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Date: Thu, 25 Nov 1999 15:39:43 +0900
From: "k" <ui@peach.plala.or.jp>
Subject: [bun 00354] 作品投稿「彼のためのレクイエム」
To: <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <015701bf3710$52e05060$4da999d2@fmv>
X-Mail-Count: 00354

こんにちは。Kです。たぶん始めての投稿になります。
他のメーリングリストでも発表したものですが、いまいち反応が鈍くて悲しかったの
でここでも発表させていただきます。
何でもいいので意見がいただければ幸いです。


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      彼のためのレクイエム



  老人は霞んでいく視界の中に公園の噴水を映しながらつぶやいた。
「…何が…」
  いったい何が望みだ?
  そう言おうとして動かした舌はすべてを言い切る事は出来なかった。
「まだこいつしゃべる元気があるぜ」
  最も背の高い若者が老人の胸座を掴んで言った。
「ごめんなさいしか言えないようにしてやろうじゃないか」
  眼鏡をかけたきつね目の少年が言いざま右足を蹴り上げる。
  少年の足が老人の脇腹に当たって鈍い音を立てた。
「おいおい、死なない程度にやってくれよ」
  胸座を掴んでいた若者が言いながら老人を突き放す。
  どた
  老人はユーモラスとも言えるシンプルな音を立てて大地に投げ出される。
「おい、真二もいっしょに可愛がってやれよ。このじいさんさっきからおまえのほう
ばっかり見てるぜ」
  眼鏡が放った言葉に、老人の足元の影が揺らぐ。
「ぼ、僕はいいよ」
  影は必死の思いで作り笑いをしながら答えた。
  ごぎ
  眼鏡がまたしても老人の脇腹を蹴り上げ、返ってきた音は先ほどまでとは違う結果
を若者たちに伝えた。
「あらら、肋骨が折れちゃったぜ、じいさん」
「早く『生まれてきてごめんなさい』って言うんだよ!」
「そうでないと死んじまうんだからよう、わかってんのか、このじじいが」
  長身の若者が老人の右手を踏みつける。
  眼鏡の少年は顔を踏みつけた。
  背の低い少年の影が一歩後方に移動する。
「おい、真二、ビビるこたあねえんだ。ビビるこたあよ」
「こういうところで酒飲んでるじじいってのはよ、言ってみれば社会のガンなわけよ」
  幾重にも塗り重ねられた黒い絵の具の中で、若者たちの顔はほんの微かにだけ公園
の常夜灯の灯かりを跳ね返している。
「これからこの国を背負ってくことになる俺たちがよう、こういうガンを見過ごすわ
けにゃあいかねえよなあ、え、おい?」
  言い終わるなり長身は右足をひらめかせ、老人は鈍い音とともに大地の上で寝返り
を打った。
  老人の顔が背の低い少年のほうを向く。
「ひっ」
  どろりとした老人の両目に見つめられて少年は思わず声を出していた。
「…何が…」
  老人はもう一度繰り返そうとした。視界は、今度は噴水ではなくしっかりとター
ゲットの少年を捕らえている。
  話が分かるのはこの少年しかいない。
  老人は直感的に自らの死を感じていた。そして微かな生存の可能性をこの少年にか
けていた。
「…た…」
  助けてくれ
  今度はそう言おうとしたが無駄だった。
  もう、体は細かい命令に従えるような状態ではなかった。
「おい、真二、もっと欲しいって言ってるぜ、おじい様がよお」
  眼鏡がからかって、少年は自分の顔が引き攣るのを感じた。
  痙攣する自らの頬の下で何かがゆっくりと動き出す。
  しわくちゃの何か。
  血みどろの何か。
  真二の足に向かって近づいてきた何か。
  それは老人の右手だった。
  長身に踏みにじられ、血だらけになった老人の右手が自らの足に触れたとき、真二
は我知らず走り出していた。
「おい、こら!」
  長身と眼鏡の制止も振り切って真二は走った。
  走っても走っても老人の右手が追ってくるような気がしたがそれでも真二は走るの
をやめなかった。
  やがて辺りの景色が喧騒の激しい繁華街に近づいてきたとき、真二はやっとのこと
で足の震えを止めることが出来た。
「僕は…」
  気持ち早足で大通りへと歩きながら、真二は何度も何度も同じ呟きを繰り返した。
「僕は…」
  しかし頭に浮かぶ呟きは一度として最後まで言葉になることはなかった。
  僕は悪くない
  真二はいつしか、その呟きを口にする事を放棄した。けれど胸のうちで繰り返すこ
とだけはやめられず、無意識のうちに再び、老人のいた公園へとその足取りを向けて
いた。



