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Date: Mon, 29 Nov 1999 03:13:06 +0900
From: "k" <ui@peach.plala.or.jp>
Subject: [bun 00355] 作品投稿「雪女」
To: <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <002101bf39cc$def6efa0$54a999d2@fmv>
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こんばんは。Kです。
この前の作品「彼のためのレクイエム」は誰からも感想がいただけませんでした。
でも懲りずに二回目の投稿です。
今度こそ何か意見・感想等いただければと思っているのですが…。
よろしくお願いします。


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      雪女



 それが落ち始めたのは真夜中だった。人も、動物も、木も草も眠りにつく闇の世
界。普段なら果てしない暗黒と星屑のかなたに月だけが異を唱えて蒼く輝く幻想の時
刻。誰もが経験していそうで、実は誰一人として入り込んだことのない異世界の空の
彼方からそれは落ちてきた。



「お兄ちゃん、これ何?」
 指先に付いた白い塊を突き出して少女は首を傾げた。
「・・・雪・・・」
 少女の指先から夜空へと視線を移して少年はつぶやいた。
 少年のつぶやきが合図だったかのように、小さな白い塊は、幾億の数となって少年
の黒い瞳を蹂躙していった。やがて黒い瞳が純白の結晶で埋め尽くされた時、少年
は、今、なぜ自分がここにいるのかを知った。



「いつもそうだった」
 女は疲れた声でそう言って、鋭い視線を男に向けた。
 男は黙ってテレビのバラエティ番組を見ている。番組の中の観客の笑い声が異様に
大きく響く。
「だから?」
 しばらくたってから、ふと、男の口から無機質な声が落ちた。
 女の手元で銀色の光がきらめく。
「終わりにするのよ」
 女は台所の椅子から立ち上がり、居間に座る男のほうへと歩き出した。
 暗黒を満たした夜の窓に女の顔が氷のように冷たく映る。
「こっちはずっと前からそう言ってたんだ。もちろん子供は二人とも俺があずかるか
らな」
 男は、忍び寄る闇に気づかずに言い放った。
 女は、ゆっくりとした動作で体重を乗せて男の背に重なった。
「ゲァ」
 奇妙な音とともに口から赤い液体を吐いて、男の体が二つに折れる。
 女の血走った目から、透明に光る一筋の涙が流れ落ちる。
 襖の向こうで小さな影が二つ動いた。



 少年は少女の手を引いて外へと走った。
 真夜中の街は少年にとって初めての世界だった。光り輝く店のネオンがない。行き
交う人々がいない。風が強く、空には星一つ見えない。
 どこをどう走ったのか、少年と少女はやがて二つの大きなビルの谷間へとたどりつ
いた。
 ビル風に吹かれながら寄り添う二人に小さな白い塊が落ちてきた。
 少女は初めてそれに触れた。少年は初めて、それを見ても楽しいと思わなかった。
「…雪…」
 つぶやきから我にかえった時、
「呼んだかしら?」
 明るく弾む調子で、空気さえ凍りつくような冷たい風が、音もなく少年の目の前を
通り過ぎた。



 寄り添う二人の前に忽然と現れたのは、漆黒のコートに全身を包み、手や顔だけは
透き通るように白い肌をした女だった。
 少年は眼光鋭く白と黒の女を見た。少女は、きつく口を結んでから、少年の手を握
りしめた。
 女は軽くステップを踏みつつ二人を眺めて、おもむろに、睨みつける少年の顔に右
手をかざした。
 女の体から、突き刺さるような冷気を感じつつ、少年は父に忍び寄る、見たことの
ない女の顔を思い出した。
「なるほどね」
 白と黒の女がつぶやくと同時に、少年の中の女の顔は徐々に徐々に、いつかの、優
しくて朗らかな母の表情へと戻っていった。
 ・
 ・
 ・
 どれくらい時間が過ぎただろうか。気がつくと、黒い女が静かに、透明な白い右腕
を引き戻すところだった。
「これ、初雪だって知ってる?」
 女は歌うように言って少年と少女から離れる。
 少年は体の芯に不思議な暖かさが生まれたのを意識した。
「初雪の時はもっと浮き浮きとするものよ。白い雪がすべてを白紙に戻してくれるの
だから。真夜中の雪遊びもほどほどにね」
 白と黒の女は妖しく、楽しげに微笑んで、消えた。
 少年の瞳の中で、もう何年も昔に見たきりの笑顔が揺れた。



 どこをどう歩いたのか、少年と少女はなんとか家の前まで来て、窓のそばで耳をす
ました。 
「あの二人にもしものことがあったら…」
 母の声が聞こえる。
「おまえはここで待っていろ。俺は警察と一緒に捜しに行ってくる」
 父の声も聞こえる。
「お兄ちゃん、早くお家に入ろうよ」
 少女が白い息を弾ませながら、少年の手を玄関へと引っ張る。
 少年は何か釈然としないものを感じながら、あたり一面の雪景色を眺める。
 夜中に妹を連れ出して雪遊びをしに行った。帰ってきたはいいが、家の中からは両
親の切迫した声が聞こえてくる。家を抜け出したことがばれたのだ。
 だが、もうひとつの別の記憶も存在する。
 母が包丁で父の背中を刺したのだ。それで、外に逃げた。妹を連れて逃げた。その
途中で誰かに会った。その誰かによって、再びここに帰ってくることができたのだ。
 誰に会ったのだろうか。
 なぜ、父親は無事なのだろうか。
 どちらの記憶が本物なのだろうか。
 少年は奇妙な暖かさを感じつつ、庭一面に降り積もっていく無数の小さな白い塊を
眺めた。それはひとつずつ着実に降り積もって、世界の全てを白く変えていくように
思われた。ひとつ、またひとつ。落ちても落ちても、小さな白い結晶の集合体に限り
はなかった。やがて、少年の瞳は、際限なく落ちてくる小さな白い粒を追って、徐々
に徐々に夜空へとその視線の角度を変えていった。そして限界まで顔を上げて、黒い
瞳に幾億の白い光をとらえた瞬間、
「白い雪が全部白紙に戻してくれるのだから」
 白と黒の女の言葉が、冷たく、暖かく、少年の胸の中に蘇った。
「行こう」
 少年は少女の手を引いて玄関へと向かった。
 少年と少女が家の中に消えてもなお、雪はしんしんと降りつずいた。
 全てを暖かく包み込むつもりなのか。あるいはほんの一時だけ、冷たいベールで偽
りの世界を演出するつもりなのか。
 誰に問われることもなく、誰に邪魔されることもなく、雪はしんしんと降りつずい
た。
 世の中の万物に降り積もり、徐々に徐々に世界を白く変えていった。


    

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