Index: [Article Count Order] [Thread]

Date: Mon, 6 Dec 1999 16:51:50 +0900
From: "s6ee846" <s6ee846@ip.kyusan-u.ac.jp>
Subject: [bun 00363] 作品投稿「針金の指輪」
To: <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <009301bf3fbe$c16633e0$5b341185@ip.kyusanu.ac.jp>
X-Mail-Count: 00363

青田ちえみです。
小説投稿です。
この小説、読んでいただけたら幸いです。


「針金の指輪」 (13枚)


 今年二度目の雪が降った日、朱実は千秋の部屋でみかんを食
べていた。
 四人座るのがやっとの、小さなこたつで二人は暖をとってい
た。千秋はそんなせまいこたつで、朱実と同じ辺に無理やり入
り込み、地方番組のショッピング情報に見入っていた。
 朱実が千秋の食べかけのみかんにまで手をだしたとき、背後
でふすまの開く音がした。
「かれんちゃんが亡くなったんですって」
 しわがれた声に振り返ったのは、千秋だけだった。
 朱実は口にみかんを運んだが、飲み込むことができずに、そ
のままみかんを舌で転がしていた。何かが頬をつたっていくの
を感じ、朱実は自分が泣いていることに気づいた。
 予感していたとはいえ、あまりに早く現実となってしまった
ことへの不安を、朱実は千秋の小さな手を握ることで、なんと
か堪えていた。
 千秋は、非常にゆっくりとした動作で朱実の左手を握り返し
た。
 朱実の指には、一時間ほど前にかれんが作ってくれた指輪が
はめてあった。
 千秋はその指輪にそっとくちづけをした。千秋の唇は、冷た
くなった朱実の手のひらとは対称的に普段よりも熱く、朱実に
はそれがとても気味悪く感じられた。
 千秋の母親は喪服、とだけつぶやいて部屋から出ていってし
まった。
 後には、ふすまが開けられたせいで入ってきた冷気と、沈黙
だけが残った。
 それまで無表情だった千秋が、にわかに怒ったような情けな
いような顔をした。何か口の中でぶつぶつとつぶやくと、千秋
はコタツに突っ伏してしまった。その肩が震えているのを朱実
は複雑な気持ちで見つめていた。
 口の中でもてあそんでいたみかんの房が、不意に破れた。甘
酸っぱいものが口いっぱいに広がり、朱実はとても不快だった。
どうやら、みかんがあまり好きではないらしいということに、
朱実はようやく思い至った。
 その間にも朱実の瞳からは大粒の涙が次々と溢れ出てきたが、
不思議と悲しくはなかった。
 気づくと、千秋が嗚咽していた。
 かれんとは三回しか会っていない千秋が、声をかみ殺して泣
いている。それを朱実は奇妙に感じた。
 しかし朱実自身、死んだかれんとはそこまで親しくなかった
のだ。それなのにいつまでも溢れてくるこの涙の意味が理解で
きずにいた。
 気持ちがこんなに落ち着いていても、涙は出るものなのか。
はらはらと涙だけを流している自分に、朱実は妙に感心するだ
けだった。
 朱実は左手の中指にはめている、金色の針金で作った指輪の、
神経質なまでに細かい編み細工をいつまでも眺めていた。
 ついさっきまで朱実と千秋は、かれんと居たのだった。

 よそ者だったかれんの葬儀は、町外れの古びた祭儀場で密か
にとりおこなわれた。かれんの死の直接の原因は、そこで語ら
れることはなかったが、朱実も千秋もそれがいじめに因るもの
だと知っていた。
 朱実より三つ歳上だったかれんは、同級生の明砂(あすな)
という少女とつきあっていた。そして明砂は、朱実のたった一
人のいとこだった。
 かれんの祖父が外国人だということも手伝って、高校でかれ
んはクラスの連中に血祭りに上げられたのだろう。
 それはここのような寂れた田舎町では、取りたててめずらし
いことではなかった。半ば閉じられたこの町では、ほんの少し
の違いでも、即いじめの対象とされるのが常だったのだ。
 そんな町で、かれんは最悪なことに、百パーセントの日本人
でもなく、しかも同性愛者だったのだ。
 かれんのお相手だった明砂(あすな)は、彼女の自殺のお陰
で、元からおかしかった精神状態をさらに悪くしてしまい、今
は遠くの病院に入れられている。
 
