Index: [Article Count Order] [Thread]

Date: Sat, 29 May 1999 01:54:34 +0900
From: "Atsushi.S" <a-shimo@sol.dti.ne.jp>
Subject: [bun 00216] 初投稿 「プリズム」
To: bun <bun@cre.ne.jp>
Message-Id: <374ECA4A2E4.4F89A-SHIMO@smtp.sol.dti.ne.jp>
X-Mail-Count: 00216

こんにちは。
あつしです。
とりあえず、短いのを一本、投稿させていただきます。
こいつは一応、一年ほどまえにとある短編賞の最優秀賞に選ばれて、
このたび新風舎から単行本になって出版されます。
自分でもきっちりとまとまっていて、非常に完成度が高いなあと思っております。手前
味噌ですが。
原稿用紙30枚くらいですので、みなさんどうぞお気軽に読んで下さい。
それで感想なり文句なり頂ければ嬉しいです。
ジャンルは純文学です。
あ、それと、これは一応風俗の話なので、ちょっと表現がHっぽいかもしれません。
そういうのがイヤな人はどうぞ削除して下さい。でも、官能小説ではないですよ(笑)
。
それではよろしく。



「プリズム」



 水曜日の朝っぱらから、そういうところに行きたいと言い出したのは先輩の方だった
。
特別断る理由もないので、ぼくは素直に同意した。
 五月は春とは言え、午前四時の空気はまだかなり冷たい。昼間暖かかったからと言っ
て、
少し油断していると、すぐに風邪を引いてしまう。ぼくと先輩は、昨日仕事が終わって
からずっと一緒にいた。居酒屋から始まって、カラオケパブ、スナック、そしてまた居
酒屋
と典型的な会社員的放浪の旅路をさすらって、気付いた時はもう朝が近い時刻だった。
 翌日の仕事のために、カプセルホテルか何処かで少しでも睡眠をとっておくべきだと
主張するぼくの意見を、いいじゃねえか、奢るからさ、という先輩の一言が退けたのだ
った。
 新宿歌舞伎町、コマ劇場の左側の通りの奥まったところ、薄汚い雑居ビルの二階に
その店はあった。
 細い階段を上がり、暖簾代わりに吊られてあるビニール製のカーテンをくぐると、
小さな踊り場に出た。踊り場の右側には薄汚れた受付があった。カウンターの上には
料金表と電話、そして計算機が乱雑に並べられている。
 「二人なんですけど」と先輩が言った。すると狭いカウンターから男がにょっきり
顔を出して、
 「今一人しか入れないね。次の人は二、三十分後になります。さっきロングで二人
入ってったから。朝はねえ、女の子は少ないわ、お客様は多いわで、終始満室状態な
んですよ」と言った
 ぼくの左腕を先輩の肘が軽く突ついた。その目はぼくの反応を窺っている。ぼくは
やはり曖昧に頷く。
 「じゃ、それでいいです。」と先輩。
 「三十分から百二十分まで四コースあるけど」と受付の男は実に面倒臭そうに言った
。
 「じゃ一番短い、その、三十分で。ええ、二人とも」
 「それでは番号札を持ってそちらの待合室で少々お待ち下さい。取り敢えず一名様は
すぐにお呼びしますので」
 まだ若い受付の男は、ぼく達の背後を指し示した。
 ぼくが受け取った札には「1」という数字が印刷してあった。
 振り向くと、またカーテン。しかも今度はご丁寧にピンク色のやつだ。つるつるし
ている。何故黄色い光に照らされたピンクは、こんなに下品に見えるのだろうか。
 待合室に他の客はいなかった。角が擦り切れたソファ。山と積まれた雑誌類。テレ
ビゲーム付きのテーブル。それだけでもう一杯になった部屋の中で、ぼく達は何も
喋らずにソファの端っこにちんまりと座って、適当なマンガ雑誌のページを捲った。
 顔を上げ、辺りを何となく見回すと、すぐ横の壁にA4サイズの張り紙があった。
〈オプション一覧〉とある。
 口内射精・+二千五百円、顔射・+三千円、バイブ・+二千円、アナル・+五千円、
各種イメージプレイ・+八千円。
  ほどなくぼくの番号が呼ばれた。
 「終わったら前で待ってますから」
 「うん」先輩はそう言って所在なげに辺りを見回し、すぐにマンガのページに視線を
落とした。
  「お待たせしました。こちらになります。」
  通路を二、三メートル進むと、またピンクのカーテンがあった。
  「どうぞこちら、ひなちゃんですゥ。」受付から出てきた男が、不思議な調子を付け
