こんにちは。稲垣です。
前多修世さん write:
> 人それぞれ、目標としているものが違うって事ですかね?
> 分野が違えば、修練する技術もまた違うといった事かな?
> 技術の向上だけでなく、役立つ情報の交換などがあると、
>いいかもしれませんよね
多少は諦念を含んでの発言だったりするのですが、
ひと口に「小説を書いてる」といっても、いろんな形式や
いろんな工夫を、それぞれ盛り込んでいると思うんですよ。
それこそその書き手がどこに立脚しているかということだけで、
やってることがまるっきり違ってしまうので、
有効なアドバイスってありえないんじゃないかと思っています。
少なくとも書いている間は、そんなことは「雑音」程度に
処理しておかなければ、立ち行かなくなってしまう場合のほうが、
まあ、これは僕個人の場合ですけど、多いですね。
他の人の作品をみて、「あ、この部分はいつだったか自分も
必死になって取り組んだ『工夫』だな」というのは、稀にですが
あります。
ただ、そのことを言っていいのか悪いのか、というのもあると思うんです。
自分がそのときやった『工夫』が正しいとはやはりいえませんので。
ですので、どこまでいっても小説を書くのなんて孤独な作業に他なりませんので、
唯一のアドバイスとしては「孤独に耐えなさい」というぐらいしか、
ほんとうはないのかも(笑)。
> レベルとか以前の問題ですよね……。
> たぶん、読みも書きも全然足りないとおもいます(笑
というか、まず、ここにいるみんながそうだと思います、
自分も含めて(^_^;。
両方とも十分に足りて、なおかつ芽が出ないなんてことになったら、
やっぱり才能がなかったんだね、ということでしかないわけですし。
「読み」「書き」という誰にでもできる努力が
遥か彼方まで広がってるんですから、やらないで才能うんぬんを
口にするのはアホだと思う。
> そうですね。大衆うけするのが、名文とは限りませんものね。
> とりあえず、教科書に載っているような、作品は名文といえる
>んでしょうね。出版社や政治家の目が確かであればの話ですが。
> 故人から学ぶのか、今生きている名作家から学ぶのか……。
まあ、少なくとも誰かが「名文である」と認めたから、教科書に載っている
わけなんで、それはそれでいいんじゃないかと思うんですね。
そこから学ぶものがあるかどうかは、人それぞれになってしまうと思いますし、
より重要なのは「なにを学んだか」ということになると思います。
学んだことは使ってしまえばいいわけですし、それをどこから学んだか
なんて、前多修世さんの読者にとってはどうでもいいことなんじゃないかと
思います。
> 殊、皆さんは、漢字をどうゆう具合に使っていますか?
> 常用漢字は気にしていますか?
> 自分の判断に従う他無いのでしょうか?
と思います。
以前は漢字の多い文章って素人まるだしといった感じで敬遠していたのですが、
京極夏彦あたりを読むと、けっこう平気で読めてしまいますし、
ああいう雰囲気が嫌いではない自分に気づきますので、
作品によっては漢字を多めにしようかと考えることはあります。
ただ、チェックが大変になりますので、未だに実行はしていないですけど。
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Tohru Inagaki inai-yo@ca2.so-net.ne.jp
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(bun ML)
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