
 それまで無表情だった千秋が、にわかに怒ったような情けないような顔をした。何か口の中でぶつぶつとつぶやくと、千秋はコタツに突っ伏してしまった。その肩が震えているのを朱実は複雑な気持ちで見つめていた。
 口の中でもてあそんでいたみかんの房が、不意に破れた。甘酸っぱいものが口いっぱいに広がり、朱実はとても不快だった。どうやら、みかんがあまり好きではないらしいということに、朱実はようやく気づいた。
 その間にも朱実の瞳からは大粒の涙が次々と溢れ出てきたが、不思議と悲しくはなかった。
 かれんとは三回しか会っていない千秋が、声をかみ殺して泣いている。それを朱実は奇妙に感じたが、その三回とも、にわかにアクセサリー作りに目覚めた千秋の熱心な要望であったことを朱実は思い出した。
 そもそものきっかけは、かれんがアクセサリーを作る度に、朱実を呼び出しそれを無理やりプレゼントすることにあった。身を飾ることに興味もなく、もてあましていた朱実は同級生の千秋にあげていたのだ。千秋好みのデザインが多く、しかも自分で作ると市販のものを買うより安かったので、是非作り方を習いたいと千秋が言い出したのは先月のことだった。
 しかし朱実自身、死んだかれんとはそこまで親しくなかった。かれんは、兄弟もない朱実のたった一人の従姉妹(いとこ)の恋人だから敵意を抱いていない、それだけのことだった。そうでもなければ三つも年上の女に、朱実が愛想よくするはずがないのである。
 気持ちがこんなに落ち着いていても涙は出るものなのかと、はらはらと涙だけを流している自分に、朱実は妙に関心するのだった。
 朱実は左手の中指にはめてある、銀色の針金で作った指輪の、神経質なまでに細かい編み細工をいつまでも眺めている。母親の蒸発以来、狂犬のようにケンカに明け暮れる朱実を心配したかれんの、それはささやかな心遣いだった。
 朱実はこの指輪を無言で編み進むかれんの姿を思い出していた。
 薄暗い部屋で窓から射し込む光だけを頼りに、鈍く光る針金を手順良く編むかれんの横顔が綺麗だったこと。彼女に寄り添い、優しい眼差しで手元と彼女とを飽きずに見つめていた従姉妹(いとこ)のふいに流す視線。そして光の加減で黒くなったり、紅くなったりする彼女のカールした髪の不気味さを――
 鼓動の速度が増して行くのを朱実は目を閉じて耐えている。
 ついさっきまで朱実と千秋は、確かにかれんと居た。それだけが現実だった。

 よそ者だったかれんの葬儀は、町外れの古びた祭儀場で密かにとりおこなわれた。かれんの死の直接の原因は、そこで語られることはなかったが、朱実も千秋もそのひとつがいじめに因るものだと考えている。だが、その他にも思い当たることがいくつかあった。
 かれんの祖父が外国人だということも手伝って受験一色の高校で、クラスの連中に血祭りに上げられたのだろう。
 それはここのような寂れた田舎町では、取りたててめずらしいことではない。半ば閉じられたこのような土地では、ほんの少しの違いでも即いじめの対象とされるのが常なのだ。
 そんな地域で最悪なことに、かれんは純粋な日本人ではなく、更に同性愛者だった。
 かれんのお相手だった従姉妹の明砂(あすな)は、彼女の自殺のお陰で、元からおかしかった精神状態をさらに悪くしてしまい、今は遠くの病院に入れられている。 


