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Date: Mon, 3 Jan 2000 00:07:43 +0900
From: "k" <ui@peach.plala.or.jp>
Subject: [bun 00405] [NOVEL] ファーストインプレッション
To: すとらんげーじ <stlg_ml@cup.com>,        <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <008d01bf5536$f5299040$5da999d2@k>
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 ファーストインプレッション



 はじめに断っておくがこの話は私だけが知っているものではない。
 もしかしたら、どこかで聞いたことがある話だぞと思う人もいるかもしれない。
 だからあらかじめ謝っておく。もしも二度目だったとしたらあなたは大切な時間を
無駄にすることになる。すまない。
 では話をはじめよう。
 私がまだ小学六年生だったときの話だ。
 私のクラスに一人のいじめられっ子がいた。
 名前は確か、良君だ。
 良君は見るからに気が弱そうで、おそらくは一年生のときからずっといじめられっ
子だったのであろう。その表情には宿命的におびえる者のみが持つ暗い陰がつきま
とっていた。
 私はと言えば、同様に気は弱かったものの、走るのが早いというただ一点によって
のみ、おそらくはクラスのみんなから一目置かれる存在として認められていた。
 そんな私が良君に興味を持ったのは、なぜ彼は、そのような暗い陰を引きずってま
で毎日毎日学校に来るのだろうかと疑問を持ったからであった。
 良君は必ず毎日誰かにいじめられていた。
 たいていは決まったメンバーがいて、そいつらだけがいじめていたが、時には二軍
のような存在もいて、そいつらが一軍に変わって活躍することもあった。
 かわるがわる良君の尻を蹴って楽しんだり、良君の持ち物をばら撒いて楽しんだり
していた。
 私はいつも教室の片隅に座って、そのようなくだらない戯事を冷ややかな目で眺め
ていた。
「よう、桂木、おまえも一緒に良の尻蹴ろうぜ。こいつ絶対に抵抗しないからよ」
 何度かそのような誘いを受けたこともあったが、私はどうしても彼の尻を蹴る気に
はなれなかった。
「い、いや、遠慮しとくよ。次の授業の宿題忘れちゃったから」
 いつも適当なことを言ってごまかしていた。
 だから私にも、そのクラスの中には本当の居場所がなかった。
 そういう意味では、私も良君も同じ種類の人間であったのかもしれない。
 とにかく私はそのようにしてどこのグループにも属さずに、ただ良君と良君をいじ
めるクラスメイトたちを眺めながら小学六年生のある時期を過ごした。
 良君が常にある方向に視線を送っていることに気がついたのはいつのことだっただ
ろうか。
 蹴られているときも、殴られているときも、ちらちらとある方向に視線を送ってい
た。
 授業中も良君は時々、黒板からもノートからも視線をはずして、ある方向をじっと
見つめていた。
 私はすぐに、その視線の先にあるものが何なのかを探ることに夢中になった。
 一週間ほどじっと良君の視線の先にあるものを観察した結果、私は間違いのない確
信を抱いた。
 立川真帆。
 彼の視線の先には常にその一人のクラスメイトの女の子が存在していた。
 私はその事実に気がついたとき、声を上げて立ち上がりそうになった。
 隣の女子が怪訝そうな顔で私のほうを見る。
 良君は立川真帆のことが『好き』なのではないだろうか。
 すると、彼は彼女の顔を見たいがために、いじめられることがわかっていてもな
お、のこのこと毎日学校へ通ってきているのであろうか。
 その答えは、私が良君の視線の先の存在を知ってから約一ヶ月後に出た。
 掃除の時間に私が教室のごみ箱を持って焼却場へと向かって歩いているときのこと
だった。
 焼却場へ行くための近道にあたる、図書館の裏の一角に良君がいた。
 彼は一人ではなくいつものように何人かのクラスメイトたちにいじめられていた。
 そしてその日は特に一軍のメンバーが全員勢ぞろいして彼を図書館の壁に追い詰め
ていた。
「ほら早く出せよ」
「持ってんだろ」
「持ってないとは言わせないぜ」
「持って来いって言っといたんだからな」
 ついに金をせびり出したのかと私は思った。
 けれど私はかかわらないことにした。
 そういう正義の感情はとっくに捨てていた。
 何気ない顔で見て見ぬ振りをして通り過ぎようとした。
 と、そのときだった。前方から空のごみ箱をもった立川真帆が歩いてきた。
 このまま行けば私は良君がたかられている現場の真ん前の地点で立川真帆とすれ違
うことになるだろう。
 立川真帆は良君がたかられている現場を見ないわけにはいくまい。
 良君も、クラスメイトたちにたかられている場面を、立川真帆に見られないわけに
はいくまい。
 私は瞬間的に残酷な好奇心を働かせて歩く速度を落とした。
 良君の反応をしっかりと見られるように、立川真帆とすれ違う地点を手前にずらす
計画を実行した。
 計画は成功した。
 良君は程なくして近づいてくる立川真帆に気がついた。
 立川真帆も良君がクラスメイトたちに囲まれて何をされているのか気づいたようで
あった。
 私は良君の表情が変わっていくのを見逃さなかった。
 おびえの表情は、怒りの表情に変わりかけて、すぐに崩壊した。
 良君は突然大声で泣き始めながら、右手を振り上げた。
 手はとてつもなく力強くこぶしを握っている。
 私は息を飲んでそのこぶしの行方を見守った。
 こぶしは勢いよく振りぬかれた。
 鈍い音がして図書館の壁が揺れた。
 壁とこぶしの間から赤い液体が流れ出す。
 私は立川真帆の姿を追った。
 立川真帆は何事もなかったようにして通り過ぎていく。
 振り向きもしない。
 一軍メンバーは口々に、「ま…まあいいわ、今日は。次は忘れんなよ」とか言って
立ち去っていった。
 良君はこぶしを壁にたたきつけたまま、ひっくひっくと泣いていた。
 私は引きつった顔を強引に前へと向けて歩き始めた。
 立川真帆という女の後姿が脳裏に焼き付いていた。
 そして男が女を好きになるということはこんなにも恐ろしいことなのかと思った。
 あるいは良君はエネルギーの使い方を間違っただけなのかもしれない…。
 けれど、だからと言って、もしも良君があのエネルギーを壁ではなく立川真帆に向
けていたとして、果たして本当に事態は何か改善されたのだろうか。
 私は無意識のうちに手を振り、足を上げて、焼却場に向かって全力疾走を開始し
た。
 そして次の日から、必死で勉強をして、必死でスポーツをした。
 高校二年のときには陸上の短距離種目で全国大会にも出場した。
 大学も、現役で国立の超一流どころに入学した。
 就職だって一流企業の、採用枠二名の幹部候補生コースに入り込んだ。
 しかし。
 しかし、私は社会人になった今もまだ、私にこぶしを握らせるような女性に出会っ
たことがない。
 そして、小学六年のこの事件の日以来、いつどこにいても、ふと突然、良君はなぜ
立川真帆のことを好きになったのだろうかと考えることがある。





    

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