横山です。
>一般論として、「共感」について考えるとき、言葉のもつ「力」の不思議を感じま
>す。いったん発せられた言葉は、取り戻すことができない。発した本人の意図さえ
離
>れて一人歩きする。にもかかわらず、異なる人の心に共感を呼び覚ますことができ
>る。不思議なことですね。
>
不思議でもありますが、故に魅力的でもありますね。
ひとつの「言葉」を、誰もが一様な印象をもって受け止めるものであるならば、それ
ほど「魅力的な言葉」でもないのかもしれません。
>相手の心に生まれたのは、書き手の意図したのとはまったく異なる考え方、結論か
も
>しれません。言葉は抽象的なものです。その人固有の経験と知識によって、その言
葉
>はあらためて受け止められるのですから、当然です。
「隠喩」などがより大きな効果をもたらすためには、やはり読み手にも最低限の想像
力や、それを解釈しようとする努力なくしては感動も得られるはずがないと思うので
す。もちろん書き手がそれに対してどれくらいまで「甘えるか」というのが大きな
テーマでしょうが。
現在、凡庸な手法(または「言葉」)では、読み手に深い「共感」を与えるのは難し
いのかなと、私は思ってしまいます。あくまで、「言葉」で感動を与える、という見
方において。
>
>しかし、それでも、言葉によって表現されたものに対する感受性は、共有されてい
る
>のではないでしょうか。このあたりに、言葉による表現の限界と、その限界を超え
る
>可能性をみる思いがします。
書き手が読み手を選ぶ、というのであればその「限界」というものも少し遠ざかるの
かなと。。。
しかしながら、その逆であると、普遍的な表現でしか物事を書けなくなってしまいま
す。
いや、わかりません。。。私のこの「言葉」がすでに自分の「限界」を示しているの
かもしれませんね。
こう書いていきますと、すでに世に出尽くされたはずの表現手法に対して、新たなる
可能性をまだ見出そうとする作業は、困難でもありますが、すばらしく魅力的であっ
たりもします。
私は絵を少しやりますが、絵画と比して、文芸のジャンルの表現はそれほど「限界」
に到達したとは思えません。
それほどに読み手は、文章に対して「難解さ」を求めていないということなのでしょ
う。
――なんだか、野崎さんの書いていることと、私の書いていることが噛み合っていな
いような気がしてきました、読む方々を混乱させるのではないかと心配です。
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(bun ML)
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