 葬儀の会場は、制服の人々で溢れかえっていた。かれんの同級生たちらしい。
 彼らは一様に無表情で、何故かれんが死んだのか理解していないようだった。
 おめでたいやつら。転校したてのかれんが、彼らに無視され続けたことに気づかなかったとでも思っているのか、と朱実は心の中で何度も毒づいた。
 この場でかれんの死の真相を声高に叫んだとしても、彼らはそれと自殺がどう結びつくのかも理解できないだろう。
 朱実は拳を強く握り、彼らを見つめている。誰でもいいから殴ってやりたかった。
 だが悔しいことに、かれんの自殺はクラスでのいじめだけが原因ではないのだった。朱実が彼らに怒りをぶつけるのはおかどちがいなのである。だからこそ、朱実は握った拳を必死で押さえているのだった。
 きっとこれは八つ当たりなのだろうから、と。
 親しい者のみで執り行われた通夜の席でも、朱実は大人たちに死の真相を話さなかった。秘密を共有している千秋も、いくら怒鳴られても脅されても、もちろんそれを大人には話さなかった。
 それは、死んだかれんの尊厳を汚すものだったからだ。
 朱実も千秋も頭では理解できなかったが、直感的にそれを嗅ぎ分けていた。
 ふと今日はまだ千秋の顔を見ていないことを朱実は思い出した。紺色のブレザーの波をかき分けながら、朱実は千秋の姿を探した。
 千秋は簡単に見つかった。母親に付き添われて、かれんの棺の前にたたずんでいる。
 腰まである千秋の細く真っ直ぐな髪が、空調の風でわずかに揺れていた。
 壁一面の白い花で飾られた祭壇は、生前のかれんのイメージとはかけ離れた印象を朱実に与えた。なんだか、そこにある棺の中にはかれんがでない誰かが入っているような気がした。
 黒いリボンで飾られた額の中で、口の端をわずかに上げて微笑んでいる少女も、なんだかかれんではないように朱実は感じた。
 かれんは死んだ。
 しかも、朱実と千秋がかれんと一緒に銀色の針金を編んで、粗末なアクセサリーを作って遊んだその日に、突然消えるようにして。
 確認しないと忘れてしまいそうになる。朱実は熱い目頭を誰にも見られないように拭いながら、何度も何度も繰り返す。かれんはいない、いなくなった、と。
 かれんの死体を見れば、すぐにでも彼女の死を実感できたのだろうが、朱実が通夜の席に駆けつけたときには既に棺には菊の刺繍がほどこされた布のカバーがかけてあった。
 伝え聞く話では、かれんはマンションの踊り場から飛び降りたらしい。恋人である明砂(あすな)の目の前でだ。
 それは朱実の知るかれんと、どうしてもイメージが一致しなかった。
 自分たちが帰った後、あのマンションで一体何が起きたのか朱実は想像することすらできなかった。
 思考が半ば停止した朱実はただ、あの日たまたま切れた蛍光灯に落ち込むかれんを思い出すのだった。
「お花、あげてやりなよ」
 千秋がうつむいたまま言った。
 千秋の母親が、手にしていた黄色い花を朱実に渡した。
 かれんの入っている棺は、すでに釘で打ち付けられていた。
 朱実は最後にかれんの顔をもう一度見たいと思った。
 テレビでは、棺の顔のところだけ観音開きになっていて、死者と最後の分かれをするシーンをよく流していたことを朱実は思いだしていた。あれは嘘だったんだなと、がっかりした。
 朱実が千秋にそのことをぼやいていると、隣に立っていた千秋の母親が突然声をあげて泣き出した。千秋の母親とかれんとは、アクセサリー作りの教室での知り合いだったのだ。
 朱実は自分が何か場違いな、とても悪いことを言ってしまったのかと、慌てて千秋の母親に寄り添った。そうしたものの、どうすればよいのか見当がつかず、朱実は泣き崩れたその背中におずおずと手を添えた。それに呼応するかのように彼女の泣き声はさらに高くなる。
 なおも泣き続ける彼女にかけるべき言葉を探し出すことは、朱実には到底できそうになかった。
 朱実はとても恐ろしくなり、走って会場を抜けた。
 会場にこれから入ろうとする黒い服を着た人々にぶつかりながらも、朱実はずっと下を向いたまま走っていった。
 よく分からない何か黒いものが、かれんをどこか遠くへ連れていったのだということを、衝撃とともに朱実はやっと感じ取ったのだ。
 走る朱実の後ろから、黒いなにかが彼女までをも連れて行こうと、音もなく追ってきている感覚に捕らわれる。朱実は夢中で走った。小さなこの祭儀場がとてつもない大きさに感じるほど、時間はゆっくりとしか進まなかった。
 思うように足がでないことが、余計に朱実を不安にさせる。
 やっとのことで祭儀場出口の自動扉を目前にしたとき、千秋が追いついてきた。
 朱実は驚きのあまり、声をあげそうになった。
 千秋は朱実に睨まれても怯(ひる)まず、無言で朱実の袖を掴み、外へと飛び出す朱実についてくる。それを無視して外に出ると、あの黒いものの気配が消えた。それは全く突然に消えたので、朱実は訳が判らずその場に立ち尽くし、肩越しに祭儀場の二階の窓を眺めた。
 そこには、葬儀が始まるのを待つ大人たちが、めいめい好きなことをやって時間を潰している姿しかない。あの黒い気配はどこかに行ってしまったようだった。不思議に思いつつも朱実は、袖にくっついたままの千秋を伴って自分のアパートへと歩き出した。家まで帰れば、もっと安心できるような気がしたのだ。
 寒さに震えながら、二人は無言のままゆっくりと歩いていく。細い川に沿った道は、とても静かで住宅街の中に居る気がしない。朱実は何もない場所に二人だけが、迷い込んだような錯覚に襲われた。
 コンビニの前にさしかかると、店先から漂ってきた中華まんの匂いにつられてか、朱実は朝食すら採っていないことを思い出した。自然、空腹感に襲われた。
 それは千秋も同じだったようで、どちらともなくコンビニの前で立ち止まり、ふたりは顔を見合わせる。ふっ、と笑みがもれた。どんなときでも腹だけは空くらしい。