て叫んだ。
 カーテンの向こうには、パジャマを着た小さな女の子が眠そうな顔をして立っている
。
 「いらっしゃいませぇ。ひなでーす。」彼女は小首をかしげるように笑ってそう言っ
た。
ぼくは取り敢えずペコリと礼をした。
  女の子はぼくの手を取って、通路の左側にある部屋へと誘った。
  部屋はとてもこじんまりとしていた。四畳半もないくらいの部屋の半分を、ベッドと
呼ぶ
のもおこがましいくらい貧相な木の箱が占めており、逆側にシャワールームと脱衣スペ
ースがある。
  ドアを閉めるなり、女の子は着ていたパジャマのボタンを外し始めた。みるみるうち
に、
起伏の少ない、しかしその分柔らかそうな裸体が露になる。身を覆う布の最後の一枚ま
でを
無造作に脱ぎ捨てるその仕草には、僅かほどの恥じらいも感じられない。
 ぼくはと言えば、まるで傾きかけた田舎の信号機みたいに、ただぼうっと立ち尽くし
ている
ことしかできなかった。
 「あなたも脱いで。服はこの籠に入れてね。それと、これ、ハンガー。じゃ、私ちょ
っとお湯
出してくるから」
 そう言い残すと、彼女はシャワールームに消えた。小柄な彼女の体はとても白く、そ
の白さ
だけが、彼女の幼児体型の体にかろうじて女の艶を与えていた。
  まだ幼さの残る女の子の裸体を思い浮かべながら、ぼくは夢見心地で着ていたスーツ
を脱ぎ、
いつもなら考えられないほど無造作にハンガーに掛けた。今からあの女の子と過ごす時
間を思うと、
スーツなんかに気を使っている余裕はなかった。
  「終わった?」女の子が唐突にシャワールームから顔を出した。
 「ちょっと待って。もうすぐ」
 ぼくは慌てて下着に手を掛けた。瞬間恥ずかしさがこみあげる。少し身をよじるよう
にして、
ぼくは素っ裸になった。女の子が微かに微笑んだ。情けない、と思った。
 「はい、じゃあこっちに来て下さーい」彼女はぼくの手を引いた。どうやらこの時点
で彼女の
中でのぼくの位置は決定したようだ。彼女の口元にへばりついて離れない微笑を見ると
、
不思議にぼくは落ち着いた気分になった。
 「俺さ・・・初めてなんだよ、こーゆートコ」とぼくは言った。
 「そうなんだ」
 「だからさ、色々慣れないところがあって迷惑かけちゃうかもしんないけど、そん時
はごめんね」
 女の子はボディソープをぼくの陰毛で泡立てながら上目遣いにクスクスと笑った。
「大丈夫よ。みんな最初は初めてなんだから」
  彼女はほんの少し浮ついた口調になった。体付きに似合わず、もともと姉御肌の部分
があるの
だろう。そういう女にはこれまでに何度か会った。頼られ、そしてその相手に優しさを
与えること
によって己の居場所を確認するタイプの女。ぼくはそんな女を見る度に、荒涼とした大
地に響く
風の音のような淋しさを覚える。
 女の子に体を洗ってもらっている間、ぼくは少し余裕の出た心地で彼女に話しかけた
。
 「いつも朝やってるの?」
 「え?」
  「仕事」
 「ああ・・・別に決まってる訳じゃないけど、でも、朝が多いかな。」
 「大変だねえ、こんな時間から。」
 ぼくは大袈裟な口調で言った。
  「今日はまだましな方よ。朝入って、昼までで上がりだから。つらいのは昼入って、
それで
夜と朝にちょっとずつ入る時。労働時間はそんなに大したことないんだけどさ、何だか
一日中
店にいるような気分になるの」
  「朝ってさ、どんな客がくんの?」
 「大体は酔っぱらってるわね。一晩中飲んでくだ巻いて、それで最後にすっきりして
帰るかぁ
って感じね。ホント泥酔してる人だと、体洗ってる時に壁に寄っかかって寝ちゃったり
とかするよ」
  「ふーん・・・」
 女の子はぼくの性器、肛門、そして上半身の前面だけを手早く洗い、流した後でまた
別の洗剤を
泡立て始めた。
 「それ、何?」とぼくは訊いた。
 「殺菌効果があるボディソープ。うちは基本的にナマだから、一応ね」そしてぼくの
性器を再度、洗った。
 「それじゃ、顔洗って」
 ぼくは言われるがままに顔を擦る。
 「ねえ、イソジン大丈夫?」
 「うん、多分」
 「じゃ、これでうがいして」
 ガラガラガラガラ、ペッ。
 「はい、じゃ、先に出て体拭いてて下さい」と彼女は言った。
 体を拭いた後、ぼくは寄る辺ない気持ちでベッドに腰を降ろした。木の箱に薄いマッ
トを
敷いただけのベッドは、思ったよりも固くはなかった。

