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Date: Sat, 5 Jun 1999 17:08:08 +0900
From: "Jun Nozaki" <junn@lime.plala.or.jp>
Subject: [bun 00247] 横山作品への感想
To: <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <00b001beaf2d$16d50180$472a99d2@vaio>
X-Mail-Count: 00247

野崎です。

「ちり」について

興味深く読ませていただきました。

細部の描写をつみかさねて、作品世界の雰囲気を醸成していく手法には、共感すると
ころがあります。また、豊富な言葉の知識や舞台とした町の事物など、十分な下地が
あっての作品だと感じました。スペイン語圏、とくにラテンアメリカに大変経験の深
い方だと、推察します。

創造だけで書いているとの批判がありましたが、十分に事実に対する認識を持って表
現されていると思います。ある種、悲惨な物語ではありますが、それを単に悲惨なも
のとしては必ずしも描いていない。

そこに、書き手のものを見る目の、冷たさを感じます。

職業的な物書きを目指す方には、必要な資質ではないでしょうか。確かに、何をいい
たいのかわからないという感想は、私もいだきました。しかし、一方で作品には明確
なテーマが必要だとの確信も、私にはありません。

言葉は抽象的なものとして、人と人とを結びつけます。
明確な意図や主張がなくとも、書き手の中に存在するもの、たとえそれが漠然とした
ものであっても、それに対する共感が読み手の中にも生まれるならば、十分作品とし
て成り立つと考えます。

ただし、その作品が商業的に通用するかどうかは、別の次元の問題です。

表現として批判したいのは、すでに指摘されているとおり、外国語を安易にカタカナ
表記しさらにカッコ書きでその意味を伝えている点です。このような表現も許される
とは思いますが、原語でしかわからないニュアンスや語感を伝えたいのなら、むしろ
アルファベットで表記すべきとも思います。いずれにしても、多すぎるのはいかがで
しょうか。

この点において、文章がどのように読み手に理解されていくか。その過程に対して
の配慮が足りない、との印象を受けました。物語の核心にどう読み手の心を導いてい
くかということに、多くの書き手が心をくだいていることを思うとき、あまりに突き
放した書き方に対して私はとまどいを感じます。

身についた知識を、それを知らない人たちにどう伝えるかという困難な作業に、もど
かしさを感じておられるのは理解できます。しかし、「わからない言葉が多いのです
が」と作品以前に断ること自体、ノンセンスではないでしょうか。

単にわかりやすく書くべきだと、私が主張しているのではないことは、ご理解してい
ただけるでしょうか。









    

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