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Date: Wed, 22 Dec 1999 08:52:41 +0900
From: 舟山 明 <TBE00017@nifty.ne.jp>
Subject: [bun 00398] 初夏の雨
To: bun@cre.ne.jp
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             初 夏 の 雨


 余之助が宿場のほんの入りに建つこの安宿に、まだ陽の高いにもかかわらず
上がりこんでしまったのには、それなりのわけが有った。
 ごろっと横になったが、まちに待った明日のことを思い落ち着かない。
 けっして名のある家に生まれたわけでもない余之助。名もないどころか、お
やじは貪百姓。
 余之助が生まれたとき、おやじは終まいに余りにうまれの余吉と名付けた。
 実をいえば中ふたつほど、口にするものが足りずすぐに逝った命があり、
五番目の子であった。
 余之助とは、おやじが一度だけかり出され槍を持って戦(いくさ)に出向い
たその時の晴れがましい武士姿を峠で見送って以来、武士への夢をおい続けて
いるおのれが付けたものだ。
 おやじはあの戦で受けた肩の刺し傷のせいで片手が不自由になった。
 ざくっと突かれた傷穴が肩口からわき腹へ抜けたのだ。
 うなって寝入る枕元で、ひえーとひしげたおふくろの皺顔がようやく消えた
頃に、どうにか傷も塞がったのだった。以来、城主からの戦への兵かりだしの
沙汰はなくなった。
「兄姉と同じく農事のことをせねばのう」の、おふくろのいうに従っての明け
暮れなれば、片手ぶらぶらのおやじもも少し小言を減らすだろうことなど、知
らぬ余之助ではない。
 しかし、若者の胸に一度ともった火というものがどの様におのれの生きざま
を決し、そのあとを左右してゆくか。何かに憑かれ体内の血が騒ぎ、じっとし
て居られないのはなにも過去の英雄のみの性(さが)ではないのであろう。

「おら、山の口のおやっさんに聞いた。おとうがやられた時。やつら後ろから
こうやってつ込んで来た。いくさの儀もしんねえ汚ねえやつらだってな」
 雪の多い正月。どこをほっつき歩って帰ったか、めったに寄りつかない余之
助が村の出の者に聞いたはなしをしながら、濁った酒をおやじに酌み、目をき
らきらさせていたのは、おやじ最後の冬だった。
「なんでも、中村の百姓のこせがれでなあ、えらーく出世したって者が居ると
先のいくさで聞いたが」
「おう、聞いたきいたとも。なんで聞かずかのう。織田さまの草履とりからは
じまって薪番よ。それがたった三日で城普請をして名を上げた、藤吉郎さまだ
ろうが?
 猿のなんのと呼びまわす武人どもの鼻をあかした藤吉郎さまこそ、まっこと
百姓上がりの者の、かがみだとどこでもその噂よ」
「おめえ、その男を見たのか?」
「いやまだ見てね。んだが、今年はどうあってもその顔を見る。おらあ見ねば
ならん」
「へっ、ぶっ殺し合う男などにゃ屋根の下で死ねる男なんていねえ。おめえも
それを知っててか? おう、それを覚悟なればあとは好きにやりゃいい。だが
のう、百姓の兄姉の食いもんにだけは頼るまいぞ」
 さくらの花を見る間もなくおやじがこの世を去ったのを知ったのは、その年
の夏に入ってからだった。
 余之助は、取り入れが終る晩秋にはまた戦(いくさ)が起きることを町でき
いていた。
 そして藤吉郎という男の噂は足軽数十名の頭、百貫ほども禄を頂いたとまで
になっていた。
 刀はもちろん槍や弓も満足に扱えない田舎ものが、どうしてそのように武人
を凌ぐことができるのか、その秀でた男をどうしてもこの目で真近で見たいと
日夜思うのであった。
 その男の部隊がこの街道を通ると知ってこそ、この宿場の木賃宿に飛び込ん
だというわけだ。
 