  「あたしまだ二ヶ月くらいよ」と女の子は言った。いつからこの仕事をやっているの
かという
ぼくの問いに答えたのだ。照明は幾分落とされ、ピンク色の空気が部屋に満ちている。
そして
彼女はぼくの上に重なっている。
 「その前は何を?」とぼくは訊いた。
 「ただのOLよ。沖縄でね」
 「沖縄が実家なんだ。それにしては肌白いね」
 「こっち来てから色落ちたの」そう言って彼女は、ぼくが次に発する言葉を封じ込め
るように
唇を合わせてきた。ぼくはそれに応える。頭が何故だかぼうっとしている。女の子の舌
はとても
小さく、柔らかい。
 それから彼女はぼくの首筋や鎖骨に舌を這わせ、乳首にキスをした。
 「胸、触っていいよね」と遠慮がちにぼくは訊ねた。
 「うん」
 小ぶりな胸は、僅かの力で簡単に潰れるほど頼りないものだった。ぼくは目一杯手を
伸ばして
彼女の性器に触れた。
 「ここは?」とぼくは言った。
 「いいけど、あんまり激しくしないでね。中に傷とか付いちゃうと結構大変だから」
 ぼくは軽く手を動かした。女の子は、身をよじるようにしながらも、ぼくへの愛撫を
続ける。
 「俺は一方的にやられるだけなの?」
 「そうじゃないけど、三十分コースだと、すぐに時間なくなっちゃうから。イクので
精一杯でしょ。
あ、それとも責めるのが好きなの?」と彼女は艶やかに光る唇で言った。
 「いや、別にいいよ」
 しばらくぼくは彼女の性器をまさぐっていたが、触る前から不自然に濡れていたソコ
を懸命に
撫で回し、彼女が逐一反応する演技に浸るには、ぼくはまだ若すぎた。数分で、ぼくは
手を引っ込めた。
 「ここはさ、何処までOKなの?」
 「本番以外は何でも」
 「やっちゃダメなことは?」
 「暴力とか」
 「なるほど」
 やがて彼女はぼくの股間に辿り着き、性器への愛撫を始める。その舌使いはとても優
しかった。
  下から上、上から下へゆっくりと舐めた後、女の子はゆっくりと口に含む。ぼくは目
をつむった。
瞼の裏で、快楽が手招きをしているのが感ぜられた。
 仕事を始めて二ヶ月とは思えないほど、女の子の舌使いは丁寧だった。いや、それは
まだ二ヶ月
だからこそ得られる感触なのかもしれない。煤けてしまった手際の良さを、彼女は知ら
ないのだ。
そのぎごちなさにぼくはある種の愛おしさを覚えた。
  ふと目を開ける。
 ピンク色の部屋。何もかもがその色に染まっている。天井までがとても遠く思える。
ぼくとぼくが
見上げている天井との間に、何層もの空気が積み重なっているようだ。それは実にゆっ
くりと、
しかし確実に動いている。積み重なったピンク色の波は、それぞれが絡まり合い、全体
としては
肉厚な様相を呈している。ぐにゃりとうねりながらそれはぼくを押さえ付ける。どっし
りと重い。
 ―懐かしい。
 そう思った。
 逃れられない重圧。どんよりとした空気。ぼくはやはり天井を見ている。心の隅に押
し込まれて
いた記憶が段々とほどけていく。
 ―ああ、あの時だ。
 ぼくがまだ小学生の頃。
  頭の中でリプレイされる過去を、ぼくはただ見つめるしかなかった。
  放課後の教室。まだ体の小さいぼくは、何人かのクラスメイト達に組み伏せられてい
る。