 葬儀の会場は、制服の人々で溢れかえっていた。かれんの同
級生たちらしい。
 彼らは一様に無表情で、何故かれんが死んだのか理解してい
ないようだった。
 転校したてのかれんが、彼らに無視され続けたことに気づか
なかったとでも思っているのだろうか。
 おめでたいやつら、朱実は心で毒づいた。この場でかれんの
死の真相を声高に叫んだとしても、彼らはそれと自殺がどう結
びつくのかも理解できないだろう。
 朱実は拳を握り、彼らを見つめていた。誰でもいいから殴っ
てやりたかった。
 しかし、かれんが自殺したのはクラスでのいじめだけが原因
ではないのだ。朱実が彼らに怒りをぶつけるのはおかどちがい
なのである。だからこそ、朱実は握った拳を必死で押さえてい
るのだった。きっとこれは八つ当たりなのだろうから。
 朱実はかれんの通夜の席で大人たちに死の真相を話さなかっ
た。
もちろん秘密を共有している千秋もいくら怒鳴られても脅され
ても、それを大人には話さなかった。
 大人には、分からない。
 朱実も千秋も直感的にそれを嗅ぎ分けていた。
 今日はまだ千秋の顔を見ていないことを朱実は思い出した。
紺色のブレザーの波をかき分けながら朱実は千秋の姿を探した。
 千秋は簡単に見つかった。母親に付き添われて、かれんの棺
の前にたたずんでいた。
 腰まである千秋の細い髪が、空調の風にわずかに揺れていた。
 壁一面の白い花で飾られた祭壇は、生前のかれんのイメージ
とはかけ離れた印象を朱実に与えた。なんだか、そこにある棺
の中にはかれんがでない誰かが入っているような気がした。
 黒いリボンで飾られた額の中で、口の端をわずかに上げて微
笑んでいる少女も、なんだかかれんではないように朱実には思
えた。
 かれんは自殺した。
 何度も確認しないと、忘れてしまいそうだった。
 しかも、朱実と千秋がかれんと一緒に金色の針金を編んで、
粗末なアクセサリーを作って遊んだその日に、突然消えるよう
にして。
 かれんの死体を見れば、すぐにでも彼女の死を実感できたの
だろうが、朱実が通夜の席に駆けつけたときには既に棺には花
の刺繍がほどこされた布のカバーがかけてあった。
 伝え聞く話では、かれんはマンションの踊り場から飛び降り
たらしい。恋人である明砂(あすな)の目の前でだ。
 それは、朱実の知るかれんとどうしてもイメージが一致しな
かった。
 自分たちが帰った後、あのマンションで一体何が起きたのか
朱実は想像することすらできなかった。
「お花、あげて」
 千秋が小さく言った。
 千秋の母親が手にしていた黄色い花を朱実に渡した。
 かれんの入っている棺は、すでに釘で打ち付けられていた。
 朱実は最後にかれんの顔をもう一度見たいと思った。テレビ
では、棺の顔のところだけ観音開きになっていて、死者と最後
の分かれをするシーンをよく流していたことを朱実は思いだし
ていた。あれは嘘だったんだなと、がっかりした。
 朱実が千秋にそのことをぼやいていると、隣に立っていた千
秋の母親が突然声をあげて泣き出した。
 朱実は自分が何か場違いな悪いことを言ってしまったのかと、
慌てて千秋の母親に寄り添った。そうしたものの、どうすれば
よいのか見当がつかず、朱実は泣き崩れたその背中におずおず
と手を添えた。それに呼応するかのように彼女の泣き声はさら
に高くなった。
 なおも泣き続ける彼女にかけるべき言葉を探し出すことは、
