Index: [Article Count Order] [Thread]

Date: Thu, 16 Dec 1999 21:53:20 +0900
From: きるしぇ <sakura_o@ma3.justnet.ne.jp>
Subject: [bun 00378] 投稿作品「晴れ間はきっとやってくる」
To: bun@cre.ne.jp
Message-Id: <3858E0C029E.C7E4SAKURA_O@ma3.justnet.ne.jp>
In-Reply-To: <005f01bf4751$d85d9d00$55a999d2@fmv>
References: <199912151602.BAA25821@e6.mnx.ne.jp> <005f01bf4751$d85d9d00$55a999d2@fmv>
X-Mail-Count: 00378

こんにちは。
今日はちょっと時間があるので、超まとめレス&投稿

投稿作品「K」のところで書いた、「プロジェクトK」の第二回
提出作品のうちのひとつです。
(このメールから先にお読みの方、投稿作品「K」というメールを
お読みください。プロジェクトK、というのが何か分かります。)

お題は「タクシー」
タクシーと言うのにはちと苦しいですが・・・。

******************************

 晴れ間はきっとやってくる

 ピエールは雨空を憎々しげに見つめた。
 レインコートの内側までしみ通るような雨。
 普通、この季節はもっと晴れるはずであるが、今年の天候ときた
ら六月に入ってもぐずつきっぱなしで、いっこうにお天道様を見る
ことがない。
 輪タク――自転車の後ろに前後に二人旅客を乗せる細長い箱をつ
なげた乗り物で東洋の人力車みたいなものだ――の運転手であり動
力であるピエールにとっては、雨天はとても嫌なものであった。雨
の日は、お客は無理をしてでも地下鉄に乗る。あるいは外出しなく
なる。
「わしゃ、今日は店じまいするよ」隣で同じように客待ちをしてい
たシュルヴァン爺さんが、だんだん雨が激しくなっていくのを見、
寒そうに身を震わせてピエールに言った。
「ああ、爺さんは帰ったほうがいいぜ。また関節が悪くなる」
「おまえさんはまだ待つのかえ?」
「ああ」
「がんばるのう、おまえさんとこはまだ子供が小さい、闇で食べ物
を買うにも金が要る、ごくろうなことだ。わしゃ家には婆さんだけ
じゃ、おまえさんよりは楽じゃて」
 そう言って車を引いて帰っていくシュルヴァン爺さんが、決して
楽ではないことをピエールは知っていた。爺さんの背中はこの四年、
毎年小さくなっていく。爺さんにはこの輪タク稼業はあまりに辛す
ぎる。
 何がおもしろくてこんな輪タク稼業をやるものか。
 雨があまりに激しくなってきたので、シュルヴァン爺さんと同様、
同業の輪タク業者たちも帰宅し始めた。
 だが、ピエールはまだ待たなければならない。
 ピエールは、なお激しくなる雨を憎々しげに見つめた。
 いやそれ以上に憎いのは、このひどい雨模様に、はっきりと赤く
見えるあれだ。凱旋門すらここからでは雨にけぶってよく見えない
のに、その上に立っている旗が見えるとは。
 凱旋門の上に立てられるのは、青白赤のフランス国旗であるべき
だ。決してドイツの鉤十字ではない。

 そもそも、こんな原始的な乗り物――輪タク――が発生したのは、
四年前、フランスがドイツにより占領されてからだった。
 占領以後、自家用車とガソリンが制限されたため、本当のタクシ
ーがパリの街から消え失せ、バスも木炭車以外はなくなり、自家用
車も走れなくなった。占領直後には馬車も復活したが、食糧難で馬
に喰わせる飼料がなく、じきに姿を消した。
 地下鉄は、運行制限があったものの営業していたが、バスもタク
シーもない状態で非常に混雑するようになった。
 というわけで、出現したのがこの輪タクであった。
 健康な男子であれば誰でもこの仕事をすることができたし、交通
機関が乏しいために、晴れの日であれば客待ちをすることなどない
し、意外に良い稼ぎになる。
 ただ、料金が安いとは言えないので、利用するのは金持ちか、あ
るいはドイツ軍の将校である。庶民には縁のない闇市、歓楽街、こ
んなご時世にふんだんな食材の出るレストランなどに客を運ばなけ
ればならなかった。
 肉体的に辛いこと以前に、こんな仕事を、ピエールはやりたくな
かった。この仕事を始めてから、彼は子供たちのために食料を潤沢
に買ってやれるようにはなった。だが、この仕事をしていて一度も
良かったことなどないように、彼には思えた。