無邪気なプロレスごっこと、傍目からはそう見えるかもしれない。
  だが、実体は違った。ぼくに跨って体を抑え付けた少年達の輪の中で、ぼくはまだ成
熟過程
にある下半身を剥き出しにしていた。
 「おら、ちゃんとやれよ」
 「さっき教えただろうが」
 幾つかの罵声。
 少年特有の、汗と垢の混じった匂いが立ちこめている。
 「てめえ、この野郎。せっかく俺達が気持ちよくしてやるっつってんのによお」
  ぼくの肩口に座った奴が叫ぶように言った。そして手にした雑誌をぼくの頬に押し付
ける。
彼が開いているページには、四つん這いになって男を受け入れている女の写真があった
。
 要するに、少年達はぼくにマスターベーションをさせようとしているのだった。その
時ぼく
達はまだ小学校のぎりぎり低学年で、クラスの中にもマスターベーションをしている男
子は殆ど
いなかった。だが世の中には情報だけは溢れている。拾った成年雑誌やあるいは年の離
れた
兄からその行為の情報を仕入れてきた誰かが、とりあえずぼくにやらせてみようと言い
出したのだ。
ぼくは、彼らが性の技巧を獲得する上での実験台にされたのである。
  「ほら、しっかり握れって。てめえのモノだろうが」
  ぼくの手は強制的に自分の性器を握らされる。そして、馬乗りになっている少年達の
誰かが、
ぼくの手首を掴んで激しく上下に揺さぶる。
 「おい、立ってきたぜ」
 囁くような声。彼らはケケケッと笑った。手首を掴む力が強くなる。ぼくには何もで
きない。
ただぼうっと目の前にあてがわれる女の裸を見た。こんなことをして一体何になるのだ
ろうなどと
考えることすらしなかった。憎しみも悲しみもない。ぼくの心は風雪に晒されて粒子の
締まった
岩のように、何も受け付けなくなっていた。
 雑誌のページが捲られる。
 仰向けに寝転んだ男の上に跨って、自分の乳房をわし掴みにしている日本人の女。ガ
ニ股に
なってキッチンのシンクにもたれかかり、背後に立って尻を支えている男の手を狂おし
く握る
黒人女。そして一人で半透明の棒を性器に押し付けている中国人の女のページが捲られ
たのと
ほぼ同時に、ぼくは股間に飛び上がりそうになるくらいのしびれを感じた。まず下半身
が、
それからじわじわと全身が熱くなる。意志とは無関係に押し寄せる快感は、言い様もな
いくらい
背徳的なものだった。何かが自分の中から怒濤の如く放出されるのを、ぼくは止めるこ
とはでき
なかった。
 「うわっ! マジで出しやがった!」
 「汚ねえ!」
 少年達の叫び声はぼくの意識の裏側で虚ろに響いた。
 いつの間にか、口の端から涎が垂れていた。
 しばらくの間動けなかった。
 熱いものが去った後も、依然ぼくは下半身を自身の体液で濡らしたまま、天井を眺め
ていた。
クラスメイト達はもういない。目的を果たして帰ってしまったのだろう。
 ぼくが今見ているピンク色の景色の感触は、確かにあの時のものに似ている。誰もい
なく
なった教室で、汚れた下半身の処理もせずに、たった一人で呆然と見上げていた、少年
にとっては
余りにも重すぎる現実に。 
  「ねえ、ちゃんと感じてる?」
 唐突に女の子が言った。
 「え? ・・・あ、ああ」
  女の子の髪にわざとらしく指を絡ませながら、ぼくは目をつむった。

