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Date: Fri, 18 Jun 1999 12:00:40 +0900
From: "Jun Nozaki" <junn@lime.plala.or.jp>
Subject: [bun 00308] 横山さんの指摘について
To: <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <004801beb936$e6dbf560$412a99d2@vaio>
X-Mail-Count: 00308


野崎です。

「陽炎の日」についての感想に対して、横山さんからいくつかの指摘を受けました。

特に、「まったくの個人的な感想」として述べた部分。時間と空間という言葉が、多
く使われる部分に関しては、自分だけに通じる理屈にもとづいて、書いてしまったこ
とを反省しています。

メーリングリストは、大きなテーマのもとで、自由かつ公の議論を交わすところだと
思います。その点において、大変、軽率でした。

また、横書き表記に対する私の抵抗感について、別途縦書きに置き換えてみることに
よって解決できる、とのご意見をいただきました。確かにそのとおりです。しかし、
書き手によってその旨が記されていない限り、そうすることはできません。

書き手の意図を離れて、形を作り変えてしまう危険があるからです。

ただし、作品冒頭の表現から受けた印象からすると、この書き手が縦書きを前提に
表現しているのは、確かだと思います。物語世界への注意を、一気に喚起しようとす
る意図も明確です。しかし、だからこそ、私が最初に目にする文字が横書きであるこ
とに、不条理を感じるのです。

通信は、横書きを中心とする業務的な手段として発達してきた、その段階をまだ抜け
出せてはいません。自由な表現手段としてはいまだ未成熟であり、利用者もそれを乗
り越えられないでいるように思えます。この状況に対する不満を、感情的に示してし
まったものとしてご理解いただけないでしょうか。

一般論として、「共感」について考えるとき、言葉のもつ「力」の不思議を感じま
す。いったん発せられた言葉は、取り戻すことができない。発した本人の意図さえ離
れて一人歩きする。にもかかわらず、異なる人の心に共感を呼び覚ますことができ
る。不思議なことですね。

相手の心に生まれたのは、書き手の意図したのとはまったく異なる考え方、結論かも
しれません。言葉は抽象的なものです。その人固有の経験と知識によって、その言葉
はあらためて受け止められるのですから、当然です。

しかし、それでも、言葉によって表現されたものに対する感受性は、共有されている
のではないでしょうか。このあたりに、言葉による表現の限界と、その限界を超える
可能性をみる思いがします。

書き言葉は有史以来、人と人との時間的な、そして空間的な隔たりを超えるほとんど
唯一の手段でした。どんなに映像的な手段が発達しても、この歴史的な洗練を乗り越
えるのは容易ではないでしょう。

冒頭、反省したばかりの時間と空間に話が立ち戻ったところで、筆を置きます。












    

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