 ピエールは人を待っていた。だが彼は待ち人の名前を知らなかっ
た。どんな人間なのかも知らなかった。
 いつのまにか輪タク乗り場には、自分しかいなくなっていた。
 怪しまれなければいいが。
 そのとき、人通りの少なくなった通りの向こうから、若い女性が
傘をさし歩いてきた。二十歳くらいの美人だ。木靴の音を響かせ、
男物のスーツをうまく仕立て直したコートをおしゃれに着ている。
ピエールは、こんなお嬢さんがまっすぐ自分に向かってやってきた
ので少しびっくりした。
「こんにちは、小父さん。いつお天気になるかしら?」
 ああ、合い言葉だ!
「ああ、お嬢さん、晴れ間はきっとやってくるよ」
 少女はにっこり笑った。
「ねえ、道を教えて欲しいの、このお宅にはどう行けばいい?」
 少女は手帳を開き、ピエールに見せた。少女が開いた手帳の間に
は、パリ周辺のドイツ軍の配備状況などが書かれたメモが挟まって
いた。
「メモ、次に回して」少女は小声で言った。
「ああ、このお宅なら、この道をまっすぐ行って二つ目の角を右に
曲がるといいよ」表面ではそう言いつつ、ピエールはそっとメモを
とり胸ポケットにつっこんだ。
「ありがとう、小父さん!」
 少女はにっこり笑うと、教えられた方向に歩き出した。ピエール
は少女の後を見送った。
 もし輪タク稼業に、何かひとつ良いことがあるとしたら、あのよ
うな美人が利用してくれたり、道を聞いてくれたりすることだけだ。
それがフランスの解放につながることならなおさら。
 朝からの雨で腐りきっていたピエールの心に、薄日が射しこんだ。
 ピエールが雨を憎んでいたのは、輪タクの運転手だからだけでは
なかった。この荒天のおかげで、連合国の上陸は延び延びになって
いた。一日も早い援軍を待ちわびていたのだった。
 ピエールもこの少女も、晴れ間を待ち望んでいるのだ。

 さて、と。
 これで今日は人を待つこともない。早くこのメモを届けなければ。
帰ろう。
 そのとき、ピエールは呼び止められた。
 振り返ると、ドイツ軍の、かなり偉そうな将校がふたり立ってい
た。
 ピエールはどきりとした。
「あ、何でございましょう」
 今の受け渡しが見られたか?
「乗せてくれないか」片方がフランス語で言った。
「……いえ、もう店じまいするとこでさ」ピエールは、どうやらば
れていないと見て、早く連絡事項を伝えないとならないと思い、相
手の頼みを断った。
「急ぐんだ。酒手ははずむ。他に輪タクもない、困ってるんだ」
 てめえらドイツ人が困ろうと知ったこっちゃねえよ!
 輪タク稼業をやっていていちばん嫌なことは、ドイツ人に使われ
ることであった。お金をもらうからいいではないかと言われても、
どうせその金はフランスから賠償金として奪った金だ。
「乗せてもらうぞ」
「あーあ、お客さん!」
 おそらく偉いだろうほうが、無理矢理座席に乗ると、行き先を告
げた。それはピエールが連絡を渡さなければならないレジスタンス
の拠点のある方とは反対の方向だった。だが、逆らいようもなかっ
た。
「しかたありませんねえ」
 内心舌打ちをしつつ、ピエールは客席のほろを上げた。
 さっきの女の子のおかげで、心に薄日が射したようだったのに、
またどしゃぶりに戻った。
「さっきの女の子、知り合いか?」若い方の将校が言った。
「あ、いえ、知らないお嬢さんでさ。道を聞いてきたんで、教えて
やったのさ、あっしらは道を知ってますからね」」
 そう、本当にピエールにとって彼女は見知らぬお嬢さんにすぎな
い。もし自分や自分の後の人間がヘマをしてとっつかまって拷問を
受けたとしても、本当に知らないもの吐きようがない。間にこうい
う人間を挟むことで、もしもの時に芋づる式に検挙されるのを防い
でいるのだ。
「あのマドモワゼルが乗ってしまったらどうしようかと思っておっ
たよ、最後の一台だったからの。さ、急いでくれ」年を取った偉い
方の将校が言う。
「へえ」
 ピエールはサドルにまたがり、自転車をこぎ始めた。