 ぼくが何かの実験台にされたのは、一度や二度のことではなかった。クラスメイトの
誰かが
新しい興味を得る度に、それは行われた。何故ぼくがターゲットにされたのかは分から
ない。
恐らく理由などなかったのだろう。まるでイタリアン・マフィアのようなピラミッド社
会と
下克上の文化を持つ子供の世界では、いじめられる対象などルーレットの論理で決定さ
れるものなのだ。
 あるいは彼らにとって、父親を持たないぼくはやや女性的に見えたのかもしれない。
なよっちい奴だ、やっちまえ、というところだろう。
 世の中で最も危険な凶器は人間だ。誰もが心の何処かに他人を傷付け得る可能性を秘
めている。
特に、幼い子供が恐ろしい。彼らは純粋である。しかし、それ故に他人を容易に打ちの
めす。
年齢を重ね、知恵や知識を身に付けるにつれ、意識の底に秘めた刃物は徐々に鋭くなっ
てゆくのだが、
成長した大人は「理性」という鞘でもってその鋭さを包み隠す。だが子供は、己の攻撃
性を
抑制する術を知らない。彼らの持つ武器は、非常に原始的な鈍器である。しかし、だか
らこそ、
彼らは堂々とそれを使用する。
 そのような攻撃性を持て余している少年達にとっては、片親のぼくは格好の憂さ晴ら
しの
相手だったのだろうか。
  ぼくは父親の顔を知らない。
 母と父は、高校の同級生だったらしい。しかし彼らは高校時代には殆ど顔を合わせた
こと
すらなかったそうだ。高校を卒業して彼らは偶然同じ大学に入ったのだが、起伏に満ち
た
大学生活の四年間も、二人を運命的な出会いには導かなかった。母が父の存在を実際的
に
認識したのは、大学を卒業する間際に開かれた高校の同窓会の席であった。それはクラ
ス
単位の同窓会ではなく、高校を挙げての学年全体規模で行われたものだった。とにかく
母は
その場で友人の紹介で父と出会い、二人は三日後にはベッドを共にする仲になる。とは
言っても、
別にぼくの母が鼻持ちならない尻軽女だった訳ではない。まあ、父はともかくとしても
、
彼女は標準的な慎みと常識を適度に持ち合わせたごくごく一般的な人間だった。あの時
は仕方がなかったのよ、と成長したぼくに向かって母は言った。それは熱病であり、
説得力のある必然であり、流れの中の点であったと。
 だが始まりはどうあれ、二人の中は意外なほど長く続いた。その事実に対して周囲の
人は
一様に驚いた。遊び慣れていない母が、ひたすら女癖の悪かった父に付いていける筈が
ない
というのが、二人を知る人々の共通した考えだった。父の女遊びはそれほどまでに激し
い
ものだった。彼の思考においては、あらゆる男と女の関係は、性器の結合をもってしか
始まりとは見なされなかった。彼は触れ合う女性と次々に関係を持ち、それが原因で
何度も母を泣かせた。そういう父の行動が、最終的には二人の間に決定的な溝を作るこ
とになる。
 ぼくはそんな男女の間に生まれた。母が妊娠したことを告げた時、父の喜びようは相
当な
ものだったそうだが、臨月を迎えて母のお腹が目立つようになると、途端に父の態度が
変化した。
 「きっとあの人は、一つの生命が持つ重みってものに、あの時始めて気付いたのね。
それで、自分が今までお気楽にやってきた行為の持つ意味をやっと悟ったんだわ。
それで怖くなったのよ。自分の意志とは無関係に、一つの生命が生まれ、育っていくと
いうことが」
  母は酒を飲むといつもそんな風に言った。ぼんやりとと空の一点を見つめ、
誰に言うでもなくそう呟く母は、一人息子の前でその瞬間だけ〈女〉になった。
  出産を待たずに父は別の女のもとに走り、家には殆ど寄りつかなくなった。
母は冷たいベッドの上で、無表情な医者や看護婦に囲まれて付き添いもなくたった
一人でぼくを生んだ。世間のろくでなしの父親の常として、ぼくが産着にくるまれて
ベビーベッドに入り、生命の宇宙的生々しさをなくした頃に、彼は現れて面会を求めた
。
母はそれを拒絶し、二人は別れた。  
 父のとった行動は、一方的に責めるべきものではないとぼくは思う。母は妊娠という
現実によって、父が自分が犯したきた罪に気付き、怯えたのだと言った。しかしぼくは
そうは思わない。きっと彼は人間が人間を孕むという事実に、ちょっとした畏敬の念を
抱いただけだったのだ。確かにそこで逃げ出したのは一人の男として情けないし、許さ
れざる
ことだとは思う。けれども、彼は生命の神秘に対して過度に反応し、必要以上に平伏し
過ぎた
だけなのだ。日に日に張りを増す母の腹が、その中で蠢く粘液にまみれた赤子の姿が、
ただ何となく怖かっただけなのだ。
 責めることは簡単だ。しかし許すことは時に何よりも難しい。母はまだ、父のことを
許してはいない。この先、死して一握の灰になろうとも、彼女は決して父を許すことは
ないだろう。だから、ぼくだけは許してやろうと思う。

