Index: [Article Count Order] [Thread]

Date: Wed, 9 Jun 1999 01:20:10 +0900 (JST)
From: poetlabo@cap.bekkoame.ne.jp (T. Nagare)
Subject: [bun 00280] Re: [works] 丘へ上る道
To: bun@cre.ne.jp
Message-Id: <199906081620.BAA26535@soda1.bekkoame.ne.jp>
X-Mail-Count: 00280

流です。
なんか配信して1時間も経たない内からご返事いただいたようで、皆様の早業にはた
まがりました。しかも感想の方が元記事より長い、という。
はあ、なんか申し訳ない… しかしみんな、早く寝たほうがよろしいのでは…

何人かの方は気づいていらっしゃるようですが、あれは小説ではありません。だって
、事実そのままですから。
ただ作者の方からは小説ではないものを投げたつもりが、皆様これを小説としてお読
み遊ばされたようで、小説が書けない文芸小僧としては頭の痛いところです。
散文詩を書こうとして失敗したら、ただの散文となってしまった訳で、これは致し方
のないところか。散文を用いて小説の外に出るには、さてどうしたものか。
まあ、あんなもっともらしい文体を用いて日記を書くような奴は、あまり居ないとは
思います。

僕はお話を作ろうとしているのではなくて、自分が覚えている道のことを書きたかっ
たのです。小学2年生当時の姿で呼び出された友人には悪いのですが、僕は彼につい
ての物語を書くつもりはありません。それよりは、風景の描写を通じて、社会批判が
できたらと思っています。
後半がモノローグと化してるのはすぐバレたようで、あれはまさに埋め草として突っ
込んだ代物です。このへんを削るか具体化できないと、こいつはクズ籠行きだな…
でも、記憶を確かめるために現地調査したりはしません。僕にとっては、自分の中に
あるものが全てです。たとえその道がそのまま残っていても、僕にとって同じもので
あるはずがないのです。

どなたか『ドラマ』という言い方をなさってましたが、古代ギリシャ演劇以来の『悲
劇/喜劇』の二分法が、はたして今の世の中に意味を持つのでしょうか?
『悲劇』の手法が今なお有効だとしたら、人間のやることは全然進歩していないわけ
で、実際そうなのかも知れません。人生というものには、悲劇と喜劇のどちらかしか
ないのかもしれません。でも本当に、『どっちかしかない』のでしょうか?
僕としては、このろくでもない世界に生きていくことが、そのまま地獄でもあり天国
でもあるような、そういう生き方もあるのではないかと思っているのです。

『道』のテーマで書いた文章が実はもう1つあるが、これはますます小説ではないの
で、どうしましょうかね。ご覧になりたい方、あります? どうも小説以外は歓迎さ
れていないようなので、先に断っておいた方がいいのかな?
あとはおーむかしに書いた散文がちらほらとあるので、いくつかお目にかけようか。
詩でよければ、新作もあるのですけれどね。例えば、今書きかけているのは

>       午後

> とにかく午後は午後だったのだと思う
> 午後がいきなり台湾になるわけでもなし
> あなたの右手が牛に見えたなどという馬鹿なこともなく
> 僕は僕で歩いている歩道が急に柔らかくなり靴を食われた なんてことがあるはず
>もない
> ただどうしたわけか回りのもの全ての視線を感じるような気がして
> そんなはずはないのに僕たちを取って食らおうとしているみたいで
> そういえばなんだか持ってきたものが一つずつ見当たらなかったりして
> 空を仰ぐと日向色の魚たちが白い時間を食べていて
> これはどうやら無事に帰れそうもないらしい
> でも僕が特定の誰かの栄養になるというのなら
> それはそれでいいことなのかもしれないと
> 犠牲にされる王様のように胸を張り
> 僕を待っているかもしれない誰かを探しに
> 歩いていった


というのですが、たぶん皆様ワケがわからないばかりでしょう。

魔術幻燈 ☆★☆ 流琢弥/萩原學/硯研一郎
http://www.bekkoame.ne.jp/%7Epoetlabo/
HTML研究室
http://hp.vector.co.jp/authors/VA014833/
poetlabo@cap.bekkoame.ne.jp


    

Goto (bun ML) HTML Log homepage