 後ろの座席で、ドイツ人が話をしている。前と後ろで話している
ため、かなりの大声だ。ドイツ語であったが、この四年、ピエール
はドイツ語が分かるようになっていた。
「……そうか、ロンメル元帥が休暇をとるとおっしゃるか」
「ええ、この天候なら、少なくとも大西洋側からの連合国の上陸は
ありえないとのお話でした」
「だろうな。とてもではないがこの悪天候では大量の兵員に海を渡
らせるのは無理だろう」
「ということは連合国はこの荒天が収まってから来るということに
なるでしょうか?」
「そうだろうな。兵士たちを海の藻屑にしたくなければ、そうする
だろう」
「ではその間に守りを固めることができますね」
 なんだって? 総司令官が休暇をとっていると? この悪天候で
油断しているのか? 今もし連合国の上陸があれば、勝てる!
 ピエールは歩みを止めて彼らの話に聞き耳をたてそうになって、
あやうく自分の立場を思い出した。幸い、スピードが遅いのは雨の
せいだと思ったか、客がピエールを怪しむことはなかった。
 客の話題は世間話に移った。ピエールはそれ以上聞き耳をたてな
かった。
 早くこいつらを降ろして、あの娘からもらったメモといっしょに、
この情報を伝えたい。
 ピエールの足はしだいに早まった。
「思ったより早かったな。ごくろう」目的地に着いたとき、ドイツ
軍の将校は普通の倍増しの運賃とかなり多いチップを払った。
「メルシー、旦那」
 ピエールがお礼を言ったのは割り増し料金に対してではなかった。
 この仕事をやっていて心から良かった、と思えたのは、たぶん、
輪タク稼業をやるようになって始めてだった。

 さて、と。
 ピエールはもと来た道を全速力で走り戻った。自分が急いだとこ
ろで、連合国の上陸が早まるわけでも何でもないことは分かってい
た。だが、この情報は早く伝えねばならぬ。
 願わくば、神様マリア様、あっしの伝えるこの情報がちゃんと連
合国側に伝わりますように、そしてドイツ軍が油断しているこの悪
天候の間に一時間だけでも晴れ間を、いや、とにかく海を渡れるく
らいの天候にしてくださいますように!
 ピエールはどしゃぶりの中を水しぶきを上げて自転車をこいだ。
もう下着までずぶぬれだった。しかし彼の心は晴れ晴れとしていた。
自分が、晴れ間に向かって走っていることを確信していたからであ
った。

 * * *

 それから数日後、一九四四年六月六日未明、ほんのわずか海が凪
いだとき、アイゼンハワー将軍がオーヴァーロード作戦を決行し、
ドイツ軍の隙をつくことに成功した。ピエールの知らせた情報によ
って上陸を決行したかどうかは、定かではない。

 − 終 −

∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬

  ∧ ∧  砂倉 櫻
(≡^・^≡)sakura-sakura@sakura.email.ne.jp

「小説ほおむぺえじ さくらさくら」
http://www.asahi-net.or.jp/~ee8s-oomr/index.htm

∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬∬
    

Goto (bun ML) HTML Log homepage