  ぼくは目をうっすらと開けて、熱心に奉仕を続ける女の子を見遣った。
  片親の下で育った子は、心に傷を持つと言われる。しかし、片親の家庭自体が子供に
傷を与えるのか、それとも片親という環境を特殊なものとして見る周囲の目が、子供を
深く傷付けるのか。勿論いじめられる原因がそれだけに限定できる訳がないし、そもそ
も
原因なんてものは、始めからやはりないのかもしれない。でもそれは、高校に入り、
やっといじめられなくなった頃からずっと、ぼくの頭を支配している疑問だった。
 ぼくは元来そういった答えの出ない問題を、必要以上に悩むタイプの人間らしい。
少なくとも普通そんなのは、女の子にフェラチオされている時に考える類のことではな
い。
  女の子はぼくがなかなか気配を見せないのに少し焦った様子で、一段と激しく舌を使
い始めた。
でも彼女は弁護されるべきだ。どんなに素晴らしいフェラチオをされていようとも、
いじめと家庭環境の相関性について考えている人間が快感を覚える訳がない。既に先ほ
どぼくの
体に疼いた予兆は、遙か彼方に霧の如く消え去っていた。
  時折軽く嗚咽しながら、息も荒く行為を続ける女の子の髪を撫でようとぼくが手を伸
ばした時、
けたたましい電子音が鳴り響いた。狭い部屋の中で、それは戒めを解かれたケダモノ
のように咆哮し、薄汚い壁を振動させた。
 女の子は跳ね起きて、壁に取り付けてある電子タイマーのスイッチを押した。猛獣は
また
闇と静寂の世界へと身を潜めた。
 「ふう」と女の子は大きく息を吐いた。
 「もう時間?」
 「ううん、十分前のベルなの。まだ大丈夫よ。心配しないで」
 女の子は身を起こして一度伸びをし、冷蔵庫に中からプラスティックボトルを手に取
って
蓋を開けた。ぼくはそのボトルまでもがピンク色をしているのに、驚きを通り越して敬
意すら
感じた。本当に徹底している。
 女の子がボトルを逆さまにすると、透明な粘液がトロリと流れ落ちた。彼女は片方の
手の平で
液体を受け止めた。
 「それ、ローション?」
 「うん」
 「へえ。初めてだ、俺」
 「そうなんだ。気持ちいいよ。」
 「終了十分前になったらローションを使うってことになってんの?」とぼくは訊いた
。
 「ううん。でも口だけじゃいかないお客さんも結構いるから。・・・やっぱちゃんと
いかせて
あげたいしね」
 「偉い偉い」ちゃかすように言ったぼくの言葉に、女の子は首をすくめた。その頬が
一瞬
仄かに赤らんだように見えた。
 「これね、つっめたいの、すっごく」
 彼女はクスリと笑って、蓋を開けたままのボトルをサイドテーブルに置き、いたずら
っぽい
表情でぼくの性器にローションを垂らした。不思議な感触が、性器の先っぽから根本へ
