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Date: Wed, 16 Jun 1999 11:31:02 +0900
From: "Yokoyama Nobuhiro" <yokoyama@ostc-na.netspace.or.jp>
Subject: [bun 00307] 書き手も読み手として
To: <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <001201beb7a0$46f58b20$690100c3@pcd0070>
X-Mail-Count: 00307

横山です。

つくづく思うんですが、
書き手のほうはきっと作中人物の言動や心の動きについて、ある程度の理解があるの
だと考えます。ただそれが読み手に伝わるかどうかということは別問題です。

もちろん個人差はあるのだと思うのですが、
読者が「うんうん、そういうことあるよね、そうそう、そうなんだ、ホント、そうに
決まってる、ありがとう、私にかわって言葉にしてくれて」と反応するか、
「はーん、なるほどねえ、そんな風に考えちゃうわけねえ、俺だったらそうじゃない
けど、でもそういうこともあるかな」
と反応できるか、ということは、
「そんなことあるわけないじゃん」
と言われることとは全然違う。
もちろん個人差がありますが。

読者が共感持ち得るものか、または新しい発見をもって感動を与えられるものか、そ
ういうものでないと、「リアリティがない」「読みづらい」ということになってくる
のでしょう。

吉本ばななの「キッチン」で、主人公の女の子が、何かあるとキッチンへ行って寝た
りする、「そんなことあるのかなあ、私ならしないかもしれないけど、でも、なんと
なく気持ちがわかるなあ」という共感。
そういったものを読者に与えられないとつらいのかもしれません。

私の作品なんて、特にそうです。
グアテマラの人たちのこと、日本にいる人たちが読んで、「なるほどねえ、そんな風
に考えたりするんだねえ」と思っていただけたら、これは非常に大きな感動だと思い
ます。

自作を客観的に読もうとする力、それを養わないといけません、月並みな言葉です
が、非常に難しいですね。
私はまだまだです、が、それを避けていてはなんともなりません。本当に、なんとも
ならないです。


・ マヤさん → 「ちり」が見当たらないそうですが、私はもう削除してしまってい
て、メールカウントはよくわかりません。
なんなら「ちり」を直接送りましょうか?
とてもとても、という作品ですが。


    

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