 近道に使っている河川敷のランニングコースで足を止めた。この河川敷はさっき通った細い川と平行して走る大きな川に面している。
 コンビニからアパートまでは、まだかなりの距離があった。
 千秋の髪が川から吹き付ける風に乱れている。
 この寒空にラジコンの飛行機をとばしているおめでたいおやじが三人もいた。
 朱実は平日の河川敷に誰もいないと思いこんでいたので、遊びに夢中になっているおやじたちや遠くの四輪駆動車、営業車と一目でわかるような薄汚れた白い自動車が数台、エンジンをかけたまま停まっているのに面食らった。
「けっこう、人いるんだ」
 千秋も同じことを考えていたらしく、独り言のように言った。
 二人はランニングコースから外れ、川岸と土手の中間に等間隔に設置されているコンクリートのベンチに腰掛け、河川敷の入り口にあるコンビニで買った缶コーヒーと、中華まんを口にした。買ってから数分も経っていないというのに缶コーヒーはすでにぬるくなっている。
 風に乱れる長髪が相変わらず邪魔になっているらしく、千秋は髪を押さえたまま中華まんを睨んでいる。千秋も朱実も不機嫌そうにベンチに腰掛けていた。冷え切ったコンクリートは、触れた部分の感覚を全てうばってしまい、そこに座ったことを朱実に後悔させた。
 朱実は二つめの中華まんを半分に割ると、片方を川に向けて高く放り投げた。鉛色の空に同化して中華まんは一瞬見えなくなったが、間もなく穏やかな川面にぺちゃ、という間の抜けた音を立てた。中華まんは派手な波紋を残して、そのまますぐに消えてしまった。
「もったいねぇっ」
 自分でも驚くくらいかすれた声で、朱実は叫んだ。千秋はそんな朱実を無視して、黙々と昼食をとっている。朱実は残った中華まんの片割れを口につめこんで、むせた。
 あまり苦しいので涙がでた。
「もったいない」
 もう一度、つぶやきながら朱実は千秋にもたれかかった。
 千秋は邪魔、とだけ言った。
 ずっと以前、この川で水鳥に菓子を与えていたかれんの姿が、朱実の脳裏によぎる。
 朱実と千秋は、冷たい風の吹きすさぶ川面をじっと眺めた。
 長い間二人はそうしたまま、動かなかった。
 風だけが、びゅうびゅうと耳障りな音を立てている。
 ぽつり、朱実がつぶやく。
「明日、学校が終わったら明砂(あすな)の病院に行こうな」
 その言葉に千秋はわずかにうなずいた。
 針金の指輪が、朱実の指できらり、と光る。
 朱実は声をあげて泣いた。初恋の終わりを自覚する代わりに…… 



[End]

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青田ちえみ
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