と伝う
のが分かった。
  それから彼女はぼくに体を預けるように覆い被さり、自分の太股の間にぼくの性器を
挟んで
腰を使い始めた。
  それは未だ体験したことのない触感だった。中に入るのとはまた違う、独特の圧迫感
がある。
ベッドが軋む度に、濡れてカタマリのようになった女の子の陰毛がぼくの性器を優しく
撫でる。
遠い場所で快楽がまた甦り、始め頼りなかったそのさざめきは、急激な加速度をもって
ぼくの
意識の核へと迫り来る。  
 ローションで光る方の手で、女の子はぼくの性器をそっと握った。
 「イキそうになったら言ってね」
 ゆっくりと手を動かし始める。
 ぼくは目をつむり、既に高ぶっている体に精神を同調させることに集中した。
  ぼくが女の子の首に腕を回して抱き寄せるのと同時に、彼女の呼吸が悩ましげな悲鳴
に変わった。
手の速さと連動して、あえぎ声は激しいものになった。
 絶頂の時が、もう、すぐそこまでやってきている。ぼくには経験的にそれが分かる。
それはまるで届きそうで届かない命綱みたいに、目の前でふらふらと揺れている。不規
則な
快楽の波が、ぼくを綱の方へ徐々に押し上げる。やがて来るその時の気持ち良さは、想
像に容易い。
だからぼくは時折波を自分で調節する。より大きな快感を得るために、じらすのだ。
 自分の中の獣が、空腹感に発狂しそうになる寸前で、ぼくは檻の扉を開け放つ。
  綱を掴む瞬間、ぼくはかっと目を見開いた。 
  ピンク色の景色が、ぼくの視界に飛び込んでくる。女の子の傷んだ髪や、壁の汚れ
や、
一面に広がる澱んだ天井が、大袈裟にたわみ、覆い被さるようにしてぼくの意識を飲み
込んだ。
  腹の底から言葉にならない断末魔の呻きを発して、ぼくは射精した。
 それはとてつもなく深い快楽だった。やはりぼくは激しい精液の流出を止めることは
できなかった。
ぼくの様子を察知していた女の子が、タイミング良く精液を手で受けてくれた。彼女の
手の平で
精液は小さなたまりを作り、指の間から溢れてぼくの腹の上にこぼれ落ちた。ぼくは
その熱さを心地よく思い、しばらくの間わざと、意識を浮遊させる贅沢を味わっていた
。
  「ひゃあ」
  女の子が唐突に奇妙な声をあげた。
 どうしたの、と訊く前にぼくはその訳を知った。蓋を締め忘れたローションのボトル
が、
無造作に起き上がった彼女の背に当たって倒れたのだ。行為の振動で、ボトルがサイド
テーブル
の端まで移動していたらしい。
  自分を驚かせたモノの正体を知ると、女の子は、イヤだ、と言って派手に笑った。口
に手を
当てて、小さな肩を震わせて。それを見ているとぼくは何故だか無性におかしくなり、
彼女に負けないくらい大きな声で笑った。

