みなさんこんにちは!このところすっかりROMしておりました、
柴原です。投稿をひとつひとつ興味深く読んでいました。
今回投稿する「潮風通り」(仮題)は、去年辺りから考えている
短編小説のプロットなんですが、いろいろいじってみるうち、
どうもこれにごちゃごちゃと 肉付けするより、元のままの方が
良いような気がして、ずっと放り出してありました。改行など
一部手を加えて、そのままアップしようと思います。
小説というか、その「骨組み」みたいなものですが、お時間が
あるときにでも、特に話の運び方などについて、 ご意見を
お聞かせ下さいませ。
それでは、どうぞー。
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「潮風通り」
ある船乗りが、子供の頃に遊んでいた大通りのことを
思い出しました。その道は友達の笑い声にあふれ、
どこまでもどこまでも続いていたのです。
考えてみたら、ふるさとの港町には、もう何年も
帰っていません。
そう思うと、急にいてもたってもいられなくなり、
何日も何日もかけて、ふるさとに戻ってきました。
年老いた母親との再会もそこそこに、
「お母さん、子供の頃遊んだ大通りはどうなっているかな?」
と尋ねます。しかし、母親は、どこのことかわかりませんでした。
友達とよく遊んでいた通りだと言って、ようやく思い当たった
母親が連れていったのは、大人2人がようやくすれ違うことが
できるほどの、薄汚い裏通りだったのです。
饐えた臭いが漂い、人の影もありません。
と、
呆然と立ちすくむ彼の足下を小さな子供が追い抜いて行き、
その拍子に足をもつれさせて転びました。
泣き出すその子の手を取って起こしてやりながら、彼は
思い出します。
子供の頃、やはりこうしてもらったことがあったこと。
たまに包装がくしゃくしゃになった、お菓子をもらったこと。
子供の涙を拭いてやりながら、彼はふと気がつきます。
その幼い子供が、どこかで会ったような顔をしていること。
ぽん。
肩を叩かれて振り返ると、今ではすっかりいい年になった
友人が、ニコニコと笑っていました。
気がつくと建物に挟まれた空だけは、昔と変わっていません。
そして、今でも、かすかに潮の香りをのせた風が、あのころと
同じように路地をしずかに流れていくのでした。
*****
というものです。
何というか、世の中ってまさに無常というか、あるのが
当たり前と思っていたものが、気がつくとどんどんなくなっていて、
もう求めても手に入らなくなっていたりします。
特に大切なものほど、そうなってしまっているようで、寂しいな、と。
だから、最近「変わらないでいてくれることも、大切な
ことなんだなあ」と思うようになりました。場所でも、物でも、
もちろん人でもね。
そんなことを書きたくて作ったあらすじなんですが、そのあたりが
伝わっているでしょうか?
では、今日はこれで失礼いたします。
柴原 智幸
Goto
(bun ML)
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