  少年は再びその闇の中に戻ってきた。
  闇は何の歓迎の挨拶もなしに、真二の、まだ発展途上にある若い肉体と精神を、そ
の暗黒の世界の中へと受け入れた。
  長身と眼鏡はもう帰った後であるらしかった。
  公園の中に動く人影はなく、かわりにひとつの赤黒い塊が、その存在をより一層際
立たせてたたずんでいた。
  真二は塊に近づいていった。
  老人だ…。
  確かに間違いなくあの老人だ…。
  少し収まりかけていたはずの真二の心臓の鼓動が再びフルスピードのリズムを打ち
始める。
  動かない。
  老人はぴくりとも動かず、真二はその生死を確認しようか迷った。
  僕は…悪くない
  飽きるほど繰り返した呟きをもう一度繰り返したときだった。
  老人が真二に向かって顔を上げた。そして最後の力を振り絞るようにして叫び始め
た。
「助けてくれ、わしが悪かった…助けてくれ…お願いだ…もうやめてくれ…わしが悪
かったんだ…あああ…ううう…」
  老人は叫びながら真二の足を掴んでいた。
  真二は必死の思いで老人の手を蹴り上げて、老人の顔を見ながら一歩、二歩と後
退った。
  老人は真二に腕を蹴り上げられてもなお死人のような声で助けを求めた。
  助けてくれ
  わしが悪かった
  老人の血まみれの顔と、繰り返される呪詛のような声によって、真二の中で何かが
切れた。
「なんでてめえが謝るんだよ?」
  真二の口は無意識のうちに狂暴な言葉使いを身に纏っていた。
「なんでてめえが謝るんだよ、え?」
  真二の足は、生まれて初めての本当の出番の到来を予感し、その快感を夢見て打ち
震えた。
「てめえはただ公園で寝てただけだろうが、てめえはただ公園で静かな夜を過ごして
いただけだろうが」
「てめえは何にも謝る事なんかないんだよ、悪いのはみんなあいつらなんだよ、なの
になんでてめえが謝るんだよ、え?おい、なんでてめえが謝るのかって聞いてるんだ
よ、おい!」
  少年は無抵抗に寝転がっている老人をメチャクチャな勢いで蹴り始めた。
  少年は自分でも意味の分からない言葉を叫びながら老人を蹴りつづけた。
  少年の足が少年の意志とは無関係に動き始めた頃、老人は徐々に徐々にゆっくり
と、醜いしぼんだ口からおぞましい叫び声を上げるのをやめていった。
  しばらくして少年は、蹴っても蹴っても老人の体が反応しないことに気がついた。
  蹴るのをやめたとき少年は公園中に響くコオロギの鳴き声を聞いた。
「僕は悪くないんだ」
  少年はこの上なくスムーズに、胸のうちの呟きを言葉に出し、老人に背を向けて歩
き始めた。
  公園は何事もなかったかのように静けさを取り戻し、老人は薄れゆく意識の中で考
えた。

  おまえはもう何も語ってはくれないのか

  その昔常に人々に語りかけていたおまえはもう何も語ってはくれないのか

  ならばせめて

  せめておまえ自身の力によってすべてのものを無にして欲しい

  無こそすべての、すべての始まりであるのだから

 …

  ひとつの古ぼけた命が消え、公園にいた無数のコオロギたちが、彼のためにレクイ
エムを歌った。


    

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