  「お腹に少しこぼれちゃったから、そのまま、なるべく動かないようにこっち来て」
と女の子は
言って、シャワールームに入った。ぼくは慎重にその後に従った。
 来た時よりも簡単に、彼女はぼくの体を洗った。そしてぼくがシャワールームを出て
服を
着ていると、ねえ、と鼻先にガムを差し出した。
 「ありがとう」とぼくは言って、ガムを受け取ったが、それほどガムを食べたい気分
でも
なかったので、そのままポケットに放り込んだ。喉が強烈に渇きを訴えていた。
 「それから・・・これ」
 続いて女の子は名刺をぼくに渡した。安っぽい紙切れには、拙い手書きで〈Hina
〉とあった。
 「あなたは・・・余りこんなトコに来るようなタイプじゃないみたいだけれど」と彼
女は言った。
 「また来るよ」とぼくは言った。
 ピンク色の闇の中で、目をしばたたいて、ぼくは女の子を見ようとする。
 「あなたのコト、好きよ」
 彼女は口元に笑みを湛えながら言った。
  
              ―☆―
 
 腕時計の針は、そろそろ五時を指そうとしていた。闇は既にこぼれ出した陽光と混じ
り合って
その力を失い始めている。『借家』という張り紙が貼られた建物の、大きなウインドウ
に凭れて、
ぼくは斜め向かいに立つ、たった今出てきたばかりの雑居ビルを眺めた。先輩が出てく
る
までには、あと二十分ほど待たねばならなかった。出る時に、店の従業員に聞いたのだ
。
  自動販売機で買った烏龍茶を片手に、ぼくは煙草に火を付けた。
 ぼくの正面には駐車場があった。前輪と後輪の間に車止めがせり上がるコイン式のや
つだ。
駐車場はとても狭いものだった。何台かの日本車が停まっている。もう何年もそのまま
放置
されているような気配を、ぼくは感じた。
 ふと視線を投げた建物の陰から、猫が二匹走り出てきて、道を横切って駐車場の入り
口の辺りに
座り込んだ。
  道路と駐車場の境目、丁度スロープになっているところに灰色の猫がごろりと寝そべ
った。
もう一匹の、白と茶の斑模様の猫が、それを見守るようにその傍らに座った。
  ぼくが舌を鳴らすと、斑猫がキョロキョロと首を動かした。灰色の猫はどこか痒いの
か、
執拗に背中をアスファルトに擦り付けている。
  ぼくに背を向けて座った斑猫の尻尾が、ゆっくりと規則的に振られている。猫の尻尾
が
そんな風に動くなんて、ぼくは今まで知らなかった。左右にぱたりぱたりと動く様は、
メトロノームの針を思わせた。歌舞伎町の朝靄の中で睦み合う二匹の猫、小さな箱の中
に
暮らす女の子、それだけで一つの小説が作れそうだとぼくは考えた。案外物語なんても
のは
そう言った些細な日常から生まれるのかもしれない。

 先輩がビルから出てきたのは、細長い路地が本格的な朝の光に満たされてまもなくの
ことだった。
 お待たせ、と先輩は言った。
 ぼく達は疲れ切った体を引きずって新宿の駅へ向かった。
 「朝から風俗ってのもいいだろ?」と先輩が言った。ぼくは、ええまあ、とか何とか
言って頷いた。
 「けど、これでまた生活が苦しくなったな」
 「良く行くんですか?」
 「ふん、まあな」
 「生活が苦しくても?」
 「これやらないと、どうもしっくりこねえんだ。何て言うかな・・・」と言って先輩
は黙り込んだ。
 
  何気なくぼくは頭上を見上げた。
 ビルの狭間に、歌舞伎町独特の、多角形に切り取られた空があった。路地が細く、建
物が
密集しているため、その多角形は信じられないくらい小さい。恒久的に濁っていて、広
がりがなく、
見ていると何だか大声で叫びたくなるような種類の空だった。
  そんな空の下で、歌舞伎町に住む人々は、それぞれの生活を始めようとしていた。自
分の店の前
に水を撒く中年女性。コンビニの袋を片手に歩く水商売風の女は、これから家に帰ると
ころなの
だろうか。いつも客引きが立つ曲がり角では、老人が気持ちよさそうに体操をしている
。そして、
あの女の子。快活な笑い声が一瞬脳裏を掠める。
 ぼくはふと立ち止まった。先輩は気付かずに足早に歩を進めてゆく。俯き加減で歩く
彼の背中は、
これ以上ないくらいにもの悲しげだ。
 世界中の朝は、こんな風にして始まるのだ。そのことに気付いた瞬間、ぼくの足は動
かなくなっていた。

                                   
                             (了)




""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
A.Shimoura creats some culture. Shall we play and pray?
Everybody Go,,,,,,,,Ahead!!!!
e-mail:::a-shimo@sol.dti.ne.jp .............OK??
ICQ number:::31267295 ............Check it out!!

""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""

    

Goto (bun ML) HTML Log homepage