野崎です。
> インターネットが普及するようになって、顔文字というものが、
> 出現しました。これなど、過去において事例のないことです。
>
> そういうものを小説に使わなようにする、というと時代の流れに
> 反するものでしょうね。
> 「・・・」も、時代の流れだと私は、思ってます。
この意見に接して思ったのは、言葉は移り変わっていくものだということです。
言葉は、いつも、話し言葉から変わってきたように思います。姿を変える話し言葉
が、書き言葉としても認められるのには、それなりに時間が必要です。常識的に正し
いとされるのは、いつでもほんの少し時代遅れの代物なのかもしれません。
その正しいとされることすら、さらにさかのぼれば、かつては老人たちのひんしゅく
を買った表現だったことでしょう。いったいどこまで行けば、言葉の根源にたどり着
くのかとふと考えてみると、かなを生んだ漢字さえ外来語であったことに気がつきま
す。
すると、行き着く先は「縄文語」でしょうか。
あらためて、みんなが縄文語を話せばと考えるのは楽しいのですが、現実的ではあり
ませんね。
> 「・・・」も、時代の流れだと私は、思ってます。
そうなのかどうかはよくわかりません。
しかし、絶対多数の人が使うようになった時には、それはもう受け入れられてしまっ
た表現なのでしょう。
文章表現を志す人には、その兼ね合いを見極めることも重要だろうと思います。
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(bun ML)
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