こんにちは。きつねと申します。
いろいろ書いたら長くなってしまいました。
まずは、文章力のトレーニングの話から。もしかすると以前この
リストで書いたかもしれません。そうだとしたらすみません。
かつて外国語を勉強していたとき教師に教えられて実行していた
勉強法が、アキトさんの書かれている
>「他の人の書いた文章を自分の言葉で置き換える」
にかなり近いのではと思います。当時、語学と文学を同時に学んで
いたのですが、中世から現代までの主要な文学作品をまとめた本が
あり(五分冊で各五百ページ強の大判の本でした)、一作品につき
二〜四頁ほど内容の抜粋と注釈が載っていました。これを毎日最低
一作品、抜粋部分だけを読んで、語彙を調べ意味を咀嚼し、内容を
把握できたと思った時点で本を閉じて要約をノートに書くのです。
そしてまた本を開いて自分の解釈と原文を読みくらべ、再度要約を
書く、ということを繰りかえしました。
この勉強法のポイントは「実物を見ずに」要約を書く、だったと
思います。後に翻訳の勉強をしたときにも、いかに原文から自由で
いながら、しかし原文を尊重するかに重点をおいて学びました。
あの教師には語学の習得に留まらず、文体を確立する勉強方法も
教えられたと思います。子が親をまねて成長するように先達の文の
要約を通して己の文もすこしは成長できていればと願うものです。
文章力向上の参考書としては、ちょっと反則めいているのですが
(原文が日本語ではないので)レエモン・クノオの「文体練習」を
あげておきます。ひとつの情景をさまざまに書きわけている本です。
意識的な文体のつかい分けは、いいトレーニングになると思います。
さて、難癖をつけるようで心苦しいのですが稲垣さんの
> 名文があって名作ができていくのではなく、
> 名作のベストな見せ方として名文があるんじゃないかと思っていますので。
に疑問を抱いたので、自分の思うところを書いてみます。‥‥まあ、
疑問というよりは稲垣さんの発言をネタにさせてもらって私自身の
思うところを述べるという、じつに身勝手なやり口です。御容赦。
大前提として「名文」「名作」とは何であるかの定義づけがまず
必要でしょうが、これはちょっとやそっと話したくらいでは総意は
得られないような気がするので、ここでは割愛。
誤解のないよう書いておきますが「名作であること」と「名文で
あること」とはかならずしも重ならない、という点では稲垣さんの
書かれているとおりだと思います。ただ、ある作品(それが名作で
あれ駄作であれ)にとってそれを見せるベストの方法すなわち名文、
という箇所に頷けません。悪文であればこそ、かえって心にのこる、
ひっかき傷をのこすケースもあるのではないかと思うからです。
いい例が思いつきませんが、たとえば野坂昭如の「火垂るの墓」、
あの長々しい文を名文と言うひとは少ないのではないでしょうか。
しかるにあの作品は一定の評価を得ています。そして、その評価の
何割かはあの文体に帰せられるものでしょう。あれが流れるように
美しい名文で書かれていたら、読後感はかなりちがったでしょう。
ただの、「やりきれないつらい話」に留まったような気がします。
そういった観点から、アキトさんの発言の、
>まずは「悪文を回避すること」からだと考えてます。
には半分ばかり首肯するものです。これは、「名文」を定義する
より「悪文」を定義するほうが手っ取り早いのもあります(笑)。
「悪文」にも種類があって、誤りなどの直すべきものと、個性の
範疇にあるものとがありますが、「校正」という仕事が成立する
ことからも、「誤り」の方であれば直すことはすぐにでも、また
他人にもできることが証明されています(文字校正ね)。
これに対して、「個性の範疇」である悪文は、むやみやたらに
直せばいいというものではないでしょう。へたをすれば書き手の
個性を否定することにもなりますし。重要なのは、それが作品に
とって最もふさわしい装いであるかどうか、ではないでしょうか。
これもあまりいい例ではありませんが、歌に例えるなら「校正」
される範囲のミスは音程やリズムを外している、いわば問題外の
ミスであり、それ以上の、「悪文」なり「名文」なりと言われる
レベルの問題は、歌い手の唱法に匹敵するのではないでしょうか。
イタリア式のベル・カント唱法はたしかにオペラ曲を歌うのには
適しているでしょうが、ロックにおけるシャウトも唱法の一種と
して成立し、また素人くさいだみ声で歌われてこそ心にしみいる
曲もある、それはジャンルの豊かさの証明だと考えます。
文章もまた、美文調あり、散文調あり、悪文も題材によっては
活きる、「もっともふさわしい文体」となりうると思います。
だからこそ作品によって文体をつかいわける作家もいるわけで。
ところで、あれやこれやとえらそうなことを書きながら、私は、
ここ数年壁にぶつかっています。スランプというほどのものでは
ありませんが、もう一歩先にふみだせていないもどかしさを覚え、
打開策も思いうかばずに書き散らすばかりの日々を送っています。
リストが活性化している今、拙作をさらしてみなさまに教えを
請おうかとも考えます。二、三年まえに書いたもので、小説賞に
落選、改稿(加筆)してべつの賞に応募するも(またもや)落選
という経歴の駄作です。古谷さんの書かれた、
>「これこれの意図でこう工夫した、うまくいっていますか」
に沿うように提示するつもりではありますが古谷さん、「作品の
一部」とのことですが分量の目安、ないし上限はあるでしょうか。
知りたいのは加筆部分が機能しているかどうかなのでリストには
本文を投稿せず、加筆前と後の文を掲載したURLの提示、という
方法も考えましたがいかがでしょう。
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「おいらたちの あいことばは、
『あらしの よるに』ってことっすね。」
『あらしのよるに』 木村裕一
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