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Date: Mon, 28 Jun 1999 22:00:01 +0900
From: 在原万耶 <arihara@mx1.freemail.ne.jp>
Subject: [bun 00325] 「海のむこうがわ」
To: 文章研鑚 ML <bun@cre.ne.jp>
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                                 海のむこうがわ

 僕が初めてその女の子に出会ったのは、ある暑い夏の夕暮れ時だった。
 その娘は岩場に座って、嬉しそうに寄せては返す波を見つめていた。もう日暮れも近
く、海は深い藍色に染まろうとしている、そんな時だ。
 僕は塾の夏期講習からの帰り道で、急いでいたせいもあり、はじめは気にもとめていな
かった。だが、その娘は毎日同じ時刻、同じ場所で海を見つめていた。
 だんだんその娘の存在が気にかかるようになり、いつしか道に入る前にその娘のことを
思うようになっていた。

 夏も終わりに近づいた、雨の夕暮れ。
その娘は傘もささず、ただ、海を見つめていた。
「・・・・ねえ、風邪ひくよ?」
僕は思い切って声をかけてみた。
その娘は一瞬驚いたように僕を振り向き、そして微笑んだ。僕がその意味を考える前に、
その娘は笑って駆けていってしまった。
「また明日、来るよね?」
そうひとこと言い残し、笑って。
雨の中、髪をなびかせて駆けていくその娘は、不思議に綺麗だった・・・・・・

 翌日。
 あの娘の言葉が気になったせいか、僕は講習中もうわのそらだった。一日の授業が終わ
るのももどかしく思ったが、あいにく僕はテストの点が思わしくなく、居残りをする羽目
になってしまった。
 結局あの海辺を通ったのは、日も暮れかけて星が輝き始めた刻になってしまった。もう
帰ったかと思っていたが、その娘は、何時もと変わらずに座って海を見つめていた。
 僕が言葉を探しながら近づいていくと、その娘はまるで僕の存在が分かっていたかのよ
うに振り向き、昨日と同じ微笑みをくれる。
「遅かったのね」
 か細く低い、なぜか耳に残る声。
やっぱりその娘は一言だけ呟くと、そのあとは押し黙ったままだ。
聞きたいことはたくさんある。
年齢はいくつか。
何処からきてるのか。
君の名まえは?
 だけど、そのどれもなぜか触れてはいけない秘密のような気がして、僕も結局押し黙っ
たまま、しばらく立ち尽くしていた。
「流れ星だ・・・・・・」
ふと空の端がきらりと輝き、淡い光が流れ落ちていった。僕が呟いたのを聞いたのか、そ
の娘も同じ星を見る。
「綺麗だね」
ようやっと、二言目を聞くことが出来たと思うと、その娘はすっと立ち上がり、また駆け
去って行く。 昨日と同じように、笑って。
僕は、声をかけることも追いかけることもできずに、ただ見送っていた。

その夜、僕は布団の中で今までのことを整理してみた。
年齢は、たぶん僕と同じくらいだろうか。
毎日日に当たっているのに色白で、華奢な雰囲気の娘。
服装だって、思い返せばいつも空色のワンピースと決まっている。
腰まである長い黒髪を潮風になぶらせ、海を見ている。
僕はこの街で生まれ育ったが、あの娘を見たことはないと断言できるだろう。
引っ越してきたのか・・・・それとも?
やっぱり結論は出ず、僕はため息とともに明日こそは聞こうと決意し、眠りに就いた。

「あなたのこと、知ってる」
「・・・・え?」
今日こそはと決意をこめ、その娘の隣に腰掛けると、珍しく僕に話しかけてきた。
「名まえは知らないけど、ちいさいころからずっと見てたから」
僕は何も言わず、次の言葉を待った。
しばし、沈黙が流れる。
波が押し寄せてははじけ、泡となって消えていく。
「12番地の旧い洋館・・知ってるよね?」
僕の脳裏に、幼いころに友達に聞いた話がよみがえる。

「あの洋館に住んでる女の子はね、スッゴク重い病気なんだって・・・・一生ベッドから
起き上がることもできないんだって!」

 僕が知っていたのは、そんな噂話だけだった。その娘の名まえも、顔も、年齢も、何も
誰にも分からなかったから。でも、こうして外に出てきているということは・・病気が少
し良くなったということか?
「あたし、もうすぐ海の向こうに行くの…ずっと、ずうっと向こうに」
 そう言ったきり、その娘は黙りこんだ。
何を言えばいいのだろう。
僕には気のきいた言葉なんて、見つけられなかった。
「きっと・・綺麗だよ、海の向こうは・・」
 僕はそう呟くと、その娘の横顔を見つめた。
どこまでも暗く続くこの海に溶けてしまいそうなほど、綺麗で・・透きとおって、見えた
ことを憶えてる。

 いつ別れたのか、はっきりとは覚えていない。
ただ、ふと気がつくと、僕は暗い夜の道をひとり自宅へと向かっていた。
あの娘は、自分のことを分かっていたのだろうか。
あんなに静かに、ただ海だけを見て、怖くはなかったのか・・・・
何故、海を見に来ていたのだろう。
何故、僕に話しかけたのだろう。
何故、あんなふうに笑えたのだろう。
僕は星空を見上げ、立ち止まった。

「人は死んで星になるのよ」
そう言い残して逝った祖母の笑顔が、脳裏をよぎる。
僕もいつか、ああやって輝けることがあるのだろうか。

 翌日から、海辺にその娘の姿は見られなくなった。数日後始業式を迎えた僕は、海辺の
あの道を通ることも少なくなり、あの娘のこともだんだん記憶から薄れていった。
 それから半年が過ぎ、僕が高校の合格証を手にした刻には、あの洋館は取り壊し工事が
始まっていた。
きっと、春には終わるだろう。
そしてまた夏が来るころ、誰かがまたあの道を通るだろう。吹き上げる潮風が、心地よく
感じられるようになるだろう。
真新しい夏服を着て、もしかしたら、僕も通るかもしれない。
あの娘もやっぱり、海を見るのだろうか。
この海の・・・・・・むこうから。



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自分とこのメーラーで表示を確認していますが、おかしくなっていないでしょうか…?

From:Maya Arihara  ICQ#39364199
arihara@mx1.freemail.ne.jp
http://www1.freeweb.ne.jp/~fortuner/

    

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