朱実には到底できそうになかった。
 朱実はとても恐ろしくなり、走って会場を抜けた。
 会場にこれから入ろうとする黒い服を着た人々にぶつかりな
がらも、朱実はずっと下を向いたまま走っていった。
 何かよく分からない黒いものが、かれんをどこか遠くへ連れ
ていったのだということを、衝撃とともに朱実はやっと感じ取
ったのだ。
 走っている後ろから、黒いなにかが朱実まで連れて行こうと
音もなく追ってきているように感じた。朱実は夢中で走った。
小さなこの祭儀場がとてつもなく大きく感じるほど、時間はゆ
っくりとしか進まなかった。思うように足がでないことが、朱
実を不安にした。
 やっとのことで祭儀場出口の自動扉を目前にしたとき、千秋
が追いついてきた。
 千秋は無言で朱実の袖を掴み、外へと飛び出す朱実について
きた。
 外に出てしまうと、あの黒いものの気配が消えた。
 不思議に思いつつも朱実は、袖にくっついたままの千秋を伴
って自分のアパートへと歩き出した。家まで帰れば、もっと安
心できるような気がしたのだ。
 寒さに震えながら、二人は無言のまま歩いていた。
 祭儀場からアパートまでは、かなりの距離があった。途中、
近道に使っている河川敷のランニングコースで足を止めた。千
秋の髪が川から吹き付ける風に乱れている。
 この寒空にラジコンの飛行機をとばしているおめでたいおや
じが三人もいた。
 平日の河川敷には、誰もいないと思いこんでいた。
 遠くに目をやるとサラリーマン風の男性が乗った四輪駆動車
や営業車と一目でわかるような薄汚れた白い自動車が数台、エ
ンジンをかけたまま停まっていた。
「けっこう、人いるんだ」
 千秋も同じことを考えていたらしく、独り言のように言った。
 二人はランニングコースから外れ、川岸と土手の中間に等間
隔に設置されているコンクリートのベンチに腰掛けた。河川敷
の入り口にあるコンビニで買った缶コーヒーと、中華まんを口
にした。買ってから数分も経っていないというのに缶コーヒー
はすでにぬるくなっていた。
 風に乱れる長髪が邪魔になっているのか、千秋は髪を押さえ
たまま食べにくそうに中華まんを見つめていた。怒っているよ
うな顔をして、千秋も朱実も冷たいベンチに腰掛けている。
 朱実は二つめの中華まんを半分に割ると、片方を川に向けて
高く放り投げた。鉛色の空に同化して中華まんは一瞬見えなく
なったが、間もなく穏やかな川面にぺちゃ、という間の抜けた
音と波紋を残して、そのまますぐに消えてしまった。
「もったいねぇっ」
 自分でも驚くくらいかすれた声で、朱実は叫んだ。千秋はそ
んな朱実を無視して、黙々と遅い昼食をとっていた。朱実は残
った中華まんの片割れを口につめこんで、むせた。
 あまり苦しいので涙がでた。
「もったいない」
 もう一度、つぶやきながら朱実は千秋にもたれかかった。
 千秋は邪魔、とだけ言った。
 朱実と千秋は、冷たい風の吹きすさぶ川面を眺めていた。
 長い間二人はそうしたまま、動かなかった。
「明日、学校が終わったら明砂(あすな)の病院に行こう」
 朱実の言葉に、千秋はわずかにうなずいた。
 朱実の指で、針金の指輪がきらり、と光った。
 朱実は初めて声をあげて泣いた。

(おわり)


------
青田ちえみ
mailto: s6ee846@ip.kyusan-u.ac.jp

    

Goto (bun ML) HTML Log homepage