Index: [Article Count Order] [Thread]

Date: Wed, 15 Dec 1999 13:13:04 +0900
From: "k" <ui@peach.plala.or.jp>
Subject: [bun 00371] 作品投稿です。『物語を創ろう』
To: <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <004f01bf46b3$b5e160c0$07a999d2@fmv>
X-Mail-Count: 00371

こんにちは。Kです。
作品投稿です。
ここのMLってほとんど感想もらったことない
んですけど、誰も読んでくれてないのかな
あ。
もし読んでいただいていたら何か応答願いま
す。
ざーーーーーーーーーーー






------------------------------------
------------------------------------




 物語を創ろう



 どんなにわかりあえる人間よりも、どんな
に理解し合うことが出来る他人よりも、たっ
たひとつの、本当の感動を与えてくれる物語
の方が好きだ。

 その頃の僕は、次から次へと順番に、いら
ないものをゴミ箱の中へと放り込みながら生
きていた。
 残ったのは…
 二十八万円の貯金の残高と、昼間寝て夜活
動する生活、そして、毎夜毎夜、近所にある
一軒の喫茶店に通う習慣だけだった。
 仕事は、うどん屋のバイトを少しだけやっ
ていたが、一ヶ月働いてもその月の部屋代が
払えるか払えないかというところの稼ぎだっ
た。
 毎日毎日、一杯のコーヒーと、ジャムトー
ストかバタートーストをたのんで、喫茶店に
置いてある大量の漫画を読み漁った。
 店の駐車場にはいつでも、客の車が、白線
を無視して無秩序な状態で並べられ、マンガ
喫茶というところに来る客の、平均的社会意
識のレベルを示していた。
「いらっしゃいませー」
 その店では、ほぼ毎日と言ってもいいくら
いの確率で、あるひとりの、元気のいい若い
女の子が働いていた。
「ありがとうございましたー」
 僕にもまだ、仕事があり、友人がいて、仲
間がいた頃。
 驚いたことに、ともに生活する恋人さえも
が存在していた時代。
 女の子は決して、僕の顔を見ながら注文を
取ることがなかった。
 常に溌剌とした接客と、気持ちのいい笑顔
と、きびきびとした、さわやかで切れのある
動作。それらすべての、神の気まぐれによっ
て与えられた、誰もがうらやむ輝きを、彼女
は決して僕だけには見せようとはしなかっ
た。
 いったい何が彼女にそうさせたのだろう
か。
 僕は仕事が終わると毎日のように、恋人の
存在を忘れて、仲間の存在を忘れて、友人の
誘いを忘れて、その喫茶店に直行し、物語を
読み漁っては帰る生活を始めた。
 彼女は常に、ただの一回の例外もなく、視
線を斜めにずらして、顔を微かに横に向け
て、僕の注文を取る毎日を続けた。
 子供のときに胸をときめかせて読んだ、知
らない世界の知らない人々の物語の力。その
ようなものの存在を、二十九歳になった僕が
あらためて強烈に、とてつもない大きな
ショックを伴って再認識したある日の夜。
 それは、息を呑むように突然に、宇宙の永
遠の真理がひらめくように瞬間的に、僕の中
に新しい価値観の誕生を引き起こした。
 会社も友人も、仲間も恋人も、家族もプラ
イドも、将来への不安も葛藤も、すべてのも
のたちが…僕を縛り付けていた、おそらくは
かけがえがなかったと思われるすべてのもの
たちが、温かい光の中で、ゆっくりと、穏や
かな笑顔を見せながら、崩壊を始めた。
 僕は、自分がなにものをも必要とはしてい
なかったのだということを実感した。
 物語に勝る感動は、どこをどう探しても、
この世界には存在してはいないのだというこ
とを認識した。

