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Date: Sat, 12 Jun 1999 14:26:06 +0900
From: "Jun Nozaki" <junn@lime.plala.or.jp>
Subject: [bun 00302] 「陽炎の日」への感想
To: <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <00d301beb494$bac53b40$4d2a99d2@vaio>
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野崎です。

冒頭、「ひとくもが襲ってくる」と読んでしまいました。

個人的に、さらに横書きへの敵意を深めます。
その後に続く描写は、一気に物語り世界へ読み手を導くものとして、十分その役割を
果たしていると思います。

横山作品にも感じたことですが、やはり、日常的な蓄積が端々に現れています。
日々の生活の中で、流れ去っていく多くのものごと。その中でも、人間はさまざまな
刺激を受け取ります。その瞬間、自分が何をどう感じたのか。生々しい感触が消え去
らないうちに、心の中に生じた動きを評価し、もう一度記憶として容易に呼び戻せる
ように位置づける。そういった作業が、表現を支える蓄積となっていると感じまし
た。

導入部に、意図的にイメージを使っている点にも、切り込み方として好感を持ちま
す。

ただし、表現として気になったこともあります。
同じ意味として用いるにしても、文章中の言葉の選択には疑問を感じることがありま
した。よりやさしく文章中にとけ込む言葉よりも、常にこだわりのある重い単語を置
く傾向があります。

読み手は、一つ一つの単語を解釈するのではなく、言葉の連なりをひとつの印象とし
て受け取り、ニュアンスを感じ取ります。その流れをしばしばせき止める言葉の選択
を、あえて批判したいと思います。他者の個性にもとづく表現を、私個人の嗜好で批
判するのは傲慢ですが、この点において、書き手は文章としての表現よりも、個人的
に用いたい言葉の選択を優先したと、思えるのです。

引っかかりのある言葉を、「強調」として使うのはひとつの手法です。また、読み物
に接する人には、いえ、おおよそ言葉による媒体すべてに対してですが、新たな知識
や未知なる言葉への憧憬が、動機として存在するのも間違いありません。
ですから、私自身の語彙の乏しさはさておき、手法としてではなくその言葉を選択し
た意図を問いたいと思います。

この傾向が、ほかの方から寄せられた「主人公が老成している」との印象にもつな
がっている、そう思います。

ぽんぽんと飛び交う会話も生き生きとしていますが、それが何かを物語ってはいな
い。何かを物語ろうとするときには、独白に頼っている。しかし、重要な登場人物の
個性の掘り下げが不充分です。そのために、彼らの語る価値観は一面的で、説得力に
欠けています。

一つ一つの文章表現にはこだわりがあり、また力もあるだけに、このことが物語世界
のリアリティを奪っていることが残念でした。また、作品を通して印象づけられた語
り口は、短い話よりもむしろ長編にその長所を生かせるもののように思われます。会
話と描写、段落の切り替え等の間の取り方にそれを感じます。

最後に、まったく個人的な感想です。

読後感として、物語における時間と空間、そして人間の心の中における時間と空間と
いうものに思いをいたしました。また、時間と空間を超えることができるものに、書
き手として一定の価値観を構築されているようにも、感じました。

主人公が、最終的に冒頭の時空間に立ち戻る。そこは、彼の心の中では、閉ざされた
場所のように何も変わっていないはずだ。なぜなら、その場所に彼を逃げ込ませた現
実は何も変わっていないのだから。

だが、本当にそうだろうか。まったく同じなのだろうか。そこに「今」いる意味さえ
同じなのだろうか。そんな素朴な疑問が自分の心に生じたことに、

私は安堵を覚えたのでした。















    

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