 翌朝はやくに宿を出、前日下見をした峠に立ち、どのくらいのときがすぎた
か。陽はとうに中天にまで達していた。
 余之助は腕をくみ眼下にくねる街道を山のきしまで目で追うと戻り、また腰
を落ししばらく。そしてまた同じに立ち上がり前に出、腕を組み首をのばし、
下方に眺めいる。
「必ず、今日ここを通る」と、ひとり何度かもらしながらの目に、はるかふも
との林道からのそれは現れ映った。
「来た! 来た、来た来た。へっへっへ、猿どのが来たわい」
 余之助は赤黒いまん丸顔に横のしわをいっぱいにつくり、にんまりして手を
叩き膝を打ちひたいをぺたぺた叩き、こ踊りした。
 見えはじめるとその隊列の先頭はどんどん峠へ登って来る。だのにまだ列の
後尾は林から切れてもいない。兵の持つ槍の先が、きらっきらっと陽をはね返
す。
 道いっぱいに並んだ男達はすぐそこまで迫って来た。ぞろぞろと歩く兵のそ
のところどころに真っ赤に飾った馬背に揺られる者が居る。
 槍を肩に、がやがやとはなし興じる列の歩兵は余之助の立っているすぐそば
まで達していた。
 傘を被る者、背にする者。髭面も居れば面長もいる。背い高、でぶっちょ。
笑うものあれば口をとがらし空を指しなにか説くものあり、それにうなずく者
あり。
 胴着からはみ出た日焼け肌はたくましく黒く汗ばみ、どの首や肩腕、胴着も
小さく張り出した胸板や足腰、とにかく躰中至るところに生気のほとばしりが
秘めてみえる。
 生まれてはじて見たあの時の若く逞しく、村人のだれもが目を細め敬意の面
もちであがめた出征の父の姿と重なって、眩しい。
 余之助は何度見ても死戦へ立ち向かう男達のどれもが全身に宿しているこの
張りつめて息苦しいほどの男臭さに、足元が浮き沈みするほどのめまいを感じ
る。だからさらに足を奮ばって生唾をごくりと呑みこみ、目をこらす。

「あのかただっ!」余之助は一目で見てとった。
 ちょっこちょっこと、か細い躰が歩隊の区切れめ、槍方三四十人の先頭にひ
とりあった。
「とっとと、藤吉郎さまー! お、おねがいでござります!」
「こらーっ! なにをいたーす」
 側から列に向かった余之助に、ばかでかい声とともに数名が槍を突き出して
きた。その間に列は右から左へ移り去る。
「とと、藤吉郎さまとお見受けいたし、ぜひとも家来に、お、おねがいいたし
たく」
 目の前に光る槍先を躰に触れるも忘れ背をのばし、隊の中を行くその小男め
がけて哀願の首を伸ばし何度も叫ぶ。
 一瞬その小男が余之助に向けた顔中の目に笑みをちらりと見た。余之助は「
しめたっ」腹中でうなずくと、「何でもいたします。こ、こ、このわたしめを
どーか家来に」
「あっちへいけ! しつこいやつだの」どっと突き倒された余之助。起き上が
る時ももどかしく「おれは百姓の子、よのすけと申して」と、首をひねらし、
かすれるほどの張り声を天にあげたその時。
「小せがれ、死を急ぐな。帰って野良に励め」
 早口の甲高い声がかかった。藤吉郎その人であった。振り返えった人の好い
目がなお笑っていた。
「噂に高い藤吉郎さまの家来になるために村から出、こうしてここで」
 立ち上がって列中に駆け込んだ。
「あっはっはっは」
 快活な笑いだけが返ってくる。余之助はもう後には引くものかとおもった。
 ぞろぞろと続く男達が無視し、からかう笑い声はおもいのほかの温かみに変
わって感じた。
「おれは、着いてまいります」
 泣きべそにも似た叫びを放つと列にならんで歩き出した。ひときわ大きな笑
いが巻上がった。
「おぬし、藤吉郎どのが好きか」
 見上げるような大男のがらがら声が訊いてきた。
「はい。織田家最高の出世頭でございますから。おれ、いやわたしの目には狂
いなどありませぬ。藤吉郎さまへなら、この命、惜しくなどありません」
「そう思うかッ! おまえの目ん玉はほんに良い目じゃのう。がっはっはっは」
 驚くほどのばか声は、この声だけでも敵は逃げ出しそうだと思われた。
「こぞう。どこの出だ」
 藤吉郎が振り向いた。この時こそ、この何年のあいだ待ち望んだ瞬間だった。
「は、はい。三の松でございます」
「おう、三の松の出か。ん、今年の米の出来はどうだ?」
「はい! 米は……ここんとこ村には帰ってないのでー」
「わからんと? こりゃまた。はっはっはっは。母どのの顔も忘れたか?」
「いや、おかあは忘れてなどおりません。ただあー……おとうは春に死にまし
た」
「父ごは死んだと? 姉はおるか?」
「兄じゃと共におかあをみて」
「うむ。おまえは兄弟一の親不孝なやつじゃの。おれもとんだ奴に見込まれた
わ。はっはっはっは」
「はーあ、家を出て武者になるのは親不孝でございましょうか?」
「ぷわっはっは。それに答えよと、親不孝なわしに問うやつがあるか。はっは
っはっは」
 武士らの爆笑のなかで、頭をこずかれうなだれた余之助に、藤吉郎の笑い声
がいつまでも耳に残った。