 僕の人生はそこから始まった。
 次から次へと、今まで貯めこんできたもの
を吐き出す生活が始まった。
 会社を辞め、恋人と別れ、友人との連絡を
絶ち、引越しをして、家族からの干渉を絶ち
切った。
 その他のことは何をしたかも思い出すこと
が出来なかった。
 そもそもの始めから、僕には、意識して捨
てるほどの物事が残ってはいなかったのかも
しれなかった。
 とにかく、それで最後に残ったのが、最初
に言った、二十八万円の貯金の残高と、昼間
寝て夜活動する生活、そして、毎夜毎夜、近
所にある一軒の喫茶店に通う習慣の三つだけ
だった。
 僕は、女の子が果てしなく僕の存在を意識
していることを知っていた。
 僕も、自分が、間違いなくその女の子に、
何かを求めているのだということを知ってい
た。
 僕は、女の子や他の店員に、自分のことを
危ない人間だと思われたりはしないだろうか
と心配しながら、毎夜毎夜欠かさずに喫茶店
に通う生活を続けた。
 すべてを失って、完全に自由になった僕に
は、今あらためて、自分自身で自分自身を縛
るための何かがいるのだと思って、喫茶店へ
通うことを止めようとはしなかった。
 僕を拒否する、何かを秘めた女の子のもと
へ、僕自身からの束縛さえもを逃れて通いつ
づける行為は、なぜか次第に、僕の生活を形
作る最も根源的な輪郭として成長していっ
た。
 半年くらいの時が経ち、やがて僕が、やっ
とのことでその喫茶店へ通うことに対して気
後れを感じなくなってきたある日のこと。
 店が急激に混雑し始めて、次から次へと来
る客のために、次第次第に空いている席が少
なくなってきた、息が詰まるような喧騒の中
のひととき。
 女の子は唐突に僕の瞳を覗き込んで話しか
けた。
「すみません。二人席に空きがなくなってし
まったので、カウンター席に移ってもらって
もよろしいですか?」
 僕の目と女の子の目は、しばしの間、永遠
に見つめ合い、そしてからみ合った。
 女の子の表情は、僕がかつて見たことがな
いほどに、輝いて、昂ぶって、ときめいて、
今まさに最高の瞬間を手に入れて喜んでいる
ように感じられた。
 人はこれを“妄想”と呼ぶのかもしれな
い。
 けれど、僕はこれを“和解”と、呼ぶこと
にした。
 僕は何も言わずに視線をはずして、自らの
コーヒーカップと、いつもポケットに入れず
に、手に持って歩いている財布を持って、移
動を開始した。
 女の子は、てきぱきとしたすばやい動作
で、僕の車の鍵と、水の入ったグラスと、食
べかけのバタートーストの皿を持って、僕の
前を、空いているカウンター席のほうへと歩
いて行った。
 その事件によって、僕の中で何かが変わっ
た。
 その事件によって、女の子の中で何かが変
わった。
 いや、その事件よりもずっと前に、女の子
の中で何かが変わっていたからこそ、その
日、その時に、その事件が起こったのかもし
れなかった。
 とにかく、僕は、翌日からも変わらずに喫
茶店に通いつづけた。
 女の子の方は、翌日からは、一度たりとも
目をそらして注文を取ることがなくなった。
 女の子の類いまれな、人を引きつける軽や
かな動作や表情は、その日からすべてのもの
が、この世でただ一人、僕という存在のため
だけに機能するようになった。
 それ以来僕は、喫茶店に通いつづけながら
も、次第次第に、その女の子の存在を意識す
ることがないようになっていった。
 女の子もやがて、その、神から与えられ
た、見る者すべてがうらやむような魅力を、
再度、僕を含めた、店に来るすべての人々の
ために振り撒くようになっていった。
 以来僕は、何の心配もない世界で、何の葛
藤もない世界で、何の束縛もない世界で、た
だひたすらに物語を読む生活を続けた。
 寝て、食べて、うどん屋でバイトをして、
風呂に入る時間以外は、すべての人生を、す
べての労力を、物語を読む行為に費やして
いった。
 僕の人生の中で、恐らくは最も地殻変動が
激しかったと思われる約一年と半年のあいだ
の時の流れは、ただ何もない、有意義な中休
みの時代として過ぎていった。

 そして、今、女の子は時々、眩しい笑顔で
にこにこと笑いながら、店の片隅に一人で
座っている僕に対して話しかける。
「今日もまたバタートーストとコーヒーです
か?たまには私が何かおごりますよ?」
 僕はとても穏やかな口調で返事をする。
「いや、いいよ。もうすぐ生活の質が今より
も一ランクアップする予定なんだ。もしもそ
れが実現したら、僕の方が君に何かをおごり
たいよ」
「きゃはは。期待せずに待ってますよ」
 女の子は、無邪気に笑って僕のもとを立ち
去る。
 僕はひとり就職情報誌をめくりながら、手
を伸ばしてコーヒーカップを口元に運ぶ。

 どんなにわかりあえる人間よりも、どんな
に理解し合うことが出来る他人よりも、たっ
たひとつの、本当の感動を与えてくれる物語
の方が好きだ。

 冗談じゃない。

 僕はこれまでただの一度だって、誰かと分
かり合えたことなんてなかったじゃないか。
 ただの一度だって、誰かと理解し合えたこ
となんてなかったじゃないか。

「いらっしゃいませー」
「ありがとうございましたー」
 店の中に元気のいい、若い女の子の声が響
き渡る。
 客たちが、その、張りのある、威勢のいい
掛け声に抱かれて、いくつもの、数え切れな
いストーリーの中に沈んでいる。
 手に持った就職情報誌の目次が、ぱりぱり
と、乾いた現実的な音を響かせて、僕が知っ
ている唯一の物語に、新たなる一ページの存
在を指し示す。






    

Goto (bun ML) HTML Log homepage