    ◇


 余之助は、おのれの頭(かしら)、藤吉郎の顔に厳しさを見た。
「今日こそは死ぬ気で着いて来いと、御殿信長さまが申された」と呟いたのを、
その耳に確かに聞いた。
 三千の兵の一人にならんとしてこの数カ月夢中で振り、突き、引きをおぼえ
た槍をもち、遅れまいと一心に駆けていた。
 今、先頭は雑木の林になだれ込んでいる。がさがさがさがさと、新芽青葉の
枝葉をかき分けながら一直線に進む。
 並びすすむ兵たちが「はざま、おけはざまと?」「うーむ、桶狭間とか」と
交わしながら走る後に続いた。おけはざまとは何だと急ぐ。
 ぽつっ、ぽつぽつぽつぽつと、降ってきたのは雨。まもなく周りの木の葉を
烈しく吹き巻く風、どどっと地に響く雷音も大きくなってきた。と、おもうと、
ざーっと降りなぐる。
 先を行く藤吉郎のちらりと振り返ったその顔では、会ってこの方見たことの
もないほどのつり上がった眼(まなこ)が、生きて帰れぬほどの戦になるだろ
うことを一層濃くもの語っていた。
 思い慕って供したこのかしらといま、目的をともにして山林を突き進む。若
き体内を脈打つ血潮は熱く満足気にみなぎる。
「離れまいぞ、離れるものか」たったったったとくり出し運ぶ足が、枯れ葉幾
重もの山土を蹴る。
 緑葉茂る林木の隙、下方に山道が一本ひらけ通り、その中ほどに白幕がひら
ひらと見える。
「あれは?」と仲間を見ると、「敵よ。今川のはず」歯ぎしりするように応え
た。
「おくれるなー!」
 組がしら達の叫び合図がここかしこで飛ぶがはやいか、一斉に数十、数百の
兵仲間が細木を蹴り倒し、露しぶきを飛ばし、わあーっ! わあーー! と白
幕目がけて駆け下ていった。
 余之助も駆けた。これが初めての戦(いくさ)だ。とにかくぶった切れ。刺
しまくれ。道に出、ぬかるみに足元をぬらつかし、若さにまかせただ夢中で暴
れまくった。
 がつっと敵の鎧に刃先が当たり、ばしっと槍を払った敵の刃がびゅんと鼻先
をかすめた。かーっと頭に血が昇った。
「だあーっ!」
 槍を持ち直すと喉がつぶれるかとおもうほどの声を一気にはき、突いた。ざ
くっとした手ごたえが柄から腕に伝わってきた。反射的に引いてはまた突いた。
 ぎゃあっという声と血吹きが同時に飛び散った。余之助の手元にその赤い
流れがへびのように伝ってきた。
 槍を持つ手にぐっと引き落されるような重さを感じた瞬間、槍先の食い込ん
だ男はばしゃっと泥水につっぷした。
「やった、やった」と柄を握りなおし、引き抜こうとした余之助の目にぴかっ
と輝いたのは、雷光か? ……ではなかった。
 一瞬間、ざわっと寒気が全身を走り、宙を舞うかのような軽さを感じると、
中空をつん裂くほどのうめき声が、腹から喉へ噴出した。
「うぎぇー! …………」
 斜めに降り注ぐ雨つぶは、のたうつ余之助を打つ。
 その耳の奥に消えてゆく雑踏のなかに、叫びとどよめきが上がった。
「今川どのの御しるし、頂戴したぞー!」
「おうー!」
 武者達が一斉に勝ちどきの叫びのもとへ向かい走り出した。びちゃびちゃと
余之助を踏み越えて。

 ひとつの戦いが止んだ。
 そこここに散らばる武者の屍に吹き突ける風雨が晴れ間に吸い取られると、
初夏の陽がまた顔をだした。


       − 初夏の雨  了 −


 ひとこと−−

【ときは戦国。幾多の若い血を吸い込んだ大地で、また刀剣が乱舞する】

 とはasakanetMLに97年に掲載したときの見出しだが、原作はさらに
以前にnifty-fbungakuに94年に載せた「風に聞いた話」連載の中のひと
つです。いま自ら読めばやはり恥ずかしい部分もありますのが正直なと
ころです。
 このML会員のみなさまに読んでいただけるかどうか判らないほどの
新参者です。ご一読ありがとうございました。
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http://www.asaka.ne.jp/~akaikutu/akaikutu.htm

    

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